花の四日市スワマエ商店街

四日市の水谷仏具店です 譚

戦後世相史と「点と線」

2018年09月16日 | レモン色の町

中日新聞掲載の「ベストセラーで読む戦後世相史」末国善己著。第4回は、松本清張著の『点と線』。

学生の頃、光文社のカッパブックスで清張作品の「眼の壁」「時間の習俗」「砂の器」などは、姉と回し読みしたりした。

昭和32年、雑誌「旅」に連載された「点と線」は、社会悪を告発する「社会派推理小説」としてベストセラーとなった。東京駅の13番線から、特急あさかぜが停車する15番線が見渡せる4分間。汚職の渦中にある課長補佐と料亭の女将が列車に乗車するところの目撃者を仕組み、心中事件をでっち上げる。神武景気に沸いた当時は、汚職事件が相次ぎ、政治家や官僚への不信感が高まっていた。関係者の不可解な死で汚職の追及が出来なくなる本書の展開は、当時の読者には生々しかっただろう。経済白書が「もはや戦後ではない」と宣言し、旅行を楽しむ余裕が出てきた日本人の欲望を的確に掴んだことも大きいのである。


戦後世相史と『梟の城』

2018年09月15日 | レモン色の町

中日新聞夕刊掲載の「ベストセラーで読む戦後世相史」第5回は、司馬遼太郎の『梟の城』。この作品は、昭和35年に直木賞を受賞している。

 伊賀忍者の葛籠重蔵は、信長が明智光秀に討たれたことで目標を失い隠棲していた。そこへ師匠の下柘植次郎左衛門が訪ね、重蔵の兄弟子である風間五平の探索と大公秀吉の暗殺を命じる。忍者の誇りを取り戻した重蔵は上方へ向かい、伊賀を裏切った五平と壮絶な戦いを展開する。

 司馬は学徒出陣で戦地へいった経験から、天皇への忠義を求められ、ひとたび戦争になれば個人の能力も国家に管理され、簡単に使い捨てにされることを実感していたのではないか。

忠義を重んじる武士をあざ笑い、長い「修行」で身に付けた「技能」を使って、好きに雇い主を選び、自由に生きる司馬の忍者は、主君=天皇 への忠誠を誓う 武士=兵士 を描いており、戦前的な価値観からの解放の象徴だった。

 この作品は、大友柳太郎と中井貴一主演で二度映画化されている。


カメラを止めるな!

2018年09月14日 | わたくしごと、つまり個人的なこと

9月13日はお休みだったので、東員イオンへ出かけました。今話題の「カメラを止めるな!」を観るためです。東員イオンは、駐車場もゆったりしていてトイレもゴージャスで綺麗。1階のステーキの店は行列ができていて、3階のフードコートも広々しております。何でも揃っている感があって、これじゃァ古い商店街も太刀打ちできないなあと暗い気持ちで劇場に入りました。

「カメラを止めるな!」は、無名の監督が、無名の役者と共に、300万円という低予算で、大ヒット作品を作り上げたことが、何よりも素晴らしい事です。ゾンビ映画というテーマの作品なのに、大声で笑ってしまい最後には爽快感すら感じます。

さて思ったこと、それは『熱意と工夫と楽しさがあれば、大作には決して負けない素晴らしい作品ができる』ということ。『熱意と工夫と楽しさがあれば、決してイオンに負けない面白い商店街ができる』ということでした。

 あともうチョット、一服出来そうにもありません。


戦後世相史と『甲賀忍法帖』

2018年09月11日 | レモン色の町

中日新聞の夕刊に連載されている「ベストセラーで読む 戦後世相史」末國喜己著。

6回目になる。終戦という時代背景でベストセラーになった作品を紹介している。第6回は 山田風太郎著『甲賀忍法帖』

徳川二代将軍の秀忠は、次の世継ぎを決めるため、長男 竹千代側から伊賀忍者を、そして次男である国千代側から甲賀忍者の各十人を選出してたたかわせることになる。この忍者たちは、権力者の後継者を決めるという自分たちには無関係で、くだらない目的のために戦い、嬉々として死んでいく。彼らは、太平洋戦争で、大東亜共栄圏という砂上の楼閣のために戦場へ向かった兵士たちの戯画であり、積極的に戦時体制に協力していった事実を思い出させる役割も担っていた。戦後は忠義を誓う相手を会社に変えて経済戦争を始めた、懲りない日本人を皮肉ったといえる。

各選出の忍者が面白い。手足の先に吸盤があり粘性の痰を吐く者、四肢はないが鱗と肋骨を使って高速移動するもの、肉体の損傷を即座に回復させるもの、髪の毛を自在に動かし針状にして攻撃する者等奇想天外である。思うに原作は、後にヒットしたテレビ番組『隠密剣士』に影響している。

ベストセラーで読む戦後世相史、第1回は「肉体の門」、第2回「犬神家の一族」、第3回「栄花物語」、第4回「点と線」、第5回「梟の城」と連載されている。つづく


ホリデーイン四日市の飲食店

2018年09月10日 | レモン色の町

昭和48年、三重展望社が発行したタウン誌「ホリデーイン四日市」から、当時の中心市街地の飲食店はどんなだったか?

まず、近鉄四日市駅 駅前の中央通りから。上が東方向になる

1番街の通り。

1番街の通りを、右(東方向)へ

すわ公園西側(二番街)その1

上部マップを北へ(二番街)その2

すわ公園・諏訪神社周辺

 

 


北川正彦氏逝く

2018年09月07日 | 諏訪商店街振興組合のこと

平成30年9月5日台風一過の日に、北川正彦氏は逝った。長年、理事長と専務理事の間柄で、組合運営に携わってきた。教えられたことも多い。ありがとうございました。

四日市祭り参加の甕破り山車前にて。

伊勢のおかげ横丁視察

南勢の周参見へ

青森、記念館となった青函連絡船前にて

思えば激動と波乱の人生でした。どうかごゆっくりおやすみください。


駅前商店街1番街 その6

2018年09月05日 | レモン色の町

昭和48年、三重展望社が「ホリデーイン四日市」というタウン誌を発行している。定価は200円。四日市商店街と周辺の観光を紹介しながら、個店の広告誌といった感がある。

●近鉄駅前通り

市発展のカナメ、それがここ近鉄四日市駅です。町は駅を軸にして発展する・・・全国の都市と四日市も同じで、一日中多くの人の行き交う姿がみられます。

 繁華街はこの通りの北側に開けていますが、駅前の通りはスーパージャスコがあり、クレジット百貨店の丸武、近藤カメラ店などの一流店があります。

 また、駅の北隣りが近鉄百貨店となっており、人出の多いことは県下一の地区と申せましょう。この他にも、骨董品に興味のある人は茶源堂を、足元のオシャレなら靴のキャロン、洋傘ならおかざきといった有名店もあります。ジャスコや近鉄の店内を見て歩くのも、ショッピングのポイントでしょう。

●一番街①

 ここ一番街という地域は、商都四日市市を代表するショッピングゾーン。四日市市の中心地区でもあるので、附近にはデパート、映画館、ボウリング、レストランなど一流店がズラリ。

 なかでも、イラストにある宝石のキタオカ、靴のキャロン、ファッションのパル、ハキモノと結納のなかむら、紳士服のハセガワ、メガネの服部、タカオ近藤カメラ店などが有名なお店です。

 とくに、女性の方ならマルミヤとかひかりやというお店もバツグンにイカスお店。何もかも欲しいのだとおっしゃる方には、カワムラセンターとユニーの二店に行けば、まずOKでしょう。

●一番街②

 前図から上(東)に、国道一号線までの地区が次のイラストです。上にアーケード、下にカラー舗装というように、このまちはまさしく若いファッションの街。

 両側にあるお店も、店内のレイアウトがハイセンス。見て歩く楽しさだけではガマンできず、つい買う楽しさを味わってしまう街と云えるようです。

 ここでは、男子専科のヤマモト、注文紳士服の草野、呉服の川口屋と大阪屋、ファッションの馬里、ふとんのわた増、お茶の店むさしの園、靴のナガサワ、洋装のひばりやなどの有名店があり、若いファッションの街らしく、華やいだムードと活気が、街全体をすっぽりと包んでいるようです。

追記 昨日(平成30年9月4日)襲った台風21号。諏訪栄町商店街は停電から免れた。諏訪町では、スワセントラルパーキング周辺が午後10時頃真っ暗に。駐車場の精算機とエレベーターは充電器による稼働の必要性を痛感した。

 


駅前商店街1番街 その5

2018年09月03日 | レモン色の町

昭和39年9月5日、諏訪駅前にあったスワマーケットは、四日市スワ百貨店に生まれ変わった。

昭和40年7月に辻さんの写真。四日市駅の近鉄ストアと近鉄百貨店、そしてオカダヤが並ぶ。くすの木はまだ小さい。

昭和42年8月。辻さんの店から西方向にとられた写真。左に四日市東映が建つ。

昭和43年のゼンリン地図。現在の駅前商店街が出来上がっている。

昭和39年はどんな年だったか?


駅前商店街1番街 その4

2018年09月02日 | レモン色の町

1番街にどんどん商店街が建ちだす。昭和35年、スワ百貨店はまだできていない。右に平屋の山本洋服店がある。

昭和39年6月、アーケードの起工式。

昭和35年はどんな年だったのだろう。

ホッピング、フラフープ、ダッコちゃんと、次々と玩具がヒットした。ダッコちゃんの正式名称は「木のぼりウィンキー」だった。