気軽に茶道をしてます。

日々のお稽古とともに、できるだけ手作りのお菓子で
お茶を楽しんでいる様子や、四季折々の変化もお伝えします。

万葉歌碑より人顔似の石に(石上神宮)

2016-07-14 11:27:18 | 神社・仏閣
何時降るかわからない変な天気、
湿度もたっぷりでムシムシと、
今日の午後からは、祇園祭の菊水鉾のお茶券があり、
昨年に続き
訪れる予定です。
なお菊水鉾の名は室町時代末の町内にあった千利休の師、
武野紹鴎の邸内の菊水井に由来しております。
雨に合わなければよいのですが・・・・・
この祇園祭のはじまりは、平安時代869(貞観11)年に行われた
御霊会で、1100余年も連綿と続いておりますね。
続くといえば、歌も続いており、
平安時代の中期に忽然と現れた万葉集、7世紀後半から
8世紀後半にかけて編まれた日本に現存する最古の和歌集で、
多数の歌碑があります。その一つ、
石上神宮大鳥居の左前に建つ万葉歌碑を訪れました。
  
『万葉集』の巻4(501番)柿本朝臣人麻呂の歌
「未通女等之 袖振山乃 水垣之 久時従 憶寸吾者」
と書かれており
「未通女らが 袖振山の 瑞垣の 久しき時ゆ 思ひき吾は」
”乙女が袖を振る、そのふると名も同じ布留山(ふるやま)の
古くより神様をまつる瑞垣(みずがき)のように、
長い間あの人のことを思ってきた、わたしは”という歌意に


駐車場側の入口にこんな風景が、
 
苔で覆われ、人面石にみえませんか?
微笑みが自然と
しばし、自然のいたずらの招きに、
柿本人麻呂さんのように見えてまいります。
万葉歌碑を現代まで、時間を延長すると・・・
1200年も続けて愛している意味になり、フフフ
大変情熱的な歌になります。
この柿本人麻呂が亡くなったのは720年とされており、
ということは2020年は没後1300年ですね。

その他にも境内のワタカの住む鏡池の前に二つ歌碑が
 
もう一つは
 

武力の神様と恋の歌取り合わせが意味深ですね。
 
長生殿の屋根にこんな鬼瓦も
神社にあるのは珍しく、山陰の石見地方に見られ、
神話の時代、国生みの出雲に通じませんか。

あれれ、平安時代の話が、奈良飛鳥さらに国生みまで
昼からは、京都を十分味わってまいります。