資料室でビデオレクチャーを終えたボクたちは大玄関から玄関棟から入場させていただきました
解説板がありました
なになに??…全国的にも僅かに残る江戸時代の藩校で赤門の愛称で親しまれており廣堂は文政4年(1821)に伊勢津藩10代藩主・藤堂高兌(とうどう たかさわ)の時代に伊賀・大和・山城の領地に住む藩士の子弟を教育するため津の藩校有造館の支校として建てられたもので講堂は創建当時のまま今に残している??…え??藤堂家って奈良県(大和国)にも領地があったの??
その隣は小玄関??…ありゃ??玄関の隣にまたも玄関??
玄関棟と講堂のちょうど間にあるこの小さな小玄関は別名御成玄関とも呼ばれ藩主専用の玄関だったそうで当時の藩主が臨校された際には小玄関から入りこの中庭横の廊下を通り奥の北控所で休息されたそうだよ~
そして講堂だ!!
あまりの広さにありゃま!!びっくりだ!!
え??堂内では講和会やコンサートなども開催されることもあるの??