カワウソは自分の取った魚を岩の上に並べ、前足で押さえながら食べる習性がある。この様子が、人間がお地蔵さんやお墓の前に供物を並べてご先祖さまを拝む姿に似ていることから獺祭(だっさい)と呼ぶのだそうだ。
転じて、作家が執筆中に自分の周囲に本や原稿を広げておくことから、書斎のことも獺祭という。明治期の俳人、正岡子規は「獺祭書屋俳話」という俳句解説書を書いている。
9月19日は子規の命日で「獺祭忌」、または辞世の句に「糸瓜(へちま)」を詠んだので「糸瓜忌」とも呼ばれている。今年は子規の生誕150年にあたる。くしくも先月、子規の未発表の俳句や自画像などが収められた「歳旦帳」が発見されたと報じられた。これは子規が亡くなる前年の1901(明治34)年の正月、年始のあいさつに訪れた客の芳名録のようなもので、弟子の河東碧梧桐(かわひがしへきごどう)らの署名のほか、子規自身も俳句や絵を書き込んでいた。今月30日まで、東京・台東区の子規庵で展示されている。
□南雲つぐみ(医学ライター)「獺祭忌 ~歳々元気~」(「日本海新聞」 2017年9月19日)を引用
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転じて、作家が執筆中に自分の周囲に本や原稿を広げておくことから、書斎のことも獺祭という。明治期の俳人、正岡子規は「獺祭書屋俳話」という俳句解説書を書いている。
9月19日は子規の命日で「獺祭忌」、または辞世の句に「糸瓜(へちま)」を詠んだので「糸瓜忌」とも呼ばれている。今年は子規の生誕150年にあたる。くしくも先月、子規の未発表の俳句や自画像などが収められた「歳旦帳」が発見されたと報じられた。これは子規が亡くなる前年の1901(明治34)年の正月、年始のあいさつに訪れた客の芳名録のようなもので、弟子の河東碧梧桐(かわひがしへきごどう)らの署名のほか、子規自身も俳句や絵を書き込んでいた。今月30日まで、東京・台東区の子規庵で展示されている。
□南雲つぐみ(医学ライター)「獺祭忌 ~歳々元気~」(「日本海新聞」 2017年9月19日)を引用
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