<われわれは、この資本主義をどうやって克服するのでしょうか? ひと昔前だったら、答えは簡単でした。共産主義革命を起こせばよかった。(中略)
ところが、社会主義体制が崩壊して、その真実の姿が伝えられ、あれはとんでもない体制だったとわかってしまった。これなら後期資本主義の方がよっぽどマシだとなって、資本主義一本で突き進むから、チャプリンの映画よろしく搾取がギューッと強まっている。今はこういう状況なんですね。たぶん、予見される未来においても、出口はないのです。現実がそうであるならば、これはうんとズルイ方法なのだけれども、やっぱり競争にはとりあえず勝たないといけない。競争に勝つためには、何か自分の専門分野を作って、勝間和代さん流に言うならコモディティにならないようにする。単純な代替可能労働商品として使われないようにする。熟練労働者として生きる。これが一つの処世術としてのカギでしょう。
しかし、それでいくら努力しても絶対に大金持ちにはなりません。じゃあ、大金持ちになることに魅力を感じなければいい。あなたはカネを持つ人ほど尊敬するのですか、出世した人ほど尊敬するのですか、ということです。儲ける方がいい、出世する方がいい、というのは一つのシステムから出た流行にすぎません。そして、大金持ちになるのは才能のおかげではありませんよね。他人の労働力をどれだけ搾取するかです。ただ、われわれは大金持ちにはなれませんが、食っていけないほど貧乏にもならない。それが資本主義なのです。映画の寅さんが「稼ぎに追いつく貧乏なし」と言う通りなのです。
もう一つ重要なのは、自分の周りで、直接的人間関係の領域、商品経済とは違う領域を、きちんと作ることです。さっき、自分で実践できないことは言わないと言ったばかりですね。では私自身が何をやっているかを明らかにすると、例えば割り勘はやらないんです。とは言っても、私よりもっと大金持ちの人、あるいは政治資金を潤沢に持っている人、例えば渡辺喜美(よしみ)さんと寿司を食った時に、渡辺さんに「私の分は出しますよ」と言い張りはしません。たぶん、熊手よりは安かったと思うんだけれどね(会場笑)。しかし、寿司屋で出してもらったら、その次は僕が渡辺喜美さんをビストロへ呼んで、僕が出す。分相応のところで、順番に出す。
あるいは、学生たちと呑む時は、学生たちの財布の事情はだいたいわかっているから、取れる学生からは取るし、取れない学生からは取らない。しかし全然取らないと、その学生の居心地が悪いから、「じゃあ、君は500円」「君は2,000円」というふうに取る。「文藝春秋」の記事で読んだのですが、石原裕次郎は仲間と呑みに行った時の集金が実にうまかった、というのです。ほかの俳優たちの様子を見て、誰がどれぐらいの収入があるか、今夜どのくらい持っているかをよくわかった上で、応分に取り立てたのだそうです。ひとしなみに割り勘にはしない。そういうところには商品経済はないのです。これは財布の事情までわかっているのだから、直接的人間関係ですね。頭数でただ割っただけの割り勘は、むしろ資本主義的イデオロギーに毒されており、直接的人間関係にはならないのです。>
□佐藤優『いま生きる「資本論」』(新潮社、2014)の「6 直接的人間関係」の「自分の周りでできること」から一部引用
【参考】
「【佐藤優】報酬と賃金は違う ~いま生きる「資本論」(5)~」
「【佐藤優】剰余価値の作り方:労働時間延長と労働強化 ~いま生きる「資本論」(4)~」
「【佐藤優】制約条件をわかった上でやる、突き放して見る ~いま生きる「資本論」(3)~」
「【佐藤優】アベノミクスとファシズム ~いま生きる「資本論」(2)~」
「【佐藤優】親の収入・学歴と、子どもの学力の関係 ~いま生きる「資本論」(1)~」
ところが、社会主義体制が崩壊して、その真実の姿が伝えられ、あれはとんでもない体制だったとわかってしまった。これなら後期資本主義の方がよっぽどマシだとなって、資本主義一本で突き進むから、チャプリンの映画よろしく搾取がギューッと強まっている。今はこういう状況なんですね。たぶん、予見される未来においても、出口はないのです。現実がそうであるならば、これはうんとズルイ方法なのだけれども、やっぱり競争にはとりあえず勝たないといけない。競争に勝つためには、何か自分の専門分野を作って、勝間和代さん流に言うならコモディティにならないようにする。単純な代替可能労働商品として使われないようにする。熟練労働者として生きる。これが一つの処世術としてのカギでしょう。
しかし、それでいくら努力しても絶対に大金持ちにはなりません。じゃあ、大金持ちになることに魅力を感じなければいい。あなたはカネを持つ人ほど尊敬するのですか、出世した人ほど尊敬するのですか、ということです。儲ける方がいい、出世する方がいい、というのは一つのシステムから出た流行にすぎません。そして、大金持ちになるのは才能のおかげではありませんよね。他人の労働力をどれだけ搾取するかです。ただ、われわれは大金持ちにはなれませんが、食っていけないほど貧乏にもならない。それが資本主義なのです。映画の寅さんが「稼ぎに追いつく貧乏なし」と言う通りなのです。
もう一つ重要なのは、自分の周りで、直接的人間関係の領域、商品経済とは違う領域を、きちんと作ることです。さっき、自分で実践できないことは言わないと言ったばかりですね。では私自身が何をやっているかを明らかにすると、例えば割り勘はやらないんです。とは言っても、私よりもっと大金持ちの人、あるいは政治資金を潤沢に持っている人、例えば渡辺喜美(よしみ)さんと寿司を食った時に、渡辺さんに「私の分は出しますよ」と言い張りはしません。たぶん、熊手よりは安かったと思うんだけれどね(会場笑)。しかし、寿司屋で出してもらったら、その次は僕が渡辺喜美さんをビストロへ呼んで、僕が出す。分相応のところで、順番に出す。
あるいは、学生たちと呑む時は、学生たちの財布の事情はだいたいわかっているから、取れる学生からは取るし、取れない学生からは取らない。しかし全然取らないと、その学生の居心地が悪いから、「じゃあ、君は500円」「君は2,000円」というふうに取る。「文藝春秋」の記事で読んだのですが、石原裕次郎は仲間と呑みに行った時の集金が実にうまかった、というのです。ほかの俳優たちの様子を見て、誰がどれぐらいの収入があるか、今夜どのくらい持っているかをよくわかった上で、応分に取り立てたのだそうです。ひとしなみに割り勘にはしない。そういうところには商品経済はないのです。これは財布の事情までわかっているのだから、直接的人間関係ですね。頭数でただ割っただけの割り勘は、むしろ資本主義的イデオロギーに毒されており、直接的人間関係にはならないのです。>
□佐藤優『いま生きる「資本論」』(新潮社、2014)の「6 直接的人間関係」の「自分の周りでできること」から一部引用
【参考】
「【佐藤優】報酬と賃金は違う ~いま生きる「資本論」(5)~」
「【佐藤優】剰余価値の作り方:労働時間延長と労働強化 ~いま生きる「資本論」(4)~」
「【佐藤優】制約条件をわかった上でやる、突き放して見る ~いま生きる「資本論」(3)~」
「【佐藤優】アベノミクスとファシズム ~いま生きる「資本論」(2)~」
「【佐藤優】親の収入・学歴と、子どもの学力の関係 ~いま生きる「資本論」(1)~」