気軽に茶道をしてます。

日々のお稽古とともに、できるだけ手作りのお菓子で
お茶を楽しんでいる様子や、四季折々の変化もお伝えします。

磐之姫陵の答えは「隼別王子の反乱」田辺聖子 著

2020-06-16 21:32:16 | お稽古
COVID-19で自粛中に、人気のないところへと散歩で出かけたのは、佐紀丘陵
の「磐之姫陵(いわのひめりょう)古墳」別名ヒシャゲ山古墳を経由しての一周。
そのブログ「毎日7000歩、4月28日は『磐之姫陵』へ」で疑問に思ったのは
   磐之姫は、仁徳天皇の4人の皇后のうちのひとり、
   仁徳天皇陵は堺、どうして皇后である磐之姫陵は
   遠く離れた奈良なのでしょう?

「磐之姫陵」の場所は平城京跡の北、奈良市佐紀町です。
      GoogleMapより
                                   
「磐之姫陵」は南面に2重の壕をめぐらす5世紀の前方後円墳で、
 『延喜式』に大和添上郡の平城坂上墓とし、ヒシャゲ古墳に比定されている。
 

五月下旬はカキツバタが濠に咲いていた(奈良市観光協会の写真)が、
   
梅雨の中休み、今日の濠ではもう蓮の花が咲き出している。

 
話を戻しましょう。
『磐之姫』は皇族外の身分から初めて第16代仁徳天皇の皇后になったとされ、
履中天皇・住吉仲皇子・反正天皇・允恭天皇の母で、記紀によると天皇の
側室黒比売・八田皇女に対する激しい嫉妬の話が伝わる。
さらに万葉集最古の作者ともされ、四首記載され、夫を慕う皇后の心が
切々と詠まれている。
万葉集 巻2-85
君が行き日け長くなりぬ山たづね迎へか行かむ待ちにか待たむ』

それなのに
仁徳天皇の陵墓は宮内庁が治定した堺市大仙町「百舌鳥耳原中陵」で
2019年世界遺産に指定された「百舌鳥・古市古墳群」を構成する一つ、
日本最大の古墳の伝「仁徳天皇陵」で「大仙陵古墳」に。

不思議に思っていました。

あるブログ友の記事の中に示唆する答えはあった。
田辺聖子さんが『隼別(はやぶさわけ)王子の反乱』に書かれていると。
早速取りよせ、読んでみました。
      
この本は、
ヤマトの大王(仁徳天皇)の思われびと女鳥(メドリ)姫と
恋に落ちた大王の異母弟である隼別王子は
2人の恋の成就のため大王に対し反乱を起こし
無残に潰され捕らえられ2人とも殺される悲しい物語
この2人の残照を生きる大王(仁徳天皇)と皇后(磐之姫)

古事記を基に田辺聖子が20年の歳月をかけて
練り上げたという小説で、
中公文庫では中身だけで318ページに及び・・・

仁徳天皇陵は堺、皇后である磐之姫陵は奈良の地
に眠る理由がわかったように思います。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿