江戸の町の商売
〔口八丁、手八丁〕
ガマの油売り口上誕生の背景を理解するためには江戸時代の物売りの状況をしることが必要である。
江戸時代の物売りは、口上を述べたり泣いたり笑わせたりして客を惹きつけ商品を売りさばいた。
最近で言えばテレビショッピング。テレビで某社の社長が商品の性能などを説明しながら商品を販売している。
口上で客を引きつけて商品を売っている。
このような商品販売は、江戸の「口上売り」や「啖呵売」(たんかばい)が元祖である。
調子のよい口上をのべながら見世物で客を集めて薬、歯磨き、化粧品、香料など香りに関係ある商品を扱ったので、“香具”師と呼ぶようになった。
食い詰めた浪人なども威勢のいい居含い抜きで客を集め、薬や歯磨きを売ったので「野士」ともいった。
居合抜きで有名なのは松井源左衛門と浅草・蔵前の長井兵助で、冨山の「反魂丹」という薬や歯磨き粉を売った。
また「泣き売」といって哀れみを誘いながら商品を売るものもいた。
このような商売には、客の中にサクラが紛れ込んで上手く客を乗せる場合が多かった。
口上を述べながら商品を売るものは多かったが、
反対に何も言わず座っているだけで、古道具、書画、骨董など勿体ぶって商品を売る者もいた。
これを「ご覧売」といった。
〔江戸の商売は、零細化の典型〕
一人でなんでも売りさばいた。
〔天秤棒担いで商う様々な行商〕
天秤棒を担いでモノを売る商売はたくさんあった。
新茶売り、キュウリ売り、ソラマメ売り、菅笠売り、笛売り、自然薯売り、
鯛売り、麦こがし売り、白玉餅売り、辛皮売り、タケノコ売りなど
春の季節だけでも多数の行商が有った。
食料品だけでなく、家具や調度品、動物や花や苗を単品で売るから多種多様な商売が有った。
〔技能があれば仕事になった〕
今なら職業とは言えないような技能が大事され。対価が払われた。
たとえば「耳そうじも仕事になった。
耳かきは自分でやっても気持ちがいいが他人にしてもらうともっといい。
水戸藩祖の徳川頼房は大洗海に岸漂着した中国人が耳かきの名人だったので、側近くに召し抱えた。
本所、深川は海を埋め立てたところだった。
井戸を掘って飲み水は出なかったので水売りも江戸に多かった商売である。
また、江戸の町は坂がたくさんあったので荷車の上り下りは苦労した。
体力があれば「立ん棒」といって荷車が見えるといち早く駆け付けて坂の上まで押し上げるのを手伝う仕事があった。
もっと大変なのは重い荷物を積んで坂を下るときで、引っ張り上げながらゆっくり下すのである「立ん坊」という仕事があった。
江戸時代の商売は零細化していた。一人でモノを売る。
技芸を見せたり演じたり、強いては自己の身体的特徴さえも見世物にして銭を稼いだ。
職業が零細化されていたので働く気さえあれば失業をすることはなかった。
ガマの油を売る商売も、その中の一つ、口八丁手八丁で売っていたのであろう。
東海道四十三次、江戸と上方の交流は盛んだった。
儲かるとなれば真似る者が出てくる道理、工夫して自己流のガマの油売り口上を作るのは容易である。
伊吹山にガマ口上がある。筑波山にもガマ口上が有ってもおかしくない。。
ガマの油売り口上を考えと言われている”永井兵助”もその一人であったのだろう。
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