放浪記

日本人は風呂好きらしい



15歳、義務教育を終えるまで、毎日のように温泉銭湯に入って育った。
贅沢だった。
子供は親を選べない。親の住む環境が子供の住む環境。

以降は町の銭湯。

勤務先がカーディーラー整備工場時代は、備え付けの浴室。
1965年当時、80万円と聞いたボイラーが設定温度80℃で湯を沸かす。水道水で薄めて入浴。
燃料は灯油。

股関節障害で転職。
印刷業界の製版工での作業は、座業が多かった。
無茶苦茶残業が多く過労死ライン超えの日常。

11:30路面電車の終電で帰ること多い日々もあった。銭湯は10時閉店。
服役囚でも週に2回入浴できるらしい。
悪しき商売人はこき使う。
長くは勤務しない。
辞めれば解放されるが、印刷業は残業が多い。

さんざんこき使って、景気変動、受注量減となれば出ていけとなる。
赤字で給料払う義務は無いか。

公務員がいい」となる。
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