「息子へ」シリーズも回を重ねて参りました。ねこブログなのに、時々こんなのもやっております。笑
息子が結婚して家を出る時に、私から息子へのはなむけの言葉として持たせた「息子へ」という一冊の小冊子。そこから抜粋した、今回は第6話(忘れてはならないこと)をご紹介したいと思います。
子育ては懺悔と後悔の連続でしたが、このことは、私自身も、息子本人も、決して忘れてはならぬことだと、今も思っています。
人間って、辛すぎる事柄を、受け入れられなくなった時、
究極、記憶喪失になるって聞いた事がある。
(自己防衛本能ってすごいね)
もしかしたら、それに匹敵するかもしれない事柄が、
勿論おまえも思い出したくはないだろうけど、
確かにあったよね。
実を言うと
あのことは、
ちょっとばかり
私を記憶喪失にしてしまっているのではないかと思うほどに
私にとって衝撃的な出来事でした。
(情けないことに、実際、私の脳は思い出したくないのか、
切れ切れの記憶しか残っていない。)
おまえが小学6年生の時。
担任の先生からのただならぬ様子の電話。
「お話があります。出来ればご両親揃っている時に
お宅でお話させて頂きたい。」
切迫した先生の声に、
たじろいだ私は
必死でお父さんのスケジュールを頭に浮かべながら
日程を調整した。
「お父さん、お母さん、
先日、お友達数人と横浜に行った修平君(仮名)は、
一緒に行ったお友達のお財布を盗り、
中身の500円を抜いて、
空の財布を
物乞いをしていたホームレスの人の前に置き、
自分が盗った物を
あたかもホームレスの人が盗ったように装ったんです。」
え?
先生、何をおっしゃってるんですか?
修平が?
何で?
そんな訳ない・・・、ですよね・・・。
「修平! 先生がおっしゃったこと、本当なの?」
「・・・・・・・・・・・。」
「ちゃんと答えなさい!!!!」
「う、・・・うん。本当です。」
「おまえ―、何でそんな事すんねん。
それ、たち悪い盗人やないかー、
ええかげんにせぇ、おまえー」
これまで一度だって
手を上げるどころか、
大きな声で叱った事も無かったお父さんが、
いきなりおまえの胸倉を掴んで
振り回すようにして
おまえを殴った。
「おまえを盗人にする為に
育ててきたんとちゃうー。
なんでや、なんでや、
なんでなんやー。」
お父さんは何度もおまえを殴りながら、
子供みたいに泣いていました。
でも、
これまで
何度私に殴られても、
「やめてよー、痛いよー。」と
抗っていたおまえが、
あの時は、
黙って
お父さんにされるがままだったね。
小学1年生の時の、
「子供銀行のお金事件」は、
おまえにとって
何の意味もなさなかったのかと、
もちろん
「ザルで水を汲んでいる」のだと
自分で自分に言い聞かせてはいたものの、
私は、自分の無力さと
底知れぬおまえの無謀さに
打ち負かされそうになっていた。
菓子折りを持ち、
「〇〇君」のお宅に、
お父さんとおまえと三人で
お詫びに伺った。
〇〇君とご両親の前で、
畳に頭をこすり付けて、
おまえのした、許されないその行為を
心からお詫びした。
〇〇君のご両親は、
とても穏やかな良い方たちだったけれども、
無言のうちに
「あなたたちは、どんな子育てをしているのですか?」
と問われている様で
身が縮む思いだった。
お財布を盗んだ時
一番仲の良い友達に
見せびらかすようにしていたということだから、
(結局それで真実が暴露されたんだけどね)
あれは多分、おまえが本当に
最初からホームレスの人を陥れようとしてやった
悪巧みではなかったのだとは思う。
(「おもしろいかな、と思ってやった。」という言葉は今も忘れられないけどね)
だけど、
それにしても
それはやっぱり
絶対に許されることではなかった・・・よね。
辛いこともたくさんあったけど、
私は私なりに
懸命に生きてきて、
懸命に子育てをしてきたつもりだった。
それなのに、
こういう結果が出る。
たぶん、そういうものなんだよ、子育てって。
きっと
みんながみんな、
そうなる訳じゃないとは思う。
でも、そういうことだって、十分にあり得ることなのだと、
今は余り記憶にはないかも知れないおまえに、
少なくとも
おまえ自身はそうだったんだよ、と、
伝えておきたい。
あの時の、
自分を切り裂いてしまいたいと思った私の気持ちを
おまえには、きちんと伝えておかなければならないと
これから親になるであろうおまえに
伝えておかなければならないと、
そう、思ったんだよ。
諦めてはいけない。
どんなことがあっても、
親だけは、
子供のことを最後まで
信じて諭して導いていかなければいけない。
今はとても強そうに見えるだろう私が、
その頃
実はまだ
とても弱かった私自身が、
何度も何度も自分に言い聞かせながら
歩いてきたんだよ。
この事件のことは、当時、思い出すことさえ辛くて、全てを消してしまいたいと何度も思いました。でもだからこそ、決して忘れてはいけないのだと、言い聞かせてきたことでもありました。
第一夫との離婚が、初めての挫折だった私の人生に、それでも足りぬと、遣わされたのが息子だったのかもしれません。今度は女として、ではなく、人として鼻をへし折られなければならなかった私だったのだと思います。
既投稿の記事を貼ってみました。宜しかったらご覧ください。
「息子へ」第1話 (偶然の幸運)
「息子へ」第2話 (ザルで水を汲む如し)
「息子へ」第3話(たこ食った事件)
「息子へ」第4話 (目から鱗)
「息子へ」第5話(父親みたいな人)
息子が結婚して家を出る時に、私から息子へのはなむけの言葉として持たせた「息子へ」という一冊の小冊子。そこから抜粋した、今回は第6話(忘れてはならないこと)をご紹介したいと思います。
子育ては懺悔と後悔の連続でしたが、このことは、私自身も、息子本人も、決して忘れてはならぬことだと、今も思っています。
人間って、辛すぎる事柄を、受け入れられなくなった時、
究極、記憶喪失になるって聞いた事がある。
(自己防衛本能ってすごいね)
もしかしたら、それに匹敵するかもしれない事柄が、
勿論おまえも思い出したくはないだろうけど、
確かにあったよね。
実を言うと
あのことは、
ちょっとばかり
私を記憶喪失にしてしまっているのではないかと思うほどに
私にとって衝撃的な出来事でした。
(情けないことに、実際、私の脳は思い出したくないのか、
切れ切れの記憶しか残っていない。)
おまえが小学6年生の時。
担任の先生からのただならぬ様子の電話。
「お話があります。出来ればご両親揃っている時に
お宅でお話させて頂きたい。」
切迫した先生の声に、
たじろいだ私は
必死でお父さんのスケジュールを頭に浮かべながら
日程を調整した。
「お父さん、お母さん、
先日、お友達数人と横浜に行った修平君(仮名)は、
一緒に行ったお友達のお財布を盗り、
中身の500円を抜いて、
空の財布を
物乞いをしていたホームレスの人の前に置き、
自分が盗った物を
あたかもホームレスの人が盗ったように装ったんです。」
え?
先生、何をおっしゃってるんですか?
修平が?
何で?
そんな訳ない・・・、ですよね・・・。
「修平! 先生がおっしゃったこと、本当なの?」
「・・・・・・・・・・・。」
「ちゃんと答えなさい!!!!」
「う、・・・うん。本当です。」
「おまえ―、何でそんな事すんねん。
それ、たち悪い盗人やないかー、
ええかげんにせぇ、おまえー」
これまで一度だって
手を上げるどころか、
大きな声で叱った事も無かったお父さんが、
いきなりおまえの胸倉を掴んで
振り回すようにして
おまえを殴った。
「おまえを盗人にする為に
育ててきたんとちゃうー。
なんでや、なんでや、
なんでなんやー。」
お父さんは何度もおまえを殴りながら、
子供みたいに泣いていました。
でも、
これまで
何度私に殴られても、
「やめてよー、痛いよー。」と
抗っていたおまえが、
あの時は、
黙って
お父さんにされるがままだったね。
小学1年生の時の、
「子供銀行のお金事件」は、
おまえにとって
何の意味もなさなかったのかと、
もちろん
「ザルで水を汲んでいる」のだと
自分で自分に言い聞かせてはいたものの、
私は、自分の無力さと
底知れぬおまえの無謀さに
打ち負かされそうになっていた。
菓子折りを持ち、
「〇〇君」のお宅に、
お父さんとおまえと三人で
お詫びに伺った。
〇〇君とご両親の前で、
畳に頭をこすり付けて、
おまえのした、許されないその行為を
心からお詫びした。
〇〇君のご両親は、
とても穏やかな良い方たちだったけれども、
無言のうちに
「あなたたちは、どんな子育てをしているのですか?」
と問われている様で
身が縮む思いだった。
お財布を盗んだ時
一番仲の良い友達に
見せびらかすようにしていたということだから、
(結局それで真実が暴露されたんだけどね)
あれは多分、おまえが本当に
最初からホームレスの人を陥れようとしてやった
悪巧みではなかったのだとは思う。
(「おもしろいかな、と思ってやった。」という言葉は今も忘れられないけどね)
だけど、
それにしても
それはやっぱり
絶対に許されることではなかった・・・よね。
辛いこともたくさんあったけど、
私は私なりに
懸命に生きてきて、
懸命に子育てをしてきたつもりだった。
それなのに、
こういう結果が出る。
たぶん、そういうものなんだよ、子育てって。
きっと
みんながみんな、
そうなる訳じゃないとは思う。
でも、そういうことだって、十分にあり得ることなのだと、
今は余り記憶にはないかも知れないおまえに、
少なくとも
おまえ自身はそうだったんだよ、と、
伝えておきたい。
あの時の、
自分を切り裂いてしまいたいと思った私の気持ちを
おまえには、きちんと伝えておかなければならないと
これから親になるであろうおまえに
伝えておかなければならないと、
そう、思ったんだよ。
諦めてはいけない。
どんなことがあっても、
親だけは、
子供のことを最後まで
信じて諭して導いていかなければいけない。
今はとても強そうに見えるだろう私が、
その頃
実はまだ
とても弱かった私自身が、
何度も何度も自分に言い聞かせながら
歩いてきたんだよ。
この事件のことは、当時、思い出すことさえ辛くて、全てを消してしまいたいと何度も思いました。でもだからこそ、決して忘れてはいけないのだと、言い聞かせてきたことでもありました。
第一夫との離婚が、初めての挫折だった私の人生に、それでも足りぬと、遣わされたのが息子だったのかもしれません。今度は女として、ではなく、人として鼻をへし折られなければならなかった私だったのだと思います。
既投稿の記事を貼ってみました。宜しかったらご覧ください。
「息子へ」第1話 (偶然の幸運)
「息子へ」第2話 (ザルで水を汲む如し)
「息子へ」第3話(たこ食った事件)
「息子へ」第4話 (目から鱗)
「息子へ」第5話(父親みたいな人)
ポチ、ありがとうございました~
ホームページでウチの子グッズ販売中!
怒られたことは
良かったことだと私は思いますよ。
バレなかったら・・・もっと エスカレートした可能性もあるような。
誰しも 間違いは起こすものだから。
それに気づき 2度と同じことをやらなければ 良い勉強だったのでは。
確かに。
私にもあります。
記憶が飛んじゃってると言いますか、そんな感じの数年が。
(両親の事故死の時)
でもそんなツライ出来事も思い出も、意味のある事なんですよね。
そこで、何を学ぶか。
その学びこそが、今後の人生において大切な教訓になる。
きっと息子さんも、ポンままさんも、そうなんだろうな~と思いながら読ませて頂きました。
このような小冊子を息子さんに贈るお母さん。素敵です。
この息子さんシリーズ
とても楽しみにしています!
こういう経験を通過したことのない
お母さんだと「え?」って驚かれるだろうと思います。
事の成り行きは様々ですが
男の子がいる母親にとっては
もう ショックやら怒りやら悲しみ落ち込み これからの事…
色んな感情が入り乱れますよね(-_-;)
それが 結構 気持ち引きずっちゃって。
でも大抵の父親は 厳しく叱った後
「男の子なら 一つや二つはあるもんだ。
愛をもって叱ってやれて、普段から抱きしめてやる心があれば
命に関わる大ごとでなかったら良しとしてやれ。」
って思ってるようですね。
そういう気持ち はっきり言って
女である母親は すぐに受け入れられない(笑)
私も ちょっとした経験して落ち込んだ事も(^_^;)
その時「息子を持ったらな、特に思春期は 《いつ命落とすか わからん》ぐらいの
覚悟を持っとかなあかんで。」
って言われて…なんか冷たい?って
更に落ち込みました(T-T)
また 話が長くて(笑)ごめんなさい(^o^;)
今は立派になられた息子さん
だからこそ話せる事だと思います(^-^)
このシリーズ♪
次回も楽しみに待ってます(^-^)
今回のエピソードは胸が痛みました。
男の子なら、悪ノリでやっちゃいそうなことですけど
親御さんのお気持ちは、それは記憶喪失にもなっちゃいますよね。
立派になられた息子さん。
この後、どんな成長を遂げられらるんでしょう。
次回がますます楽しみです。
そもそも友達を笑わせようとして
やったことだったようで
でもそこまで善悪の判断が
出来ない子だとは全く思っておらず
ただただ愕然としてしまいました。
人の物を盗る、というのは、これを最後に
二度とありませんでしたから
やっぱりこの経験は、息子にとって
大きかったと思います。
(あれ?私が知らないだけで、もしかしたら
あったのかしら?と書きながら思っちゃいました)笑
本当にそうだったのではないかと思いますよ。
若くしてご両親を交通事故で亡くされるなんて
記憶、飛びますよね、辛過ぎて。
そんな大きな悲しみとは、比較の対象になりませんが
子供が思ったように育たないのは
親の責任だと思うんですよ、ある程度の年齢までは。
それはまるで「お前の教育は間違っている」と
突きつけられる・・・ってことですものね。
どこがいけなかったんだろう、
どうすればいいんだろうと、苦悩します。
でもこのことがあったから、
息子はその後、二度とこういうことを
しなかったのではないかな・・・とも思います。
まぁでも中学時代はやんちゃしてたので
私が知らないだけで、本当はどうだったかなんて
分からないんですけどね。
次回は夜中に警察署に呼び出されます。笑
いえいえ~私なんて本当にダメダメ母親ですよー。
ただ書くことが好きだったので、せめて文章にして
息子に持たせてやりたいと思っただけでf(^^;)
お褒め頂いて恐縮ですm(_ _)m
チロルママさんは本当に、人を喜ばせることが
お上手です(*≧艸≦)
ですよね~。私もね、一瞬この章は、
投稿しない方が良いかなぁとも思ったのですが
まぁ小学生だった息子のしたことでしたしね。
思い切って投稿しちゃった!笑
いや~この時は、本当に凹みました。
暫くは立ち直れない感じでしたよ。
貧乏でしたけど、愛情だけは
目一杯注いできたつもりでも
その気持ちは上手く伝わっていなかったのだと思って
ホント頭を抱えました。
振り返ってみれば、旦那様が仰ること、よく分かります。
命に係わることでなければ、良しとしなければ・・・って。
でもあの時はそんな風には思えませんでしたね~。
ただ、考えてみると、それまでの人生
結構優等生で、人に指をさされることなど
一度も無かった私でしたので、
当然自分を掘り下げて反省する・・・なんてことも無く。
息子のお陰で、きっと鼻高々だったその鼻っ柱を
へし折って貰えたのだな・・・と思います。
決して立派な息子ではありませんが
自分が許して貰ったことを思い出して
二人の子供たちを許していける父親になってくれたら
嬉しいですね(^-^ )
これがね、結構口うるさくて
ウザい父やってるみたいなんですよー!
コラッ!ですよねぇ。笑
ちゃしろんさんの様な、純粋培養な方に
この話はちょっときつかったですよねー。
そんな記事にコメントくださって
本当にありがとうございますm(_ _)m
でも、私だから、息子の様な子を
持たねばならなかったのだと、今は良く分かります。
次回はまだ、成長途中のやんちゃ時代の話ですが
次々回には、少し笑って頂けるかも(*^。^*)
気長にお付き合い頂けると嬉しいです!
そりゃ、息子君もままんも辛かったでしょうが、
でも、バレて、本当に良かったですよね。
親が自分の前で、人様に謝る姿を見るのは、
すごいショックだったろうね。
でも、自分のために真剣に叱って、真剣に泣いて、
真剣に謝罪する姿は、何よりもの愛なんだって事、
今なら、きっとそう伝わっているでしょうね。
辛い思い出でもあるけど、でも親御さんからの
尊いギフトだね。
いつの頃かな?親だって自分と同じ、
一人の人間なんだって気付いた時、
少し親への目線が変わったって事、ある。
最初っから親じゃないもんね。
親だって子供時代があって親という立場だけじゃなくって、
親にだって親の人生がある。
変だけど、そう思ったら親近感が湧いて、
無性に愛おしく思えた。
母としてではなく、ド天然のカズコという女性を
守ってあげたいって、なんか、思ったな~(笑)。
あれ以来、こういうことが二度と無かったってことは
きっとそうなんだよね。
ただね、息子の場合、私と第二夫が
土下座してるのを見て、ショックだったのかどうか
よく分からんのよねー。
そういう情緒っていうの?
そういうのがちょっと欠けてる気がするの。
それはあの時だけじゃなくて
今もね、感じるのよね、ちょっと。
物凄い分かりにくい子!笑
親がそんなこと言ってちゃダメなんだけど
もうね、今となっては、息子も大人だから
どうすることも出来ない!ほい、諦めた~(*≧艸≦)
カズコさんは、おかっぱさんみたいな子を
持つことが出来て、とっても幸せなお母さんよね。
そんな風に思える程、息子も人として
成長してくれるといいんだけどな~。
ま、どっちにしたって、私が生んで育てた子だから
多くは望めないわ~(^w^)
トンビは鷹を生まないもんねぇ。笑
さっき母の施設から帰って来たのー。そんでもって
これから自治会の定例役員会に行って参りま~す!