脳梗塞で入院し、それによって落ちた体力筋力を復活させ、自宅へ戻るべく、リハビリ病院で頑張っている母かずえ、86歳。リハビリ病院にお世話になって早2ヶ月半になります。最初の入院時に、重度のアルツハイマー型認知症だということが判明しました。
姫気質の母ですが、家に帰りたい一心で、辛いリハビリを、時にはサボり!?時には懸命に、頑張っております。
一ヶ月前の主治医との面談では「退院は8月10日前後になると思います」と言われていました。もちろん、自宅へ戻るという意味です。さて、大変だ。ケアマネージャーさんに連絡したり、諸々の手続きをしなきゃ。
そうだ!そろそろ帰って来てからの、デイサービスの施設に見学に行かなければ・・・と思い、病院のソーシャルワーカーさんから教えて頂いていた、小規模多機能施設に連絡し、見学に行ってきました。
とても設備の整った所でしたし、何よりスタッフの方の対応が良く、是非こちらでお世話になろうと思いました。
ところが、その足で病院へ行ってみると、作業療法士さんから「自宅での生活は、難しいかもしれない」と言われました。そんな!今更何で?と思いながら「先生は8月10日前後に退院と仰ったのですが・・・」と言うと「それはとても無理だと思います。至急主治医に報告して、面談を行って頂くよう申し伝えます」と。
確かに母を見ていると、このまま自宅に連れて帰って大丈夫なのだろうか・・・という不安はありました。でも、主治医の説明を聞かされて以後、病院から変更の連絡など全く無かったので、予定通りなのだと信じていました。
自宅に戻ってからの準備のためにと病院からの要請で、家屋説明書を作成してくれと言われ、提出も済ませています。
こうして、家の中の段差がある部分などを含め、全ての部屋の写真を撮り、サイズを計り、作成します。
母が歩く可能性がある全てのところをチェックし、どこに手すりをつければいいのか、段差をどう解消するのか、病院のスタッフが、家まで来てくれてアドバイスをくれるというのです。
画像が小さくて見辛いので、一部、大きくするとこんな感じです。
あとは、見取り図ですね。これは、母と同居を始めた頃、友達に手紙を書いた時に、大きく変わった家の見取り図を説明しようと、面白半分で描いた物があったのでそれを代用しました。お遊びで描いたこれが、こんなところで役に立つとは思いもしませんでした。
思えば、これについても、何の連絡も無かったので、おかしいといえばおかしかったのですよね。
開口一番、主治医が仰いました。
「ご自宅へ戻られるのは、無理だと判断しました。お母様に拘る、全てのスタッフで会議をし、そういう結論に達してしまいました」
え?それは、本当のことですか?どうして今まで、何も言って来られなかったのに、急に?そうなったのですか?頭の中をグルグルと、色んなことが駆け巡りました。数日前に作業療法士さんから、その可能性があるとは聞かされていましたが、どこかでそんなことは無い、と思っていたのです。
一番の問題は、夜間のトイレなのだそうです。少なくとも2~3回はトイレに行くのですが、自力で起立することが出来ないと。しかも布団で寝起きしていると起立が益々困難であろうと。ならば、ベッドにすれば自分ひとりでトイレに行けるのかと聞くと、やはり介助が必要で、ひとりでは無理だとのこと。
毎日夜中に2~3回起きて、母をトイレに連れて行き、翌朝はいつも通り出勤し仕事をする。定年までを考えても、あと7年あるのです。そんな生活を続けていたら、きっと私の方が先に倒れてしまうでしょう。まさかの結果が待っていました。
「そうなん・・・、お母さん、家に帰られんのね。」
湿っぽくならないように、精一杯元気な声を出しました。
「仕方ないんだよ、精一杯頑張ったんでしょ?それでダメだったんだから、もう腹括るしかない。大丈夫!ちゃんとお母さんが気に入る施設見つけるから!毎日顔を見に行けるように、家の近くで見つけるから、ね、毎日会えるようになるって考えたら、ここにいるより楽しいじゃん。私、絶対頑張るから!だから信じて待ってて」
家に帰れることを信じて、辛いリハビリに耐え頑張っていた母を思うと、本当は掛ける言葉も無いのですが、ここで私が暗くなっていては、益々母を落ち込ませてしまう。
一番ショックを受けて悲しい筈の母が涙を見せないのに、私が泣く訳にはいきません。私自身も家に帰れないなど、全く予想していなかったので、これから、山ほどやらなければならないことが待っています。周りの沢山の方々に助けて頂きながら・・・ではありますが、ひとつひとつ、クリアしていこうと思います。
母の為に祈ってくださった皆様、本当にありがとうございました ご期待に添える結果にはなりませんでしたが、これからも前を向いて参ります。
姫気質の母ですが、家に帰りたい一心で、辛いリハビリを、時にはサボり!?時には懸命に、頑張っております。
一ヶ月前の主治医との面談では「退院は8月10日前後になると思います」と言われていました。もちろん、自宅へ戻るという意味です。さて、大変だ。ケアマネージャーさんに連絡したり、諸々の手続きをしなきゃ。
そうだ!そろそろ帰って来てからの、デイサービスの施設に見学に行かなければ・・・と思い、病院のソーシャルワーカーさんから教えて頂いていた、小規模多機能施設に連絡し、見学に行ってきました。
とても設備の整った所でしたし、何よりスタッフの方の対応が良く、是非こちらでお世話になろうと思いました。
ところが、その足で病院へ行ってみると、作業療法士さんから「自宅での生活は、難しいかもしれない」と言われました。そんな!今更何で?と思いながら「先生は8月10日前後に退院と仰ったのですが・・・」と言うと「それはとても無理だと思います。至急主治医に報告して、面談を行って頂くよう申し伝えます」と。
確かに母を見ていると、このまま自宅に連れて帰って大丈夫なのだろうか・・・という不安はありました。でも、主治医の説明を聞かされて以後、病院から変更の連絡など全く無かったので、予定通りなのだと信じていました。
自宅に戻ってからの準備のためにと病院からの要請で、家屋説明書を作成してくれと言われ、提出も済ませています。
こうして、家の中の段差がある部分などを含め、全ての部屋の写真を撮り、サイズを計り、作成します。
母が歩く可能性がある全てのところをチェックし、どこに手すりをつければいいのか、段差をどう解消するのか、病院のスタッフが、家まで来てくれてアドバイスをくれるというのです。
画像が小さくて見辛いので、一部、大きくするとこんな感じです。
あとは、見取り図ですね。これは、母と同居を始めた頃、友達に手紙を書いた時に、大きく変わった家の見取り図を説明しようと、面白半分で描いた物があったのでそれを代用しました。お遊びで描いたこれが、こんなところで役に立つとは思いもしませんでした。
思えば、これについても、何の連絡も無かったので、おかしいといえばおかしかったのですよね。
開口一番、主治医が仰いました。
「ご自宅へ戻られるのは、無理だと判断しました。お母様に拘る、全てのスタッフで会議をし、そういう結論に達してしまいました」
え?それは、本当のことですか?どうして今まで、何も言って来られなかったのに、急に?そうなったのですか?頭の中をグルグルと、色んなことが駆け巡りました。数日前に作業療法士さんから、その可能性があるとは聞かされていましたが、どこかでそんなことは無い、と思っていたのです。
一番の問題は、夜間のトイレなのだそうです。少なくとも2~3回はトイレに行くのですが、自力で起立することが出来ないと。しかも布団で寝起きしていると起立が益々困難であろうと。ならば、ベッドにすれば自分ひとりでトイレに行けるのかと聞くと、やはり介助が必要で、ひとりでは無理だとのこと。
毎日夜中に2~3回起きて、母をトイレに連れて行き、翌朝はいつも通り出勤し仕事をする。定年までを考えても、あと7年あるのです。そんな生活を続けていたら、きっと私の方が先に倒れてしまうでしょう。まさかの結果が待っていました。
「そうなん・・・、お母さん、家に帰られんのね。」
湿っぽくならないように、精一杯元気な声を出しました。
「仕方ないんだよ、精一杯頑張ったんでしょ?それでダメだったんだから、もう腹括るしかない。大丈夫!ちゃんとお母さんが気に入る施設見つけるから!毎日顔を見に行けるように、家の近くで見つけるから、ね、毎日会えるようになるって考えたら、ここにいるより楽しいじゃん。私、絶対頑張るから!だから信じて待ってて」
家に帰れることを信じて、辛いリハビリに耐え頑張っていた母を思うと、本当は掛ける言葉も無いのですが、ここで私が暗くなっていては、益々母を落ち込ませてしまう。
一番ショックを受けて悲しい筈の母が涙を見せないのに、私が泣く訳にはいきません。私自身も家に帰れないなど、全く予想していなかったので、これから、山ほどやらなければならないことが待っています。周りの沢山の方々に助けて頂きながら・・・ではありますが、ひとつひとつ、クリアしていこうと思います。
母の為に祈ってくださった皆様、本当にありがとうございました ご期待に添える結果にはなりませんでしたが、これからも前を向いて参ります。
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