ねこなんて大っ嫌い

ってずっと思ってたのに。
死にそうな子ねことの出会いが生きる力を与えてくれました。
バツ2でも結構幸せにやってます!

従妹からのLineで

2023-10-10 05:55:55 | 雑記
※本日の写真は、ほぼほぼネットでお借りしました。
これは小倉城の写真です。事の始まりは先週の土曜日。現在北九州市小倉区に住む従妹YちゃんからのLineでした。

その日の午後7時半からNHKで放映される「ブラタモリ」で、私とYちゃんの生まれ故郷である、北九州市が取り上げられることを知らせてくれました。早速録画予約をし、楽しみに観ました。


北九州市は赤い点線で囲まれた所。私が生まれ育ったのは地図の右最上部にあたる門司区です。


北九州市は昭和38年、私が5歳の時に、世界に類を見ない5市の対等合併で誕生した100万都市なのだそうです。ブラタモリの中で、大変興味深い話がありました。地図の赤い線で区切られた部分。向かって左側の戸畑市・若松市・八幡市は江戸時代「筑前」であり、右側の門司市・小倉市は「豊前」であったそうで、故に風習も違い、方言も違うということでした。筑前の人は語尾に「ばい」がつき、豊前の人は「ちゃ」がつくという。えぇえぇ、父も母も「ちゃ」言うてました。それにしても、同じ北九州の中でも方言が違うということを初めて知りました。


門司というと、門司港レトロが有名ですね。でも私は父の転勤で10歳までしか門司にはいなかったので、平成7年に出来たこちらには行ったことがありません。


門司港駅も懐かしいですが、私の住まいの最寄り駅ではありませんでした。母に連れられて門司港にはよく行きましたが。


最寄り駅は門司駅でした。のちに兄嫁となったもこちんのお爺ちゃんが、この駅の駅長さんだったと聞き、とても不思議な縁を感じました。もこちんは東京生まれの東京育ちでしたから。


ブラタモリを観ていたら、何だかとても懐かしくなり、グーグルマップで昔住んでいた街が、今はどんな風になっているのかと見に行ってみました。ありました~!ここです。金網のすぐ向こう側に、父の会社の社宅があったんです。産まれたのは母の実家でしたが、その後ここで10年間暮らしました。


そしてそこから路面電車の停留所に向けて進み、振り返ってみたら、それは幼い頃に何度も見た風景そのままでした。赤い矢印の先が、先ほどご覧頂いた私が住んでいた家があった場所です。


3年保育だった私。母の手を握って、通った保育園への道をたどってみると、な、な、なんと!懐かしい保育園まで見つかった!!


60年くらい前ですよ。まだあったのね~広済寺保育園。


園舎は変わりましたが、この門構えは当時のまま。この園庭で遊んだ日々を思い出しました。梶川先生というとても優しい先生とは、大人になってからも手紙のやり取りを続けていましたが、残念ながら30年くらい前にお亡くなりになりました。


先週のブラタモリは、北九州市の前編。今週の土曜日に後編があるそうで、既に録画予約しています。

ブログをご覧くださる皆様には、退屈な記事だったかもしれません。ただ、娘や息子は私のルーツなど知らない筈。だからこうして記事にすることで、知ってくれたら嬉しいなと思います。

それにしても、あの日従妹のYちゃんが知らせてくれなかったら、私は今も知らないままでいたことがたくさんありました。Yちゃん、本当にありがとうね~。頼りにならない従姉妹だけれど、これからもどうぞよろしくお願いします


行かずしてその場所が見られる
グーグルマップも、ありがとう
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