宝泉寺 ブログ

宝泉寺本堂建設高垣久棟梁に聞く

● 新本堂完成間近になりました。この本堂建設の棟梁高垣久さんに、お話を聞きます。大工の道を選んだのは、どうしてですか

■ 父が製材業を営んでいました。ときどき父と共に、建設の現場に連れられて行くことがありました。中学生の頃には、建設の魅力、作り上げていくという面白さを感じました。
高校卒業後に、19歳で職業訓練校に入り、大工になることにしました。そこで、亀山建設に入社することにしました。今の社長の祖父が起業したのが、亀山建設です。会社と自宅がクルマで10分ほどと近くて、地元の企業としての馴染みがありました。
当時の会社は、社寺建築ではなくて、一般住宅の会社でした。木造の本宅工事や座敷工事をしていました。磨き丸太に杉の垂木をつかう豪華な工事が得意でした
私が入った頃は、若い大工が多かったです。入社後5年間は、寮住まいになります。このシステムは、現在でも続いています。
私頃には、当時は社長宅の隣に寮がありました。食事とお風呂は、社長宅で済ませました。楽しかったです。仲もよくなりました。もう一度あの頃に戻りたいくらいです。それに、近所の飲み屋さんにも、よく行きました。

● 一般住宅から社寺建築の会社に変わったのですね

■ 現在の会長が、社寺建設に舵を切りました。当時、ハウスメーカーが増えると大工の仕事がなくなり、大工がいなくなるかもしれないと危機感を抱いたからです。
当社では大工見習いのあと、約10年後で墨付けができ、建前をすると大工としては一人前にななります。私は30歳の頃に、地元の寺院建設を手がけました。
棟梁には(いまは工事責任者とも言いますが)、40歳の頃になりました。棟梁とは建設全般についての知識が必要です。私も経験を積んで棟梁となりました。以後、これまでに私は30ヶ寺のほどのお寺を建築してきました。
若い頃に、うっかり木の材料を短く切ってしまったという苦い経験があります。それで慎重に作業をすることの大切さを痛感しました。
現在会社には大工数は70名ほどいます。機械化、コンピュータシステムの導入で、安価で品質のよい本堂できるようにしています。

● 宝泉寺新本堂の特徴は

■ 庫裏に接する取り合いのところは、寄せ壁という工法で作りました。本堂の壁を先に作って、それを庫裏に寄せていくというものです。これは外からは見えませんが、頑丈な壁で覆われています。
また屋根瓦の鴟尾(しび)は、初めてでした。クラシカルな印象で、またおとなしい印象がして、いいですね。
私どもからしますと、年間に数ヶ寺建てていますが、お寺からしたら、数百年に一度の大事業です。檀家さんや住職の思いを汲んでいく、大切にする、応えていくことを、これからも忘れないようにしていきます。

高垣久(たかがきひさし)1955年生まれ。亀山建設取締役。
岐阜県ものづくりマイスター



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