正源寺 山川老師の話を聞く
禅宗には大きく分けて二つある。一つは、曹洞宗、もう一つは臨済宗だ。臨済宗にはたくさんの宗派がある。大徳寺派・天竜寺派・妙心寺派・南禅寺派・建長寺派・東福寺派などなど。
その中で、岐阜県には正眼寺という大きな寺院がある。宗派としては、妙心寺派に属している。
ここの住職山川宗玄師は、現代の禅宗の師家の中でも、よく知られる住職である。こちらも説経師の仲間と訪問してお話をうかがった。
臨済宗系の禅は、永平寺に代表される曹洞宗とは、おもむきが異なる。公案(こうあん)という命題が与えられて、それを説き明かしていくことが求められる。一種の謎解きとも言えようか。私が、この公案から受ける印象とは、世間の常識では解決できないような課題を、自分の身体を通して見つけていくようだと思う。聞いただけで分かるような、そんな簡単な教えではない。日々の精進あってこその公案になるのだと思う。
さて、今回は10分ほどの参禅体験をした後、山川老師のお話を聞いた。お話しをされたいくつかのエピソードの中から、一つだけ紹介したい。ただ私の記憶でまとめただけので、参考程度にして欲しい。
山川老師は、福井県勝山市にある越前大仏清大寺の住職でもある。この寺のスタッフから聞いた出来事とのことだ。
山と接している境内には、多くの動物たちも来るらしい。ある日、スタッフがカモシカの鳴き声に気づいた。その鳴き声がいつもと違うので、声のする方向に向かうと、子どものカモシカが、水路の中に落ちていた。子どものカモシカでは、とうてい脱出できない状況になっていた。そこで、スタッフは子どもの救助に向かい、助け上げたという。助けられた子どもは、親のカモシカのところに戻っていったという。
助かって良かった、めでたしめでたしになるはずだが、カモシカの子どもは、落ちてしまったこと、親と離れてしまったこと、未知なるヒトに触られたことなどで、パニックになっていたらしい。激しく右往左往しているので、身体をあちこちにぶつけ回っていた。
その時、親のカモシカは、子どもの前に、大きな音を立てつつ、前に立ちはだかった。その様子を見ていたスタッフが驚くような大きな音だったらしい。その親のカモシカによって、子どもは落ち着いたと。
その後しばらくは、この親子のカモシカたちは、スタッフのすぐ近くまで現れるようになったと。
スタッフが、子どものカモシカを助け上げたことは、生命を守ったということで意味はある。生命を助けたのだから、大きなことだ。
そして親のカモシカが、子どもが錯乱した状態から落ち着かせたことが、仏教のはたらき・仏教の役割だと、私には伝わった。
奈落の底に落ちて、もがきもがき苦しんでいるのは、これは私自身なんだと思う。むさぼり、いかり、愚癡という煩悩で右往左往している私を止める働きが、仏さまの慈悲なのだと聞こえた。
禅宗には大きく分けて二つある。一つは、曹洞宗、もう一つは臨済宗だ。臨済宗にはたくさんの宗派がある。大徳寺派・天竜寺派・妙心寺派・南禅寺派・建長寺派・東福寺派などなど。
その中で、岐阜県には正眼寺という大きな寺院がある。宗派としては、妙心寺派に属している。
ここの住職山川宗玄師は、現代の禅宗の師家の中でも、よく知られる住職である。こちらも説経師の仲間と訪問してお話をうかがった。
臨済宗系の禅は、永平寺に代表される曹洞宗とは、おもむきが異なる。公案(こうあん)という命題が与えられて、それを説き明かしていくことが求められる。一種の謎解きとも言えようか。私が、この公案から受ける印象とは、世間の常識では解決できないような課題を、自分の身体を通して見つけていくようだと思う。聞いただけで分かるような、そんな簡単な教えではない。日々の精進あってこその公案になるのだと思う。
さて、今回は10分ほどの参禅体験をした後、山川老師のお話を聞いた。お話しをされたいくつかのエピソードの中から、一つだけ紹介したい。ただ私の記憶でまとめただけので、参考程度にして欲しい。
山川老師は、福井県勝山市にある越前大仏清大寺の住職でもある。この寺のスタッフから聞いた出来事とのことだ。
山と接している境内には、多くの動物たちも来るらしい。ある日、スタッフがカモシカの鳴き声に気づいた。その鳴き声がいつもと違うので、声のする方向に向かうと、子どものカモシカが、水路の中に落ちていた。子どものカモシカでは、とうてい脱出できない状況になっていた。そこで、スタッフは子どもの救助に向かい、助け上げたという。助けられた子どもは、親のカモシカのところに戻っていったという。
助かって良かった、めでたしめでたしになるはずだが、カモシカの子どもは、落ちてしまったこと、親と離れてしまったこと、未知なるヒトに触られたことなどで、パニックになっていたらしい。激しく右往左往しているので、身体をあちこちにぶつけ回っていた。
その時、親のカモシカは、子どもの前に、大きな音を立てつつ、前に立ちはだかった。その様子を見ていたスタッフが驚くような大きな音だったらしい。その親のカモシカによって、子どもは落ち着いたと。
その後しばらくは、この親子のカモシカたちは、スタッフのすぐ近くまで現れるようになったと。
スタッフが、子どものカモシカを助け上げたことは、生命を守ったということで意味はある。生命を助けたのだから、大きなことだ。
そして親のカモシカが、子どもが錯乱した状態から落ち着かせたことが、仏教のはたらき・仏教の役割だと、私には伝わった。
奈落の底に落ちて、もがきもがき苦しんでいるのは、これは私自身なんだと思う。むさぼり、いかり、愚癡という煩悩で右往左往している私を止める働きが、仏さまの慈悲なのだと聞こえた。
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