語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【読書余滴】野口悠紀雄の、無利子国債・証券化は朝三暮四の猿向け施策 ~「超」整理日記No.533~

2010年10月17日 | ●野口悠紀雄
(1)2010年度補正予算
 編成が始まったいま、5兆円の追加が考えられているが、財源手当てがはっきりしない。
 これまで「埋蔵金」が使われることが多かったが、尽きてきた。
 政府紙幣、無利子国債、国有財産の証券化などが議論されているが、非正当的な「奇策」である。国債発行、増税などの正統的手段に比べてなんの利点もない。財政が抱える深刻な問題を覆い隠すという意味で害悪をまきちらす。

(2)無利子国債
 利子がゼロでは、買う人がいなくなる。購入者になんらかの恩典を与える必要がある。保有者に対する相続税の免除が考えられているようだ。
 しかし、将来の相続税収入の先食いという点で、国債と同じである。
 しかも、利子支払いがなくなっても、税収入が減る。利子喪失分より相続税免除額が大きければ(そうでなければ買わない)、国庫収入はネットでマイナスになるのだ。

(3)国有財産の証券化
 原理的にはいかなる資産も証券化できる。ただし、そのためには絶対に必要な条件がある。対象資産が現金収入(キャッシュフロー)をもたらすことだ。それがないと、証券化商品の利払いができない。
 この点で、国有財産には大きな問題がある。現金収入をもたらす資産はあまり多くないからだ。
 現金収入をもたらす国有財産もある。しかし、それらを証券化すると、国庫の収入が減る。
 証券化は、将来の収入の先食いであって、通常の国債と同じ機能である。

(4)朝三暮四
 奇策の経済的効果は、国債と同じである。
 しかし、一見国債を増発せずに問題が解決されたかのような錯覚に陥る。問題の隠蔽である。
 国債増発は世論の批判にさらされる。そこで政府は、埋蔵金を使った。経済的には国債増発と同じことなのだが、(強い)批判はなかった。中国の故事、「朝三暮四」そのままだ。
 味をしめた政府は、猿向けの奇策を採って、この予算編成だけしのげばよい、と考えているのか? だとすると、国民を愚弄している。
 あるいは、本当に有効な方法だと考えているのか? だとすると、政府の知的レベルは救いがたい。

(5)非正統的財源調達手段の他の問題
 基礎年金の国庫負担引き上げに年金積立金を使うことが検討されている。しかし、これは国庫負担率引き上げの趣旨に反する。
 年金財政逼迫の解消策として、保険料の引き上げや給付削減という年金制度「内」の施策をとれば、保険料支払者や受給者の負担が増える。だから、国庫負担という年金制度「外」の方策を求めた。
 ところが、そのための財源を年金積立金に求めるのでは、「元の木阿弥」である。負担は年金制度「内」に戻ってしまう。
 精神が錯乱しているとしか、言いようはない。
 財源手当てを怠ってきたのは、自民党も民主党も同じだ。しかし、民主党は子ども手当などのバラマキを増やしている。

(6)「政治主導」
 予算編成における「政治主導」とは、財政運営のビジョンを明確にすることだ。
 子ども手当や農家個別所得補償などマニフェスト関連施策を継続して財政破綻を導くのか?
 年金はどうするのか?
 恒久的財源は、消費税なのか、他の税目なのか?
 これらに対する明確な方向付けを示すことこそが、「政治主導」である。

【参考】野口悠紀雄「無利子国債・証券化は朝三暮四の猿向け施策 ~「超」整理日記No.533~」(「週刊ダイヤモンド」2010年10月23日号所収)

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【大岡昇平ノート】『死霊』をめぐって ~埴谷雄高との対談~

2010年10月16日 | ●大岡昇平
 『二つの同時代史』から、『死霊』をめぐる対話を抜きだしてみる。【 】内は引用者による補足。

●『死霊』は何と読むのか(Ⅱ章)
大岡 同時代にわからないものがあるってのは屈辱だから、この対談の間にらちをつけちまおう、ってのがこっちの目標さ。きみがおれに声をかけてきたのは、おれが『レイテ戦記』で大勢が死んだ話を書いた時からだよ。あれ以来おれは戦後文学派のなかに入ったわけだから、やっぱり『死霊』のせいだ。
埴谷 そうかな、『死霊』の呪縛にかかったのかな。
大岡 あれは怨霊だから「シリョウ」と読むはずなんだけれども、きみは「シレイ」と読まさすの?
埴谷 そうなんだ、無理を承知で。日本語は怨霊のリョウなんだけれども、そうすると恨めしやという感じになっちゃうんだよ。日本の怨霊は全部或個人に恨めしやという感情をもって出てくるんだね。ぼくのあそこに出てくる幽霊はみんな論理的な、しかも一見理性的で全宇宙を相手にするような途方もない大げさなことばかりしゃべる。そういた理性的幽霊しか出てこないから、いわば「進歩した」現代の語感をもってシレイと無理に読ませてるんだ。

●『死霊』を支える死者(Ⅶ章)
大岡 【『死霊』の初めに出てくる】「悪意と深淵の間に彷徨いつつ、宇宙のごとく私語する死霊達」。これは献辞かい?
埴谷 献辞だ。
大岡 つまり、これを書いたものということなのか。それとも死霊たちによって支えられておれは書いているんだということなのか?
埴谷 支えられているんだ。
大岡 そこのところがわからないように書いてあるわけ?
埴谷 いや、それはわかるように書いてある。このあいだも少し言ったけれども、【 『ファウスト』の】ゲーテは精霊に救われてるんだ。ドストエフスキーは神と悪魔に救われている。ろころがぼくたちにはそういう救いは何もないわけだ。それできみみたいに事実から出発して、たとえば日本が敗けたとききみがローソクを消した真っ暗闇のなかで涙を流すということを書くことは、これは本当に底の底から書いた文字の尊さといえるんだけど、ぼくはその事実を超えた数億年後の人間をいま書こうとしているわけだから、そうするとドストエフスキーやゲーテに習って、現実にないものを何とか使わないとやれない。そのために死霊を使うわけなんだよ。
    死者のみがぼくの妄想を支えてくれる。人間も自然も宇宙も、重さと広がりを持っている。質量があって重力を持っているわけだ。ところが引力も作用せず、形もなく、重さもないものは、死霊しかないんだ。ぼくは死霊を使って初めて、妄想を妄想でないごとく書けると思ったんだ。
 (中略)
大岡 きみとの付き合いは全然なかったけども、とにかく戦争の死者と、それから革命の死者ということをきみは言っていたね。
埴谷 そういうものが、現在のわれわれを支えているということなんだよ。
大岡 そうすると『死霊』は革命で死んだ死者というわけか。
埴谷 そういうことだ。
大岡 戦争はこれには出てないね。
埴谷 戦争はそちらの『レイテ戦記』や『俘虜記』や『野火』にまかせて、ぼくの『死霊』第五章の『夢魔の世界』というのは、革命で殺された奴が出てくるんだよ。
大岡 五章へきてやっとお前さんは理解されたんだよ。三章まではみんな何とか読んでいたけども、あれがベストセラーになったというのは、五章へきてやっと意味がわかったということからだ。
埴谷 そういうわけだね。平野謙が「お前の主人公は誰だ」というから、「ずっと後、五章くらいになって出てくるんだよ」と言ったら、「エッ! そういうことなのか」と言っていたよ。それはしょうがないんだ。初めに狂言回しはたくさん出てくるんだけど、本当の主人公あh五章ぐらいになってやっと出てくるわけだから、どうしようもないね。
    七章や八章が書けるかどうかわからないけれども、とにかくそういうことが考えられている。そういうものが戦後出てきたということは、やはり革命運動とか戦争とかの死者たちという重い背景があったからであって、それが戦後文学の大きな支えになっているんだ。深さじゃないけどね。そちらのこちらのもまだまだ深いとは言えない。ただし、大きくなったのは、戦後にわれわれが出てきてからですよ。そうぼくは信じている。

●深夜の饗宴(Ⅷ章)
埴谷 『死霊』を書くのは真夜中すぎなんだよ。 

●戦後文学(Ⅷ章)
埴谷 だいたいおれの『死霊』というのは、「近代文学」の第1号に出ているんですよ。このおれの『死霊』が終わらないうちは戦後文学は終わらないと思っている。
大岡 そりゃ、大変な自信だ。いつまでも完結しないでもらいたい(笑)。 

●武田泰淳とのつきあい(Ⅷ章)
埴谷 (前略)ところで、『死霊』のいちばんはじめの読者は武田なんだよ。武田は中国から帰ってきてしばらくたったある夜、おれが家族と晩めしを食っていると、千田九一というやはり中国文学の仲間と一緒にぼくのところへ訪ねてきたんだ。あの頃は相手がいるかいないかも考えずにいきなり行ってしまうんだよ。それがいちばんはじめ。
大岡 いつごろ?
埴谷 21年の秋。武田が帰ってきてそれほど経っていない。武田がぼくのとこへきて、とにかく「『死霊』は面白い、ああいうのはいままでの日本文学にないものだっていって、それから武田とのつきあいがはじまった。(後略)

●政治(Ⅸ章)
大岡 (前略)武田泰淳が『死霊』に共感したっているのも、そこに政治があるからだろう。
埴谷 もちろん武田にもそういう経験があるからね。
大岡 そういうことがピンときたのじゃないかな。とくに武田と野間には。野間の文体は『死霊』の影響があるよ。ねちねちとアプローチしていくというやり方ね。(後略)
 
●武田泰淳の『死霊』に対する挑戦(Ⅸ章)
大岡 (前略)文士てえのは因業な商売だよ。武田の『富士』を読んでから、こんど『死霊』を読むと、あれには埴谷の『死霊』を食っちゃおうっていう武田の意気込みが見えるね。だからあいつ瘋癲病院を書き出したんだよ。
埴谷 そうなんだ。きみが国木田独歩に挑戦するごとく、武田はおれの『死霊』に挑戦している。『富士』には「あっは!」と「ぷふい」もでてくるんだよ。「あっは!」と「ぷふい」がちゃんと出てきた上に、それから「黙狂」も出てきて、『死霊』にそっくりな設定をして挑戦している。それでやっと埴谷を超えたと武田は思っていたんだ。きみと同じで、あいつを超えなくちゃという対抗心と戦闘の精神は武田にも旺盛で、いろんな作家に挑戦したあげくに最後に残ったのがおれだったんだ。この『死霊』に対する『富士』の挑戦については、批評家は誰も触れていなくて、ただひとり亀井秀雄だけがそのことを指摘している。そして、ずっとあとだけれど、こんどは加賀乙彦が同じような指摘をしている。

 【長いので一部要約する。武田泰淳は挑戦精神が旺盛で、あいつは大丈夫、こいつも・・・・と鉛筆で名前を一つずつ消していった。武田はいつもはじめがよくて、最後はダメになるのだが、『富士』は最後までしっかりと持続している、というのが埴谷雄高の評価である。】

大岡 でも、『死霊』の第五章が出たときは、あれは武田にはなんともショックだったろうと思うよ。『快楽』はそれを目標にして中断したんだから。これは百合ちゃんがいっていたのか、何か書いたものがあったか忘れたけど、武田は挑戦相手の名前をリストにして、あいつはやっつけたって棒を引いて、また次にあいつもやっつけたと棒を引いて名前を消していったんだ。
 
●虚体(ⅩⅢ章)
埴谷 それは実証的物理学。おれのは妄想駅物理学だから、何でも自分流につくってしまうんだ。それでおれの頭にできあがったのが「虚体」なんだよ。その時代にはブラックホールという考えはまだなかったんだけど。
    「虚体」というのは、やはり、薄暗い独房のなかでの妄想の産物だな。僕は般若というのが本名で、だから般若心経の「色即是空、空即是色」というのは子どものときから頭に入れられている。しかし僕の考えるところでは「空」では足りないんだな、やはり「虚」というしかない。ひっくり返して「空即是色、色即是空」といってもそれは静止的空間なんだよ。何かの創造、つまり、虚無よりの創造の観点に立つと、「空」はすでにそこに静止的に在って、無からの創造という点で物足りない。ところが老子の「虚」というのは、生産的ななにかなんだな。
    だから、どちらかとえいば、僕は老子的「虚」に辿りついたわけだけれど、そこにポーとブレイクがはいってくる。ポーのイマジネーション、ブレイクのヴィジョンははやり生産的なものなんだね。そして、ポーを推しすすめるとイマジナリー・ナンバー、虚数へまで達する。マイナス1の平方根というのはすごい考え方なんだよ。虚数がなければ実数もない。
大岡 おれもこんど『死霊』を通読して「虚体」という考えが一番興味深かった。「虚体」を翻訳するときは、なんとかって外人みたいにエンプティなんていうよりは、虚数のイマジネールがいいだろうね。
埴谷 そうだね。イマジネールが生産的だが、この「虚」の翻訳は難しくてね。「虚像」はヴァーテュアル・イメージだから、そちらも考えてみたが、どうも何もない「虚」ではなくて、能産的な「虚」だから、適切というような訳語がないんだ。何もないようでいて、必ずそこから新しい何かが出現しなければならないんだから。ブラックホールでもビッグバンみたいにさらに爆発するかもしれないという仮説もあるしね。

 【長くなるから端折るが、埴谷雄高は詩人の菅谷規矩雄の議論を引いている。マイナス1の平方根の「冪」をとりあげて、「虚」は「負」の根となっていると言っているのだが、これはわが意を得た「虚体」論だ、と。】

●「愁いの王」(ⅩⅢ章)
大岡 (前略)話を『死霊』にもどすけど、この小説の中には、終戦直後からいままで断続して書いているうちに戦後の様々な事件が影をおとしているよね。第五章『夢魔の世界』のリンチ事件でも、戦争中の共産党のリンチ事件を踏まえているのはもちろんだろうけど、やっぱり連合赤軍のリンチ事件が踏み台だろう。
埴谷 それは、先号で話したように、君が安保を契機に『天誅組』を書きついでいったのと同じなんだよ。
大岡 そういう意味では『死霊』は戦後の歴史だよ。というよりはこれは戦後の虚史か(笑)。
埴谷 そういうわけかな(笑)。
大岡 「愁いの王」てのは、あれは天皇じゃないのか。
埴谷 まあ、大きくいえば、そうだよ。ああいう天皇がひとりくらいいてもいいといった意味での」愁いの王」だ。
大岡 つまり自分の臣下が一人もいない天皇になった。象徴になっているからね。
埴谷 日本では、だれもそういうことを文学的に象徴的にやっていないよ。政治的な、社会主義的な観点からの天皇制は論じられているけどね。しかし、あれはまた現天皇制に対する爆撃なんですよ。大絨毯爆撃。
大岡 そういう意味でも戦後の虚史だよ。これはおれが初めて言いだしたことだぞ(笑)。これでいいだろう?
埴谷 うーん。「虚体」をいいだした以上しようがねぇ。

●風俗となった『死霊』(ⅩⅣ章)
埴谷 (前略)大久保清という、八人の若い女性を白い車に乗せて、次々に強姦して殺した男がいるんだけど、これが何をもっていたかっていうと、柴田翔の『されどわれらが日々』と『死霊』なんですよ(笑)。自動車の中に。左翼の退廃の象徴ここにありって、あのとき、ずいぶん俺もからかわれた(笑)。
大岡 社会面は大きいからな。おれの『武蔵野夫人』も日暮里かどこかの電車事故で、身元不明の女性が持っていた。それからぐんと延びた。ところで俺は『死霊』第五章の少し前に出した『少年』という力作がてんでに食われちゃった(笑)。
埴谷 いや、食ったわけじゃなくて、大久保清の目のつけどころがそこまで時代の退廃を包みこんでいるわけだよ。もうどうしようもないね(笑)。

【参考】大岡昇平/埴谷雄高『二つの同時代史』(岩波書店、1984)
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【大岡昇平ノート】荒正人・石川淳・鉢の木会 ~埴谷雄高との対談~

2010年10月15日 | ●大岡昇平
 大岡昇平は、1909年(明治42年)3月6日生、1988年(昭和63年)12月25日没。
 埴谷雄高は、1909年(明治42年)12月19日生、1997年(平成9年)2月19日没。
 二人は同時代を生きた。それぞれの生涯を回顧した対談が『二つの同時代史』である。対談は、1981年6月22日から1983年9月13日まで14回にわたって行われた。

 20世紀の大部分を生きぬいた二人だから、話題は豊富だ。そして、それが自ずから時代の証言となっている。ことに作家の逸話、文壇秘話がおもしろい。
 たとえば、荒正人。近代文学社発行の雑誌「近代文学」の創刊時同人の一人である。他の同人は、平野謙、本多秋五、埴谷雄高、小田切秀雄、佐々木基一、山室静だった。
 埴谷雄高は荒正人を異常児と呼んでいる。
 荒は、自分の気持ちにちょっとでも引っかかるところがあると、その出版社の社員に朝の3時でも4時でも電話をかけた。ある出版社の社員があまりに困ったので、埴谷が間にはいり、いっしょに荒に話に行った。荒、社員に向かっていわく、「私を日本人だと思ってはいけません。私はユダヤ人です」
 埴谷はいう。「とにかく荒は生まれた瞬間から異常児なんだから」
 大岡、「集英社で漱石年表をやったときでも、女社員が二人、なんかミスして、土下座であやまされたっていう話を聞いたな」
 埴谷、「そうだよ。荒が喧嘩していない社はないんだよ。そして、喧嘩をすると、すぐ社長を呼べというんだ」 
 荒の尻ぬぐいはいっぱいあった。加藤周一や中村真一郎が荒に軽井沢コミュニストとやられて、マチネ・ポエチックの3人は全部脱退するという騒ぎになった。埴谷は荒を連れて、森有正と会った。森有正は加藤周一たちの先輩だから、その言うことを聞くだろう、というわけだ。荒には黙らせて、埴谷が森有正を説いた。「近代文学」は大同団結で、内部批判は互いにやってかまわないんだから、脱退する必要はない・・・・。
 加藤周一も、エゴイストよ、門は開かれている、出て行け、などと「イン・エゴイスト」という文章を書き、荒を怒らせた。
 埴谷、「本当にトラブルメーカーはいつも荒で、佐々木甚一と俺がいつもなだめ役。しかし、荒は実務派だから彼が事務局をやってなかったら、『近代文学』はあれほどつづかなかったね」
 本多秋五は大人だから最後まで我慢していたが、荒が亡くなったときの彼の追悼文は「不思議な文章」であった。いかに埴谷たちが悩まされたか、ということが書いてあったのだ。追悼文に。

 あるいは、石川淳。エネルギーに充ち満ちた豪放な文章の書き手だが、若いときは無頼で鳴らした。
 戦後すぐ中島健蔵と野上彰が「火の会」をつくった。「近代文学」の編集室が二階にあった文化学院で、「火の会」の何回目かの集まりがあった。
 当時、石川淳は酒癖がわるく、酔っぱらってみんなの酒びんを倒しまわった。中島健蔵たちはみんな、石川淳を殴った。
 埴谷たちが夜の編集会議をおえて出てきたら、誰か階段に倒れている。石川淳であった。
 中島健蔵が出てきて埴谷たちを説教した。「近代文学」のきみたちが石川を褒めるから、あん畜生がのさばっていけない・・・・。
 石川淳は人が大勢いると目立ちたがった。芥川賞選考会でも、反対意見を出す委員に「バカヤロー」とすぐ言う。「バカヤロー」は、その頃の癖であった。言われた委員は怒り出し、選考にならない。
 埴谷の家でダンスパーティが開かれたときのこと。石川淳は踊らないで、飲んでばかりいる。そのうち酔っぱらって、例の「バカヤロー」がはじまった。佐々木甚一の細君をつかまえて、「おまえは間男をする女だ」。
 中薗英助がもうれつに怒って、石川淳の前に座った。
 「わたしはどうですか」
 石川、「おまえもバカヤローだ」
 中薗英助が怒鳴った。「きさまもバカヤローだ」
 石川はパッと立ち上がり、サッと玄関に出て靴を履いた。あわてて見送った安部公房、「ああ、石川さんはけんかがうまい、逃げるのが」。
 埴谷からこの逸話を聞いた大岡昇平、総括していわく、「うまいね、それは。前に殴られた経験があるからだよ(笑)」。

 「鉢の木会」は、戦後派の作家・評論家が歓談する集いである。1949年頃、中村光夫・吉田健一・福田恆存の3人が始め、後に大岡昇平・三島由紀夫・吉川逸治・神西清(1957年病没)が加わった。丸善が「鉢の木会」に話しを持ちこみ、大判の季刊文芸誌『聲』を刊行した。1958年から1960年まで、全10号しか続かなかったが、掲載された6編が賞を得ている。福田恆存『私の国語教室』、山本健吉『柿本人麻呂』、円地文子『なまみこ物語』、中村光夫『パリ繁昌記』、福原麟太郎『チャールズ・ラム伝』、江藤淳『小林秀雄』である。
 「鉢の木会」はなぜ消滅したか。以下、ウィキペディアによれば・・・・
 「一番年少の三島にとっても先輩格に当たるこれらの面々から、会の一員として迎えられたことは大きな自信になった。だがメンバーの一人吉田健一から『お前は俗物だ。あまり偉そうな顔をするな』と面罵される事件が起きた。三島は吉田から酷評された長編『鏡子の家』に続いて、有田八郎元外相をモデルにした『宴のあと』を書き、有田側からプライバシー侵害で訴えられていた。当初吉田健一は、父吉田茂元首相・外相の人脈で仲裁しようとしたが、結局三島を裏切り有田側に立つ発言を行い、二人は決別した。三島と中村はその後も共著を出す等、各個人同士での交流は在ったが、集いは自然消滅した」
 しかし、大岡昇平によれば、話はだいぶ違う。
 三島由紀夫が抜けたのは、文学座と福田恆存の「雲」とが分かれたからだ。「これは『雲』と杉村春子らが別れた日付ではっきりしているはず」と大岡。
 また、大岡昇平が抜けたのは、福田恆存が日本文化会議を起こしたからだ。「よき思想の集まり」・・・・。大岡いわく、「おれは福田の顔を見るのがいやになっちゃったんだよ(笑)」。
 要するに、二人とも福田恆存が脱会の本当の理由なのであった。
 しかし、表面は吉田健一のイヒヒの笑い声ということにされた。
 三島由紀夫は、新築祝いに招いた吉田健一に、なにか置物を手にとっては「おっ、これは高そうなもんでございますね、エッヘッヘッ」とか、東京会館のレストランのコックを呼んでつくらせた料理を「あっ、これはとても普段食えない」とか言われて嫌な顔をした。吉田が帰ってから、大岡昇平と中村光夫が三島を慰めた。「そのころはおれも三島と仲がよかった」
 大岡、「会えば会うほど吉田の奇声には悩まされた」「モーツァルトが聞いたら発狂するだろうという調子っぱずれな声でワアワアやるんだよ」「67年に、おれは朝日の文芸時評をやってたから、あいつの小説を、あまりたいしたものじゃなかったけれど、お愛想にほめたんだよ。そうしたら次の『鉢の木会』のときに、あいつ、『大岡さん、なんか言ってましたね、イッヒッヒッ』って言いやがった。本当にしゃくにさわる(笑)。それでおれ、中村に電話して脱退したんだ」

【参考】大岡昇平/埴谷雄高『二つの同時代史』(岩波書店、1984)
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書評:『誰もがみんな嘘をついている』 ~深層心理学的人間関係論~

2010年10月14日 | 心理
 
 嘘とは何か。
 わざわざ辞書にあたらずとも、誰もみんな、過去をすこしばかり顧みれば、さほど困難を覚えることなく嘘を定義することができるだろう。
 すなわち、「真実でないこと、またはその言葉」だ。

 だが、著者は男女関係論及び精神身体医学を専門とする心理学者である。その専門的見地からすれば、真実と嘘とは相対的関係にあるのではない、と喝破する。
 それどころか、相互に平行して走る2本のレールのように不即不離の関係にあるのだ。
 だから、嘘の達人は、嘘にできるだけ多くの事実を取り込むのだ。

 人はなぜ嘘をつくのか。
 自分の目的を達成するため、あるいは自分の目の前の障害物を避けるため、である。
 ここで著者は、善悪の価値判断はさて措いて、嘘をつく必要性がいつ生じ、どのように発展するかを理解することが重要だ、という。嘘は、無意識という心の深層部で不安や罪の意識の原因となっている葛藤を隠し、あるいは無視するところから生じるからだ。

 こうした行動の可能性の範囲は無限だから、列挙も分類も完全なものにはならない。
 そう断った上で、著者は、(1)発達期における「一時的な嘘」と(2)日常的に見られる「性格に関する嘘」を区別する。そして、それぞれ嘘の型を幾つか分類する。
 (1)「一時的な嘘」には、次のものがある。
   子どもの嘘
   恋人たちの嘘
   治療としての嘘

 (2)「性格に関する嘘」には、次のものがある。
   アイデンティティの嘘
   中傷
   弁解の嘘
   人に好かれるための嘘
   臆病から出る嘘
   人を惑わせる嘘
   人を試す嘘
   非常時の嘘
   人のための嘘
   目的のない嘘
   自分自身への嘘

 読者は、本書を通じて嘘を見破る術を身につけることができるだろう。
 だが、これは皮相的な効果にすぎない。
 じつは、嘘をうみだす深層心理への接近のほうが重要なのだ。人がしばしばこころのうちに抱く葛藤の理解である。葛藤を理解することで、自分自身と折り合いをつけることができるし、人間関係の調整に寄与する。
 本書のねらいはここにある。

 こう書くと、何やらむずかしい議論に終始しているかのような印象を与えてしまうが、心理学的考察は巻末の解説で集中的に語られているだけだ。
 全体の8割はミステリー・タッチの小説もどきなのである。読者はひたすら楽しめばよい。そして、じじつ楽しめる。それも当然だ。著者は、聴衆と批評家の絶賛をあびた(と著者紹介にある)劇作さえものしているのだ。
 読者は、興にのって読み進めるうちに、嘘のさまざまな諸相をひととおり頭に入れることができる。その後は、読者各自の仕事である。

□ジャンナ・スケロット(リッカルド・アマデイ訳)『誰もがみんな嘘をついている』(青山出版社、2000)
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書評:『私はどこから来たのか -母と娘のユダヤ物語-』

2010年10月13日 | ノンフィクション
 ユダヤ人には、旧約「エステル記」にあるように「わが家系の記録」を記録し、朗読する習慣がある。
 本書は、名も無き女性による「わが家系の記録」である。
 ただし、原題『彼女はどこから来たのか:ある娘によるその母の経歴の探索』のとおり、母フランシスに焦点があてられている。
 次の二点に注目したい。

 第一、母子関係。
 著者は母の、そのまた母つまり著者の祖母ヨゼフィン(ペピ)まで家系を遡る。祖母と母の母子関係が浮き彫りにされる。それは自分とb母との母子関係と重なるのであった。
 すなわち、本書には三代にわたる二つの母子関係が描かれる。
 娘ヘレンは「あらゆるものを母の目と心を通して見てきた」と漏らすが、母フランシスもまた、祖母ペピが経営する職場で育ち、同じ職業ドレス・メーカーの道を歩んだ人であった。

 第二、チェコ・ユダヤ人のアイデンティティ。
 祖父母には、自分たちがユダヤ人であるという意識は乏しかったらしい。ことに豪商の祖父は、自らの帰属集団をプラハのドイツ貴族社会に置き、ユダヤ・コミュニティとはまったく交わらなかった。ハプスブルグ帝国内のユダヤ人集団は、二極に分化していた。
 母は、産まれるやいなやカトリック教会で受洗させられた。
 子ども時代の母は、通ったフランス系の学校で、ユダヤ人に対するいじめが起きるといじめる側に加担している。
 だが、本人の自意識に頓着なく、ナチス・ドイツは祖父母も母もユダヤ人と同定し、強制収容所へ送った。
 迫害される立場を同じくすることで、母はいやおうなくユダヤ人社会に組みこまれていった。同胞の相互支援の輪の中に入ることで生き延びたのだ。

 ところで、祖母ペピにせよ、母フランシスにせよ、特別な業績を世に残した人ではない。個性的ではあるが、古今東西、どこにでもいる一人である。生活のために働き、無力感から自殺を念慮し、服の創造という喜びを知ったがゆえに不実な夫に耐えることができた・・・・。
 こうした立場に立つ女性なら、それまでに数多くいたし、これからも数多く登場するにちがいない。
 だが、生きる条件が共通する無名の人たちには、それぞれ、その人固有の、他に代えがたい人生が存在した。
 厚みはあっても、ありふれているがゆえに、通常、時とともに忘却される人生が、たまたまその娘(孫)がたまたまジャーナリストであったがゆえに、米国やユダヤ人社会はもとより、極東の読者にも知られることになった。

 無名人名語録・・・・いや、これは永六輔の本のタイトルだ。それに、気の利いたセリフはとくに登場していない。
 かといって、無名人名人生などと名づけても、ちっとも人口に膾炙しないだろう。しかし、本書を読むと、流行らなくてもよいから、そう呼んでみたい気がする。

□ヘレン・エプスタイン(森丘道訳)『私はどこから来たのか -母と娘のユダヤ物語-』(河出書房新社、2000)
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書評:『二毛猫アーヴィングの失踪&ボロの冒険』

2010年10月12日 | 小説・戯曲
 辛辣にして諧謔にみちたコラムを続々と量産し、名だたる政治家その他の有象無象の心肝を寒からしめると同時に、名もない大衆を抱腹絶倒させたバックウォルドは、じつはゆたかな童心の持ち主であった。
 その童心の証明が本書。
 おとなと子どもの両者のための童話である。

 2編の短編を収録する短編集だが、その一編『二毛猫アーヴィングの失踪』は、キャット・フード社のモデル猫アーヴィングが主人公である。
 キャット・フードを手ですくって食べるという特技をもつ猫・・・・ちょっと想像するだけで、胸がキュ~ンとなりませんか。

 アーヴィングは、毎度おとなしく撮影されていたのだが、とある撮影日に飼い主が急病にかかって入院したどさくさにまぎれて行方不明になった。
 ために、宣伝部長エドガー・アレン・マグルーダーがきりきり舞いする。

 マグルーダーは若くして部長として迎えられた切れ者だが、哀しいかな、猫アレルギーのため、毎週の撮影日には胃にガスがたまってゲップするのだ。
 こうした滑稽なしかけが随所に用意されていて、愉快だ。

 猫の誘拐があれば、ペット探偵も登場するし、社内政治の力学だって描かれる。
 一見ドタバタ喜劇ふうだが、辣腕コラムニストの諷刺は随所に発揮される。

 ちゃんと大団円が用意されているから、安心して読み進めよう。
 狂言まわしをつとめるマグルーダーは、部下のマリアとハワイへハネムーンに飛び立つし、失踪したアーヴィングを首尾よく探し出したペット探偵アラン・ピエール・ベルナン警部は、英国政府の依頼によりネス湖の怪獣を捜索するにいたるのである。
 ネタばれになる? いや、どうしてどうして。「二毛猫アーヴィング」の絶妙の文章は、要約では伝わらない。
 プディングの味は食べてみないとわからない。至福の味わいは、みずから本をひもといて。

□アート・バックウォルド(永井淳訳)『二毛猫アーヴィングの失踪&ボロの冒険』(文春文庫、1987)
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【読書余滴】ちくま文学の森 ~こうのとりになったカリフ~

2010年10月11日 | 小説・戯曲
 好みの動物に変身できる魔法の粉と呪文を手に入れたバグダッドのカリフ、カシドは、お気に入りの宰相マンゾルとともにコウノトリに変身する。
 おどろいたことに、姿が変っただけではなく、コウノトリの言葉も聞き分けられるようになったのだ。
 珍奇な体験を楽しんでいる最中、若いコウノトリ嬢のあで姿に、思わず呵々大笑してしまった。禁じられていたのに。笑ったら、もとの姿に戻るための呪文を忘れてしまうのに。

 ふたりが失踪して4日目、住民は新たな王、ミズラに付きしたがった。
 このありさまを見て、カリフ・カシドは翻然と覚る。なぜ魔法にかかったかを。
 かの魔法の粉と呪文の出所は、ミズラの父、大魔術師カシュヌルなのであった。カリフの不倶戴天の敵であった。

 その夜の宿、廃屋で、インド王の姫ルーザと出会った。彼女は、カシドおよびマンゾルと同様にカシュヌルの魔法によってフクロウに変身させられていた。
 ふたりは、ルーザの示唆にもとづいて、カシュヌルら魔法使いどもがその夜ひらく宴会を盗み聴くことにした。
 悪事の自慢話が続く中で、動物から人間へもどるための呪文も話題になった。
 「ひどくむつかしいラテン語で、ムタボルというのさ」

 バグダッドの住民は、死んだと目されていたカリフの生還を喜び迎えた。
 カリフの怒りは激しかった。カシュヌルとを絞殺させた。その息子ミズラはコウノトリに変身させ、鉄の籠にとじこめて庭に据えさせた。
 そして、同じく人間にもどった美しいルーザ姫を妃としてめとり、楽しく長生きした・・・・。

   *

 『変身ものがたり』所収の『こうのとりになったカリフ』の出典は、『隊商』(高橋健二訳、岩波文庫)にある。25歳で夭折したヴィルヘルム・ハウフの出世作である。
 この作品、藤子不二雄が漫画化した、と記憶する。ただし、大魔術師の絞殺の場面は記憶にない。 藤子不二雄のスタイルからして、省いたのではなかろうか。それとも、藤子不二雄は原作に忠実に漫画化したが、一読した少年は、絞殺という残虐な場面を記憶から消し去ったのだろうか。

 「ちくま文学の森」全15巻は、内外の短編小説を中心に詩も収録するアンソロジー集である。いずれも滋味ゆたかな物語が満載されている。読者は、ひたすら作家の想像力に感嘆すればよい。語られる言葉の河へ身をひたし、老いも若きも「不死の人」(ボルヘス)になるのだ。
 文学を楽しむだけなら、断簡零墨を収録した個人全集にあたらずとも、よく出来た作品だけをしっかり読めばよい。つまり、アンソロジーで十分だ。そして、「ちくま文学の森」はよく出来たアンソロジーである。
 短編には、長編にはない魅力がある。短編小説の滋味を発見または再発見させる意味でも、このシリーズは貴重だ。
 編者による解説も読ませる。ちなみに、第4巻の解説は池内紀で、「鞍馬天狗と丹下左膳 -解説にかえて」と題する。
 各巻のタイトルは、次のとおり。括弧内は、解説者である。

  1 美しい恋の物語 (安野光雅)
  2 心洗われる話 (安野光雅)
  3 幼かりし日々 (池内紀)
  4 変身ものがたり (池内紀)
  5 おかしい話 (井上ひさし)
  6 思いがけない話 (森毅)
  7 恐ろしい話 (池内紀)
  8 悪いやつの物語 (井上ひさし)
  9 怠けものの話 (森毅)
  10 賭と人生 (森毅)
  11 機械のある世界 (森毅)
  12 動物たちの物語 (安野光雅)
  13 旅ゆけば物語 (池内紀)
  14 ことばの探偵 (井上ひさし)
  15 とっておきの話 (安野光雅) 

 「ちくま文学の森」は、このたび文庫化されたが、『変身ものがたり』は第3巻に位置づけられている。

【参考】ヴィルヘルム・ハウフ(高橋健二訳)『こうのとりになったカリフ』(安野光雅/森毅/井上ひさし/池内紀・編『ちくま文学の森第4巻 変身ものがたり』所収、筑摩書房、1988)
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【読書余滴】野口悠紀雄の、中国依存の経済は深刻な危険を孕む ~「超」整理日記No.532~

2010年10月10日 | ●野口悠紀雄
(1)尖閣列島沖衝突事件
 逮捕された中国人船長が釈放され、検察も政府も奇妙な説明を行った。
 検察の仕事は、外交的配慮ではなく、証拠に基づき法に照らした判断だ。
 政府首脳の仕事は、国の基本にかかわる重大案件に対して自らの判断を明確に表明し、国民の理解を求めることだ。
 今回の措置は、1970年のよど号事件以来の超法規的措置である。ただし、このときは政府が決定した。今回は、責任の所在を明確にしていない。
 恫喝に屈して超法規的措置をとること自体、重大問題だ。これに加えて政府が責任をとらないのは、前代未聞だ。
 日本が中国の需要に依存する外需依存経済体質を続けていけば、恫喝に屈しやすくなり、外交上の立場がますます弱まる懸念がある。

(2)政治と経済
 国際間の経済取引は、双方にとって利益となる。
 したがって、政治的理由だけのために、それを一方的に断絶すれば、双方にとって損失となる。
 しかし、政治的問題解決の手段として経済取引が用いられることもある。
 このたび中国は、希土類の輸出停止など、経済制裁とも解釈できる措置をとった。
 こうした措置が効果をもつかどうかは、代替手段の有無によって大きく異なる。石油ショックのとき、先進国の代替エネルギー源はごく限られていた。だから、中東原油に対する依存度の高かった日本は、なりふり構わず親アラブ外交を展開せざるをえなかった。
 通常の輸出入関係では、断絶がこれほどの効果をもつことはない。また、売り手と買い手のいずれかが弱くて他方が強いというわけでもない。しかし、取引の形態によって、程度の差がある。また、国全体が大きな影響を受けなくても、個別企業では死活問題になることがある。

(3)対外経済構造に係る経済危機前と経済危機後
 危惧されるのは、日本の対外経済構造がここ数年で大きく変わりつつあることだ。経済危機前の「外需依存」と経済危機後のそれとでは、かなり性格が異なる。
 経済危機前の外需は、アメリカに対する自動車の輸出と中国に対する中間財の輸出を中心としたものだった。
 経済危機後の輸出先は中国などの新興国に偏っている。しかも、日本のメーカーは新興国輸出における消費財の比重を高めようとしている。
 それは、日本経済が中国市場に大きく依存する体質になることだ。これは、日本と中国の政治的関係に影響を与えざるをえない。

(4)最終消費財輸出の経済的問題点 
 (ア)中国の輸出産業に対して中間財を売ることと、(イ)中国の消費者に対して最終消費財を売ることとでは、代替手段の有無の点で大差がある。
 (ア)の場合には、中国側にあまり代替手段がない。日本からの中間財の輸出が途絶すれば、中国の輸出産業は立ちゆかなくなる。
 (イ)の場合には、中国にとっての代替手段はいくらでもある。
 グーグルが中国政府との対決の際に強腰で臨めたのは、ほかにはない技術的優位性をもっていたからだ。アメリカ経済の対外的な強さは、軍事力だけを背景としたものではない。新興国が自前では供給できない先進的サービスを提供できることこそ真の強さだ。
 新興国の最終消費財を対象とする外需依存経済は、純粋に経済的に考えても問題が多い。
 廉価品が中心となるため、輸出産業の利益率が大きく下がってしまう。日本国内の賃金に対しては、引き下げ圧力が働く。

(5)最終消費財輸出の政治的問題点
 今回の事件は、(4)-(イ)の外需依存が、政治的にも大きな問題をもつことを示した。
 中国は一党独裁国家である。市場経済とは本質的に矛盾する政治制度をもった国だ。何が起こるか、予測できない。
 政治問題を理由に日本製品に対する排斥運動が起こることは、決してありえないことではない。
 あるいは、親中国企業とそうでない企業の色分けがされ、許認可や行政手続きで差がつけられることはないか。広告が反中国的として規制されることはないか。
 こうした問題が現実に生じたとき、日本企業や日本政府はどのように対応するのか。
 中国国内のビジネスの継続が何にも優先する絶対の条件となり、原則を無視した譲歩が行われることが危惧される。

(6)日本の戦略を検討する機会
 中国の成長が続き、世界経済での比重が日増しに増大していく。中国との経済関係は増大せざるをえない。
 問題は、その内容をどうするか、なのだ。
 「中国市場に依存する外需依存経済を続ければ、輸出産業が中国の人質になる。日本経済にとっての生命線は中国に握られ、国交断絶をちらつかされるだけで息の根をとめられる。これは、これまでの外需依存経済になかったことだ/中国との経済関係は、政治的な含意を考慮に入れつつ、長期的な見とおしに立って構築する必要がある」

【参考】野口悠紀雄「中国依存の経済は深刻な危険を孕む ~「超」整理日記No.532~」(「週刊ダイヤモンド」2010年10月16日号所収)

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【大岡昇平ノート】『野火』の文体 ~レトリック~

2010年10月09日 | ●大岡昇平
 丸谷才一『文章読本』全12章のうち第9章「文体とレトリック」は、例文のほぼすべてを『野火』から採る。逆にみれば、『文章読本』第9章は文体とレトリックの観点から切りこんだ『野火』論である。
 その議論の一例を引こう。

 レトリックは公的な表現である。「シェークスピアの本当にすぐれたレトリックは作中人物が自分自身を劇的な光で見るという状況において現れる」・・・・このT.S.エリオットの評語は、『野火』にじつにうまく付合する。『野火』はまさしく劇的な状況の連続で出来あがっている。しかも一人称で書かれている。孤独な敗兵は私的に内省するが、キリスト教的神を鋭く意識することで現代知識人の代表となり、きわめて公的な人物となった。公私の緊張した関係のせいで、主人公はレトリカルに表現するしかなくなるのだ。由緒正しい語句の引用は、公的な表現者に要請される義務である。 
 具体例をあげよう。『野火』には比喩がおびただしく、しかも隠喩より直喩がきわめて多いのだが、直喩と並んで多用される対句の例文を引く。
 「私が生まれてから三十年以上、日々の仕事を受け持って来た右手は、皮膚も厚く関節も太いが、甘やかされ、怠けた左手は、長くしなやかで、美しい。左手は私の肉体の中で、私の最も自負してゐる部分である」(29 手)
 このくだりを丸谷は次のように解説する。
 「この対句は、豪奢で端正な様式美を誇りながらしかも充分に論理的だが、といふのは、単にこの対句の範囲内で話の辻褄が合つてゐるせいだけではない。銃を捨ててさまよふ敗残兵にとつて、使ふべき道具は両手しかない以上、彼が左右の手を仔細に観察し比較することはまことに理にかなつてゐるからである。それは文脈から見て必然的な、それゆゑ高度に合理的なレトリックなのだ」
 そして、「これは近代日本文学における最も優れた対句の一つだ」とさえ極言する。

 隠喩(メタファー)、直喩(シミリー)・・・・叙述的直喩・強意的直喩、擬人法(プロソポピーア)、迂言法(ペリフランス)、迂言法の一種としての代称(ケニング)、頭韻(アリタイレイション)、畳語法(エピジェークシス)、反復・・・・首句反復(アナフォーラ)・結句反復(エピフォーラ)・前辞反復(アナディプロシス)、同じ構造の節や句をつづけざまに用いるパリソン、同じ長さの節を連続するイソコロン、その「親類筋」にあたる対句、羅列、誇張法(ハイパーボリ)、その反対の緩叙法(マイオウシス)、その「兄弟」曲言法(ライトウティーズ)、自然に見せかける修辞的疑問(レトリカル・クェスチョン)。そして、言いまわしの型にはまだあって、換喩(メトニミー)、撞着語法(オクシモロン)。さらに声喩ないし擬声音あるいは擬態音(オノマトピーア)がある。
 これら多彩なレトリックが『野火』全編に駆使されている。
 なお、レトリックは、ほかに諺、パロディ、洒落(パン)もあるが、少なくとも丸谷がみるかぎり『野火』には見出されない。

 ちなみに、話の運びもレトリックの一部である。
 論理的であるためには準備、伏線、眼目、但し書き(譲歩)や念押しといった操作が不可欠である。むろん、『野火』に例文を見出すことができる。

    *

 『水 土地 空間 -大岡昇平対談集-』所収の『翻訳と文体』は丸谷才一との対談である。
 大岡昇平の文体は、『パルムの僧院』を翻訳した(第1部は1947年に訳了)ときできあがった(大岡)。小説よりも詩(ポーやダンテなど)から多く摂取し、これが大岡の小説が19世紀的小説ではない一要素になっている(丸谷)。隠喩より直喩に凝った(大岡)。丸谷は大岡がよく対句を使うというが、あれは聖書からきている(大岡)。ビブリカルなレトリック、対句が大岡昇平の文体が漢文ふうにみえることの一つの理由だ(丸谷)。・・・・といった自己分析や指摘があって興味深いが、ここでは『野火』に話をしぼる。
 「夜は暗かった。西空に懸かった細い月は、紐で繋がれたように、太陽の後を追って沈んで行った」(「6 夜」)
 これを注して、大岡はいう。「太陽が月とつながって地平線に入っていくのは、あれは熱帯の特色であって、北回帰線の南だから、王道が垂直だから、すっとまるで本当に井戸の中へ入るみたいに、太陽が入ると月も金星でも続いて入っちゃう」「そういう事実問題があるんですよ。だから文体的な工夫だけでもない節もあるんです」
 観察と天文学的知識の裏づけがあるのである。言うべきものがあってこそ、レトリックが生きてくるのだ。

【参考】丸谷才一『文章読本』(中央公論社、1977、後に中公文庫)
    大岡昇平ほか『水 土地 空間 -大岡昇平対談集-』(河出書房新社、1979)

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【大岡昇平ノート】『フィクションとしての裁判 -臨床法学講義-』 ~捜査官の取調べと弁護士の役割~

2010年10月08日 | ●大岡昇平
 9月に明らかになった大阪地検特捜部主任検事の証拠品改竄は、検察の信頼を失墜させた。
 ここで思い出すのは、大野正男と大岡昇平の対談『フィクションとしての裁判 -臨床法学講義-』だ。
 大野正男は、1927年生、2006年没。サド裁判、砂川事件、全逓中郵事件、羽田空港デモ事件を担当した弁護士で、1993年、最高裁判事に着任。学生時代、吉行淳之介、清岡卓行、日高普、いいだもも、中村稔らと同人誌『世代』に参加した。大岡昇平の「顧問」だった。

 『フィクションとしての裁判』は、それぞれの分野の専門家が作家などに対して「講義」と題する対談を行うLECTURE BOOKSシリーズの一冊である。このシリーズ、竹内均一と石坂浩二の地球学講義(『アトランティスが沈んだ日』)、河合隼雄と谷川俊太郎のユング心理学講義(『魂にメスはいらない』)、下村寅太郎と小川国男の地中海文化講義(『光があった』)など魅力的なテーマと人材が配されていた。

 本書は、第1講「文学裁判」、第2講「『事件』をめぐって」、第3講「事実認定」、第4講「誤判の原因」、第5講「裁判の中心にあるもの」、第6講「陪審」・・・・の6講及び終章「臨床法学」について、で構成される。
 第1講は、サド裁判が話題の中心である。
 第2講は、大岡昇平『事件』を俎上にあげる。過失致死ないし傷害致死の微妙な判定、動機の問題を実務家が論評し、作家が作品を生みだす過程を明かす。弁護士には尋問の技術が不可欠だから判事を辞めて2~3年で身につくものではない、『事件』の菊池弁護士は生え抜きの弁護士であってほしかった・・・・と大野正男は注文している。ただし、菊池弁護士はうまくやっている由。余談ながら、この証人尋問の技術、弁護士に限らず、人間を相手に世をわたる職業人なら多かれ少なかれ必要とされる技術である、と思う。
 第3講をみると、一時期知られた古畑種基・東大教授の鑑定には、門下の大学院生が短時間で調べただけにすぎないものも含まれていたらしい。また、弘前大学教授夫人殺害事件では、当事者の一人である学長の心理鑑定が証拠として採用されているが、先入観、偏向のある鑑定人による鑑定は「前代未聞」と評されている。鑑定以前の問題、証拠の捏造もあるらしい。前述の事件では、最初引田一雄・弘前医大教授ほか2人が鑑定し、1年後に古畑鑑定が行われた。この間に白シャツに血痕が増えていた、という。このあたりの事情が明らかになって再審で被告は無罪となった。

 第4講で、捜査官の取り調べと弁護士の役割がとりあげられる。大野は、ある事件の体験を次のように語る。
 検察官は、被疑者を弁護士に面会させないようにした。準抗告して、ようやく面会がかなった。被疑者がどんな取調べを受けたか、克明にメモして日付を入れておいた。完全自供ではないが、3分の2ぐらい不利益な供述をしていた。大野は、検察官が最後に被告人の調書を証拠として提出する段階で、その任意性を争った。証拠とすることに断固反対した。そして、不当な取調べが行われたことの証明のため、自ら証人になって出廷した。作成したメモを全部法定に提出し、これに基づいて証言した。結果として、自白に任意性はない、と大部分が却下された。事件は無罪で結審した。
 こう語った後、大野は続ける。
 心理的その他いろいろな形で圧迫がある場合、弁護士がついて話を聞くということは、被疑者にとってもっとも必要なことだ。被告人や被疑者のためだけではない。検察官が仮に卑劣な取調べをやろうと思っても、やりにくくなる。
 「捜査官の場合は組織の問題ですから、誰かがおかしなことをすれば、直ちに全体の信用が問われます。(中略)自分たちはフェアにやっているということを保障するのは、自分じゃだめなんです(笑)。やっぱり、反対側から見ている人にも文句が出ないということが必要です。司法は全体として一つのルールにもとづいてやることを大前提にして成り立っているのですから、ルール違反を司法のなかでやり出したら、これはもう地獄ですね。だから、そういう担保として、捜査でも弁護人がついて、被疑者にいつでも面会して話を聞けることを保障するのは、捜査活動がフェアに行われていることを保障することでもある、そう考えるような視点が必要なんじゃないか、と思いますけれどね」

 ここから接見の秘密と盗聴の問題、人権の“建前”と“応用”の問題が展開されるのだが、大岡昇平研究家のため余談を付記しておく。
 スタンダールはナポレオン法典を読んでから小説を書いた、という逸話がある。わりと有名な逸話なのだが、これはフィクションなのであった。バルザックに対する返事にしか書かれていない。ナポレオン法典は、スタンダールのような引き締まった文章ではない。三島由紀夫は、自分は小説作法を民事訴訟法に学んだ、と言っているが、「それはスタンダールの悪い真似ですね。彼は私に聞けばよかったんだ」。
 「それから開高健が江藤淳と対談して、新憲法の文章は気が抜けている。旧憲法のほうがしまっている。スタンダールがナポレオン法典を手本にしたように、手本にできる憲法がほしい、と言ったから、ナポレオン法典は民法だ。まあ、刑法を含めて、彼の治世に出来た法体系全部をそう呼ぶ場合もあるけれど、憲法は最初からほかの法律とは別だ、と言ってやったら、彼は一言もなかったですね」

 なお、本書の副題「臨床法学」は、現場から発想する法学のこと。一般理論や立法はさておき、法律を紛争解決の手段として見る。
 現場では、法律学では教えない「事実認定」が鍵になる。100%わかったことだけで事実を組み立てていくと、とんでもない結論に達することもある。空白の部分は「フィクション」で埋める。それが証拠上認め得る範囲なのか、限界を超えてしまったのか、という惑いを現場ではいつも抱えているのだ。

【参考】【大岡昇平ノート】大野正男/大岡昇平『フィクションとしての裁判 -臨床法学講義-』(朝日出版社、1979)
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書評:『僕らが働く理由、働かない理由、働けない理由』

2010年10月07日 | 社会
 8人の青春が素描される。それぞれの年齢は必ずしも明かではないが、20歳前から30歳代前半と推定される男性たちである。彼らに共通するのは、働くことに意味を見出せないか、就いた仕事になじめなかった経験を有する点である。
 3人は就労経験がない。たとえば、前島康史。1年間の留年をはさんで大学の最終学年になるが、まったく就職活動を行わなかった。働くとは「本来は生きる情熱によるものだ」が、「実際は単に生きるためだけに働いている」と洞察するくらいの知性は持つ。だが、きわめて受動的なのだ。「彼は待っている。いつかやってくる何かを待っている。/でも、その『いつか』はいつやってくるのだろう・・・・。」だから、「うん、って言えるような説教をされたい」などと行動の指針を他に求めるのだ。
 あるいは、長澤貫行。高校を1年生のとき退学してから30歳になるまで、社会的引きこもりの人であった。不登校児の施設ではプライバシーのない共同生活に耐えられず、かといっては単身上京してアパートで一人暮らすと孤独に苛まれて奈良の実家へ長距離電話をかけまくった。要するに、自我が未成熟なのである。
 就労経験のある5人も、就いた仕事やその職場に適応していない。
 たとえば、トヨタカローラの営業マン武田明弘の場合、外まわりが性に合わず、当然ながら営業成績は不振をきわめた。加えて職場の独特の人間関係に疲れはて、毎日「辞めたい」と思いながら通勤した。
 実際にサラリーマンを辞めてしまったのは萩川喜和(仮名)。高校卒業後の進路としてスキー用品店を選択しながら、スキーに情熱を持たず、勉強もせず、売り上げは低迷。店長の励ましで発奮して懸命に働くが、やはり仕事に誇りを持てなかった。しかし、高齢者福祉に自分の進むべき道を見つけて、老人ホームの支援員へ転身した。
 社会経験を積むうちに志に適う仕事を発見した萩川喜和は、幸福な例と言える。河村雄太もそうだ。集中もっとも興味深い人物で、その生育歴の記述は巧まずして学校の管理教育に対する批判となっている。要するに、河村雄太は学校や商売に不適応を繰り返した後、石垣島で海人(うみんちゅ)、すなわち漁師となった。ついに安住の地を見つけたのである。
 こうした幸福な出会いがない者は、フリーターになる。ゲームクリエーターを志して専門学校へ入り、その才能のないことを自覚してフリーターとなった大黒絢一がこのケースだ。本書によれば、1997年現在、全国のフリーターは約151万人、1982年の3倍に達っすると言う。
 社会とは何か、大人になるとは何か。これが本書の主題である。
 立花隆『青春放浪』(スコラ、1985、後に講談社文庫、1988)も類似の問題意識に貫かれている。しかし、取り上げられた人物11人はいずれも手づくりナイフ職人など一級のプロと認知されている点で、まだ「途上」にある人物を取り上げた本書とはやや事情が異なる。さらに、立花隆の簡潔にして犀利な文体はこうしたプロの横顔を彫り深く描くが、本書の文章は若書きの粗さが目立つ。
 しかしながら、著者は登場人物と立場(高校中退者)や年代(著者は大学3年生のときに本書の取材をはじめた)をほぼ同じくしている故か、彼らの惑いと模索に対する共感が底ににじみ、この点が若い読者の注意を引きそうだ。
 ところで、本書にも『青春放浪』にも女性がまったく取り上げられていない。その理由は両著で異なるだろうが、男性には主婦という職業が・・・・まったくないわけではない(主夫もある)にせよ、ごく少数であることが一因ではなかろうか。

□稲泉連『僕らが働く理由、働かない理由、働けない理由』(文藝春秋社、2001)
僕らが働く理由、働かない理由、働けない理由

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【読書余滴】野口悠紀雄の、日本のチャンスまたは人的資本増強の事 ~「超」整理日記No.524~

2010年10月06日 | ●野口悠紀雄
 10月6日、スウェーデン王立科学アカデミーは発表した。今年のノーベル化学賞受賞者は、根岸英一・米パデュー大特別教授(75)、鈴木章・北海道大名誉教授(80)など3名である・・・・。
 だから、というわけではないが、以下「「超」整理日記No.524」の要旨。

(1)ストック
 所得などのフローを生み出すのはストックだ。一国経済の長期的なパフォーマンスを決めるのは、国が保有するストックの量と質だ。
 財政赤字の論議においても、本当に重要なのはストック、つまり国債残高である。
 消費税税率引き上げなどで増税すれば、単年度の赤字はたしかに縮小する。フロー面での問題は解決される。
 しかし、既発行国債の残高はそのままだ。ストック面ではただちには改善しない。金融機関は巨額の国債を抱えたままだ。
 いまの日本では、金融機関の資産のうちで企業貸付が減少し、国債が増えている。

(2)国債
 国債の価値を支えている要因は確実ではない。
 企業への貸付は、企業の生産設備に対応している。それは製品を生産して収益を生み出す。これが貸付資産の価値を支えている。
 国債の場合も建設国債であれば、社会資本に対応している。将来の生産力に寄与する。
 しかし、現存の国債の大部分は赤字国債である。消費支出や移転支出に充当される。赤字国債には対応する資産がない。その資産価値を支えているのは、将来時点での国の税収だけだ。しかし、国全体の生産力が落ちれば、将来の税収も落ちる。
 いまの国債残高の多くは、資産価値の根拠が不確実なのだ。
 企業に対する貸付と異なって、国の場合は将来の政治状況にも依存するので返済能力を確実に評価できない。しかも、国債は単一の資産なので、条件が悪化すればすべてが劣化する。国の返済能力に少しでも疑問が生じれば、国債の価値は下落し、金融機関の資産が大きく劣化する。

(3)クラウディングアウト
 国債発行に伴って利子率が上昇し、その結果民間設備投資が「追い出される」(クラウディングアウト)現象が問題だ。なぜなら、設備投資が減少する結果、生産設備のストックが(クラウディングアウトがない場合に比べて)減少するからだ。
 いまの日本にクラウディングアウトは起きていない。日本における国債の消化には何の問題も生じていない。金融機関の資産中で企業貸し出しが減少しているからだ。「生産設備のストック現象」はクラウディングアウトの場合と同じように生じているのだ。

(4)資本の劣化
 企業に対する貸付が減少し、半面、国債だけが増加している・・・・これを日本全体のストックの観点からみると、経済的に価値ある資産が減少し、価値の源泉が明らかでない資産が増大していることになる。「資本の劣化」が進行している。
 しかも、設備投資が回復しないので、資本ストックが全体として減少しつつある。そして、社会資本のストックも劣化している。公共事業予算が削減されて新規のストックが形成されていないからだ。
 国債の順調な消化、公共事業予算の削減は、日本経済をストック面からみると、事態の悪化を示す。
 ストックが劣化すれば、将来の生産力は低下する。よって、税収も低下する。したがって、国債を償還できる可能性も低下する。国債の価値は潜在的に低下しつつあるのだ。

(5)人的資本
 人的資本は物的資本と組み合わされて生産物を生み出す。
 人的資本は、経済統計ではストックとは見なされていない。しかし、ストックを広義にとらえれば、これはきわめて重要なものである。
 物的ストックが減少しても、人的ストックがあれば、それを補うことができる。特に、いまの世界では、物的ストックがあまりなくとも高い生産性を上げられる経済活動(例:先端金融企業や先端的IT産業)が進展している。農業や製造業が経済活動の中心だった時代に比べて、格段と高まっている。
 いまの日本で人的ストックはもっとも重要な経済ストックだ。
 日本の人口減少、したがって人的ストックの減少に対処することは可能である。
 第一、移民を自由化して、人的ストックの量を増やす。
 第二、教育投資を通じて、人的ストックの質を向上させる。特に重要なのは、専門的能力をもつ人材の育成だ。
 量的拡大と質的向上は、どちらも必要だ。
 介護のような対人サービスは、量的な確保が中心課題となる。しかし、こういう分野だけが拡大すると、日本経済の生産性は落ちてしまう。所得水準の低下は不可避だ。
 したがって、生産性の高い専門的サービス産業を拡大する必要がある。それには質的向上が不可欠だ。
 現実には、どちらも行われていない。
 量的拡大面では、介護分野における外国人導入に消極的対応が続いている。
 質的向上面では、2010年度予算で子ども手当や高校無償化のバラマキ支出は増えたが、人的ストックの質の向上に寄与するものではない。

【参考】野口悠紀雄「ストック劣化対処は人的資本の増強で ~「超」整理日記No.524~」(「週刊ダイヤモンド」2010年8月14・21日号所収)

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【言葉】エリック・ホッファーのアフォリズム、その政治学・社会学・心理学 ~『情熱的な精神状態』~

2010年10月05日 | ●エリック・ホッファー
 2
 身を焦がす不平不満というものは、その原因が何であれ、結局、自分自身に対する不満である。自分の価値に一点の疑念もない場合や、個人としての自分を意識しないほど他者との一体感を強く抱いているとき、われわれは、何の苦もなく困難や屈辱に耐えることがっできる。これは驚くべきことである。

 7
 あらゆる激しい欲望は、基本的に別の人間になりたいという欲望であろう。おそらく、ここから名声欲の緊急性が生じている。それは、現実の自分とは似ても似つかぬ者になりたいという欲望である。

 12
 山を動かす技術があるところでは、山を動かす信仰はいらない。

 40
 人間とは、まったく魅惑的な被造物である。そして、恥辱や弱さをプライドや信仰に転化する、打ちひしがれた魂の錬金術ほど魅惑的なものはない。

 58
 知っていること、知らないことよりも、われわれが知ろうとしないことのほうが、はるかに重要である。男女を問わず、その人がある考えに対してなぜ鈍感なのかを探ることによって、われわれは、しばしばその人の本質を解明する鍵を手に入れることができる。

 63
 非妥協的な態度というものは、強い確信よりもむしろ確信のなさの表れである。つまり、冷酷無情な態度は外からの攻撃よりも、自身の内面にある疑念に向けられているのだ。

 70
 われわれは自分自身に嘘をつくとき、最も声高に嘘をつく。

 91
 弱者が自らの強さを印象づけようとするとき、邪悪なことをなしうることを意味深長にほめのかす。邪悪さが弱者を魅了するのは、それが多くの場合、権力意識の獲得を約束するからである。

 123
 親切な行為を動機によって判断しても無駄である。親切はそれ自体、ひとつの動機となりうる。われわれは親切であることで、親切にされている。

 128
 われわれはよく知らないものほど、容易に信じてしまう。自分自身について知るところが最も少ないがゆえに、われわれは自分について言われることを、すべて容易に信じ込みやすい。ここからお世辞と中傷の双方に神秘的な力が生じる。

 132
 他人と分かちあうことをしぶる魂は、概して、それ自体、多くをもっていない。ここでも、けちくささは魂の貧困さを示す兆候である。

 176
 自由を測る基本的な試金石となるのは、おそらく何かをする自由よりも、何かをしない自由である。全体主義体制の確立を阻むのは、差し控え、身を引き、やめる自由であうr。絶えず行動せずにはいられない者は、活発な全体主義体制下に置かれようとも不自由さを感じないだろう。実際、ヒトラーは説教によって将軍、技術者、科学者を掌握したわけではない。彼らが望む以上のものを与え、限界に挑戦するよう奨励して、彼らの支持を勝ちとったのだ。

 178
 他者への没頭は、それが支援であれ妨害であれ、愛情であれ憎悪であれ、つまるところ自分からの逃避の一手段である。奇妙なことに、他者との競争--他人に先んじようとする息もつがせぬ競争は、基本的に自己からの逃走なのである。

 202
 われわれはおそらく自分を支持してくれる者より、自分が支持する者により大きな愛情を抱くだろう。われわれにとっては、自己利益よりも虚栄心のほうがはるかに重要なのだ。

 206
 死は、それが1ヵ月後であろうと1週間後であろうと、たとえ1日後であろうと、明日でないかぎり、恐怖をもたらさない。なぜなら、死の恐怖とはただひとつ、明日がないということだからだ。

 212
 謙遜とは、プライドの放棄ではなく、別のプライドによる置き換えにすぎない。

 217
 われわれが最も大きな仮面を必要とするのは、内面に息づく邪悪さや醜悪さを隠すためではなく、内面の空虚さを隠すためである。存在しないものほど、隠しづらいものはない。

 231
 「何者かでありつづけている」ことへの不安から、何者にもなれない人たちがいる。

 233
 平衡感覚がなければ、よい趣味も、真の知性も、おそらく道徳的誠実さもありえない。

 234
 他人を見て何をすべきかを知る者もいれば、何をすべきでないかを知る者もいる。

 235
 人生の秘訣で最善のものは、優雅に年をとる方法を知ることである。

 243
 われわれは一緒に憎むことによっても、一緒に憎まれることによっても結束する。

 260
 プロパガンダが人をだますことはない。人が自分をだますのを助けるだけである。

 275
 他人を愛する最大の理由は、彼らがまだわれわれを愛しているということである。

 280
 幸福を探し求めることは、不幸の主要な原因のひとつである。

【出典】エリック・ホッファー(中本嘉彦訳)『魂の錬金術 -全アフォリズム集-』(作品社、2003)
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【読書余滴】戦後における高齢者医療経済の体制化 ~「現代思想 特集・・・・医療現場への問い」~

2010年10月04日 | 医療・保健・福祉・介護
 ミシェル・フーコーを下敷きにした天田城介の議論はすこぶる難解である。まとめの部分、

 (1)戦後日本社会の偶発的な歴史的・経済的条件により可能となった「労働・雇用体制」のもとで、性別分業体制が形成された。
 (2)かかる体制は、過剰な労働力供給状態のもとで、労働力の調整を可能にし、労務管理を容易にした側面があった。
 (3)この体制によって、非正規労働市場が形成されてきた。
 (4)かかる「労働・雇用体制」を徹底的に優先した保障の、残余(「保障の残余」)として高齢者施策が遂行された。
 (5)戦後日本社会において、高齢者は「家族の余剰」の位置におかれてきた。
 (6)(5)のように位置づけられた高齢者に対する政策=「保障の残余」が講じられてきたことが、まさに戦後日本の「家族」と「政策」を形成してきたものであった。
 (7)高齢者に対する政策は医療・福祉・年金等を中心にして整備されていくが、わけても1980年代以降、「寝たきり」「薬漬け/検査漬け」「社会的入院」などが誰でも迎える老後という「社会的不安」を惹起させた。そのことが「備え」としての介護保険構想を下支えしてきた。
 (8)「誰でも迎える老後」のための「備え」として、誰もが担い得る負担(保険料+税金)を財源とする「有限な資源」を分配する共済制度がある。その共済制度を前提に、私たちは「社会改良主義的」に考える「制度的非拘束性」の只中にいる。

 ・・・・まではよいが、(9)にさしかかると、俄然、日本語とは思えない文章にぶちあたる。もう少しこなれた日本語で書いてもらわないと、日本人の読者には迷惑である。日本の社会を論じているのだから、いちいちフランスの精神科医に義理立てする必要はないと思う。
 しかし、天田がまとめた医療・介護がらみの制度年表は参考になるから、若干補足し、整理のうえ、ここに引用させていただく。
 なお、このたび、「【読書余滴】雇用崩壊と社会保障ミニ年表」を補足した。

 <1940年代>

1948 医療法制定

 <1950年代>
  ・岸信介らによる格差是正論を含む「福祉国家ナショナリズム」
    ※国民皆保険、皆年金
  ・石橋湛山による生産主義的福祉論
  ・さまざまな高齢者実態調査(厚生省ほか)
    ※「悲惨な高齢者」
  ・老人福祉法試案

1958 国民健康保険法全部改正
    ※自己負担分支払い困難者
1959 国民年金法制定【国民皆年金】

 <1960年代>
  ・池田勇人内閣による国民所得倍増計画を通じた経済成長によるパイの拡大と地方への切り分け

1961 改正国民健康保険法施行【国民皆保険】
1961 老人医療費無料化(岩手県沢内村)
    ※以降、各地方自治体レベルで老人医療費無料化、低額化
1963 老人福祉法制定
1965 厚生年金法改正・・・・1万円年金の提唱
1968 寝たきり老人実態調査(全国社会福祉協議会)

 <1970年代>
  ・田中角栄内閣による各種の雇用政策と「土建国家ナショナリズム」を通じた「日本型雇用レジーム」

1971 老人医療費無料化(東京都、美濃部都政)
    ※過剰な医療批判→老人保健法制定
1972 「福祉手当」(東京都など)
1973 「福祉元年」 
1973 各地で年金スト
1973 大盤振る舞いスキーム・・・・賃金再評価制+物価スライド制→5万円年金

 <1980年代>
1981 第二次臨時行政調査会(土光臨調)
1982 三郷中央病院事件
    ※悪徳老人病院批判
1983 老人保健法施行・・・・医療費定額一部負担、
    ※出来高払いへの一定の「制約」
1984 特例許可老人病棟創設、老人診療報酬制度の整備
    ※低額の診療報酬、医療機関側の供給抑制
1984 一人暮らし老人100万人突破
1985 基礎年金導入
1986 老人保健施設創設
1989 国民年金基金創設、学生強制加入

 <1990年代>
1990 介護力強化病院の整備・・・・定額支払い制度導入
    ※2002年度で廃止→療養型病床群に転換
    ※寝たきり老人(寝かせきり老人)の悲惨
    ※薬漬け、検査漬け
    ※社会的入院
1990 ゴールドプラン
1991 福祉八法改正
1994 高齢者介護自立支援システム・・・・選択型と社会保険方式の提言
1994 高齢者金持ち論

  ・1990年代半ば・・・・公的介護保険制度の提唱
  ・たびたびの「医療制度改革」

1997 介護保険法制定

 <2000年代>
2000 介護保険法施行
2001 健康保険法改正・・・・定率1割負担
2006 介護保険法改正・・・・介護予防、市町村地域包括支援センター
2006 老人保健法および退職者医療制度の見なおし
    ※退職者医療制度は2014年度までの間における65歳未満の退職者を対象として経過的に存続。
2008 医療制度改革関連法・・・・後期高齢者医療制度創設、前期高齢者医療制度創設

【参考】天田城介「家族の余剰と保障への残余への勾留 -戦後における老いをめぐる家族と政策の(非)生産」(「現代思想 特集・・・・医療現場への問い--医療・福祉の転換点で」、青土社、2010年3月号)
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【読書余滴】雇用崩壊と社会保障ミニ年表

2010年10月04日 | 医療・保健・福祉・介護
 bk1経由で平凡社から献本があった『雇用崩壊と社会保障』は、年表が付してあると便利なのだが、ない。
 そこで、一読後作成したのが以下のもの。
 社会保障は、社会保険、社会福祉、公的扶助(生活保護)、公衆衛生に大別される。よって、社会保険は□、社会福祉は○、公的扶助は●、公衆衛生は◎とマークする(ここでは雇用保険・労災保険以外の雇用保障も医療も社会保険に、社会手当は社会福祉に含める)。併せて、政治経済社会醸成を■、国際的な動きを☆でマークする。

 ☆第一次世界大戦(1914年~1918年)

1922 □健康保険法
       ※1939 □職員健康保険法→1942 □健康保険法改正 

 ☆世界大恐慌(1929年~)

1938 □国民健康保険法→1958 新国民健康保険法

 ☆第二次世界大戦(1939年~1945年)

1941 □労働者年金保険法 → 1944 □厚生年金法
1945 ■敗戦
1946 GHQ指令「社会救済」
      ※戦後の公的扶助・社会保障の枠組みの形成を促進。
1947 □労働者災害補償保険法
1947 □労働基準法
1947 □職業安定法
1947 □失業保険法
1947 ○児童福祉法
1947 ●朝日訴訟、提訴→1967 最高裁大法廷判決
1948 ○民生委員法
1948 □厚生省令「児童福祉施設最低基準」
1948 □医療法
1949 ○身体障害者福祉法
1949 ●厚生省令改正
       ※生活保護に不服申立制度導入。
1949 □失業保険法改正
       ※日雇い失業保険制度の創設。
1950 ●生活保護法(新法)
1950 ○精神衛生法→1988 □精神保健法
              →1999 □精神保健及び精神障害者福祉に関する法律

 ☆朝鮮戦争(1950.6.25~1953.7.27)

1951 ○社会福祉事業法→2000 社会福祉法
1952 ○戦傷病者戦没者遺族等援護法

 ■神武景気(1956~57)
 ■岩戸景気(1958~61)
 ■高度成長(1955~73)

1958 □国民健康保険法
       ※国民健康保険法の全部改正。
1959 □国民年金法【国民皆年金】→1961 法施行
1959 □最低賃金法
       ※家計補助的なパート労働者の賃金が基準。
1960 ○精神薄弱者福祉法→1999 □知的障害者福祉法
1960 ○身体障害者雇用促進法→1987 □障害者の雇用の促進等に関する法律

 ☆ベトナム戦争(1960~1975年)

1961 □国民健康保険法
1961 ○児童扶養手当法
1961 □国民年金法施行【国民皆年金】
1961 ○身体障害者福祉法改正
       ※目的に「生活の安定に寄与」文言、更正法からの脱却。
1961 老人医療費無料化(岩手県沢内村)
1963 ○老人福祉法
1963 ○身体障害者福祉法改正
       ※目的に「生活の安定に寄与」の文言が追加。
1964 ○特別児童扶養手当等の支給に関する法律
1964 ○母子福祉法→1984 母子及び寡婦福祉法
1965 ○母子保健法
1965 ●生活保護の補足率、最後の公式発表
1965 □厚生年金法改正
       ※1万円年金の提唱
1966 □雇用対策法
1967 ●最高裁大法廷判決「朝日訴訟」
1970 ○心身障害者対策基本法→1993 障害者基本法
1971 ○児童手当法
1971 老人医療費無料化(東京都、美濃部都政)
1972 ○老人福祉法改正→1973.1施行
       ※老人医療費支給制度。
1973 ○老人福祉法改正施行【老人医療費制度】
       →1983 ◎老人保健法
       →2008 ◎高齢者の医療の確保に関する法律【後期高齢者医療】改正法施行
1973 ■「福祉元年」宣言
1973 ☆第一次オイルショック ←第四次中東戦争
1974 □雇用保険法←失業保険法
1975 □最高裁判決「日本食塩製造事件」
       ※解雇権濫用法理。
1975 ☆国連「障害者の権利宣言」
1978 ☆第二次オイルショック←イラン革命
1979 経済企画庁(現内閣府)『新経済7ヵ年計画』
      ※「日本型福祉社会」の用語初登場。
1980 ○老人福祉施設費用徴収制度の改定
      ※本人と扶養義務者からの「二本立て徴収方式」。
1981 ☆国連「国際障害者年」→国連「障害者の十年」(1983-1992)
1981 ●123号通知
       ※生活保護の「水際作戦」の指針。
1981 ■第二次臨時行政調査会(土光臨調)発足
      ※「日本型福祉」

 ■バブル経済(1983~90年)

1982 □労働安全衛生法
1982 □国民健康保険法改正
       ※難民条約批准による国籍要件撤廃。
1982 ○老人家庭奉仕員実施要綱改正
       ※ホームペルパー派遣対象の拡大。課税世帯の有料化導入。
1982 □老人保健法→1983 法施行
1984 ○母子及び寡婦福祉法←母子福祉法
1984 □老人保健法改正
       ※特例許可老人病棟創設、老人診療報酬制度の整備
       ※低額の診療補修、医療機関側の供給抑制
1984 ◎健康保険の被用者本人に当面1割負担(法律上は2割)導入
1984 □健康保険法改正
       ※被保険者本人の自己負担2割(当面1割)。
1985 □労働者派遣法
       ※ポジティブリスト13業務。「間接雇用」を認める。←→労働基準法:直接雇用原則
1985 □男女雇用機会均等法
1985 □労働基準法改正
       ※女性保護規定の縮小。
1985 ◎医療法改正(第一次医療法改正)
       ※「地域医療計画」作成の義務化。
1985 □国民年金法等の改正
       ※基礎年金の導入、女性の年金権の確立。第三号被保険者制度の創設。
1986 □国民健康保険法改正→1987.1 改正法施行
       ※保険料滞納者に係る資格証明書制度導入(市町村裁量)。
1986 □最高裁判決「日立メディコ事件」
       ※雇い止めに係る解雇権濫用法理の類推適用。
1986 ○国の補助金等の臨時特例に関する法律
       ※向こう3年間にわたる補助金の大幅な削減。児童・高齢者・障害者の入所措置費に係る国庫負担5割。←7割
1986 □老人保健法改正
       ※老人保健施設創設
1987 □身体障害者雇用促進法改正→「障害者雇用促進法」
       ※知的障害者にも適用。
1987 □労働基準法改正
       ※週40時間制の段階的実施、変形労働時間制の拡大、みなし労働時間制の導入。
1988 ○社会福祉士及び介護福祉士法
1989 ■消費税の導入
       ※高齢化社会に備えるため」との名目で3%。
1989 ○「高齢者保健福祉推進10か年戦略」(ゴールドプラン)策定(12月)
1989 ○国の補助金等の整理及び合理化並びに臨時特例に関する法律
        ※国庫負担率、生活保護・児童扶養手当7.5割、社会福祉諸法に基づく措置費5割。
1989 □国民年金法改正
       ※国民年金基金創設、学生強制加入
1990 ○老人福祉法等の一部を改正する法律【社会福祉関係8法の改正】
       ※特別養護老人ホームなどのサービス提供主体が市町村に一元化。
       ※「老人福祉計画」策定の自治体に対する義務づけ。
1990 ◎診療報酬改定
       ※特例許可老人病院に定額制導入、「マルメ方式」。
1991 ☆ソ連解体。
1992 □雇用保険法改正
       ※雇用保険料率と国庫負担率の暫定的引き下げ。再就職手当支給要件緩和。
1992 □医療法改正(第二次医療法改正)
       ※療養型病床群(現在の「療養病床」導入。
1992 ☆「アジア太平洋障害者の十年」(1993~2002)
1994 ○初の「障害者白書」(総理府→内閣府)
1994 ○初の「市町村ル陣保健福祉計画」
1994 ○厚生大臣の諮問機関「21世紀福祉ビジョン -少子・高齢化社会に向けて-」
1994 □雇用保険法改正
       ※育児休業給付、介護休業給付、教育訓練給付の創設。
1994 □健康保険法改正
       ※入院時食事療養費(食材料費の標準負担額)導入。
1994 ○新ゴールドプラン策定
1994 ○「今後の子育て支援のための施策の基本的方向について」(エンゼルプラン)策定
       ※1995~1999の計画。
1995 ■日経連「新時代の『日本的経営』」
       ※長期蓄積能力型の比率を下げ、正社員を減らし、非正規労働者に代替していく提唱。
        =日本型雇用システムの解体宣言。
1995 □第8次雇用対策基本計画
       ※労働移動を前提とした流動的な労働市場の機能を支援する政策への転換。
1996 □労働者派遣法施行令改定
       ※派遣対象業務26業務に拡大。
1996 □職業安定法施行規則改正
       ※有料職業紹介の原則自由化(ポジティブリストからネガティブリストへ)。手数料緩和。
1997 □介護保険法→2000 法施行
1997 □労働基準法改正
       ※「雇い止め」可能に。女性の時間外労働規制や深夜業禁止の削除。
1997 ○児童福祉法改正→1998 改正法施行
       ※文言の改正、「保育所への入所の措置」→「保育の実施」。措置制度から契約制度へ。
1997 □男女雇用機会均等法改正
1997 □労働基準法改正
       ※女性労働者の時間外・休日労働制限、深夜業禁止の諸規定廃止。
1997 ■財政構造改革の推進に関する特別措置法→1998 廃止
1997 ■消費税増税(5%←3%)、特別減税の廃止

 ■失われた十年、複合不況、平成不況(1997年後半~2000年代前半)
 ■橋本首相(1996~98年)、小淵首相(1998~00年)、多額の借金を残す(「第2の敗戦」)。

1998 □労働基準法改正
       ※高度専門・技術労働者と60歳以上労働者の契約期間3年までの延長←1年(法第14条)
         =契約社員など有期契約の労働者の「雇い止め」できる雇用の調整弁。
1999 □労働者派遣法改正
       ※派遣対象業務の全面的自由化、=日本型雇用システム解体の促進。
       ※「物の製造」業務への派遣解禁(2004.3~)。派遣期間実質的に3年まで可(2007.3~)。
1999 □職業安定法改正
       ※有料職業紹介の原則自由化を法律の上で追認、対象範囲拡大。
1999 □労働局長通達「心理的付加による精神障害等に係る業務上外の判断指針について」
       ※認定基準の緩和。
1999 □労働局長通達「精神障害等による自殺の取り扱いについて」
       ※認定基準の緩和。
1999 ○重点的に推進すべき少子化対策の具体的実施計画について(新エンゼルプラン)策定
       ※2000~2004の計画。
2000 ○社会福祉の増進のための社会福祉事業法等の一部を改正する法律
       ※社会福祉事業法→社会福祉法。
       ※身体障害者福祉法、知的障害者福祉法の改正【支援費制度(2003年度~05年度)】
2000 □国民健康保険法改正→2001.4 改正法施行
       ※保険料滞納者に係る資格証明書制度(市町村義務化)。
2000 □雇用保険法改正
       ※国庫負担率、本則の4分の1に戻す。←給付に対する国庫負担額の暫定的引き下げ。
2001 □厚生年金基金、確定拠出年金(企業型)と確定給付企業年金の導入
       ※国民年金基金と確定拠出年金(個人型)。
2001 ◎老人保健法改正(定率負担の導入、老人保健施設の新設、別立ての低い診療報酬)
       ※2002.10 完全定率1割。
2001 □脳・心臓疾患の労災認定基準
       ※時間外労働と業務関連性に係る基準。

 ■「小泉改革」(2001~06)

2002 □国民年金保険料収納事務、市町村から社会保険庁へ
2002 ○児童扶養手当法改正
       ※全額支給の所得上限が年収130万円未満に。←200万円未満
2003 □労働基準法改正
       ※第18条の2新設(←解雇権濫用法理)。有期契約の原則的限度期間1年→3年。
        →2007 労働契約法第16条
       ※参考:整理解雇法理、整理解雇の4要件(1973 オイルショック~)
2003 ◎健康保険法改正
       ※被用者負担3割、保険料が総報酬制に←標準報酬月額制、政管健保保険料率8.2%に)
2003 ■地方自治法改正
       ※指定管理制度の導入。
2003 ○身体障害者福祉、知的障害者福祉に支援費制度の導入→2006 障害者自立支援法施行まで
2003 ○子ども・子育て応援プラン→2005~09
2004 ○発達障害者支援法→2005 法施行
2004 □労働者派遣法改定施行
       ※「物の製造」業務への派遣解禁。
2004 ○公立保育所運営費の一般財源化
2004 □国民年金法等の一部を改正する法律
       ※基礎年金の国庫負担割合が2分の1に←3分の1 →2001に実現。
       ※保険料免除の多段階化。
       ※保険料固定方式(2017以降は国民年金16,900円に。厚生年金18.3%に固定)。
2005 ○障害者自立支援法→2006 法施行
2005 ○延長保育促進事業(基本分)の一般財源化
2005 □介護保険法改正 →2006 改正法施行
       ※新介護予防事業の導入。
2005 ●「自立支援プログラム」各自治体で実施
2006 ☆国連「障害者の権利条約」
2006 ○延長保育促進事業(公立保育所加算分)の一般財源化
2006 ○就学前の子どもに関する教育、保育等の総合的な提供の推進に関する法律
       ※認定子ども園の創設。
2006 ●老齢加算の廃止
2006 □入院時食事療養費、1食単位に。←1日単位
2006 ■トヨタやキャノンの偽装請負、違法派遣がマスコミに報道さる。
2007 ○高齢者、障害者等の移動等の円滑化の促進に関する法律(バリアフリー新法)施行
2007 □労働契約法
       ※労働基準法第18条の2は本法第16条に移行。
2007 □最低賃金法改正
       ※生活保護基準との整合性をとることを明記。
2007 □雇用保険法改正
       ※雇用福祉事業の廃止。→二事業に。
2007 ●要保護世帯向け長期生活支援金制度(リバースモーゲージ制度)導入
2007 □「消えた年金」「宙に浮いた年金」問題
2007 ■大手人材派遣会社フルキャストやグッドウィルグループ(2008.7廃業)の違法天引き問題、指摘さる。
2007 ☆「アジア太平洋障害者の十年」の中間年
2008 ☆リーマン・ショック
2008 □国民健康保険法改正
       ※資格証明書世帯の中学生以下の子どもに6か月の短期資格証明書を交付。
2008 ○児童福祉法改正
       ※家庭内保育事業(「保育ママ」)の法制化。
2008 □病床400以上の病院に係るレセプトの電子請求義務化(4月)
       ※2001.4~小規模医療機関を除く全医療機関に係る電子請求義務化は凍結。
2008 ◎高齢者の医療の確保に関する法律【後期高齢者医療】改正法施行←老人保健法
2008 □改正最低賃金法施行
       ※1,000円のめどは立たず。
2008 □就職安定資金制度
2008 ■年越し派遣村(12月末~1月)
2009 □雇用保険法改正→同年改正法施行
       ※非正規雇用労働者の加入要件を6か月以上に緩和←1年以上。再就職困難者の給付60日延長。
2009 □介護報酬改定(3%引上げ)
2009 □介護保険に新しい要介護認定導入
2009 ●生活保護、母子加算廃止(3月)
2009 ■政権交代
2009 ■厚生労働省、初めて「相対的貧困率」の公式統計を発表。
       ※一人当たり可処分所得の中央値(228万円)の半分未満、15.7%(2007年)。
2009 ●生活保護、母子加算復活(12月)
2009 ○閣議決定「明日の安心と成長のための緊急経済対策」
       ※新保育制度案。利用者本位の保育制度、株式会社・NPO参入促進、等。
2009 ○閣議決定「地方分権改革推進計画」
       ※児童福祉施設、老人福祉施設、身体障害者福祉施設の瀬ちび、運営基準の原則条例化。
2009 ■閣議決定「新経済戦略」
       ※2020年までに医療介護・健康関連サービスで新規雇用280万人創出。     
2009 □介護職員処遇改善交付金(全額国庫負担)(12月)
2009 ■公設派遣村(12月末~1月18日)
2010 ■社会保険庁廃止→日本年金機構(1月)
2010 □雇用保険法改正→同年改正法施行(一部を除く)
       ※適用範囲を31日以上の雇用見こみのある労働者まで拡大。
2010 □労働基準法改正
       ※月60時間超の時間外労働の割増賃金率は50%以上。←25%
2010 ○子ども手当法→同年施行(4月)
       ※半額実施、扶養控除・配偶者控除の廃止。
2010 □診療報酬改定
       ※10年ぶりプラス改定、ただし実質改定率は0.03%。
2010 ○児童扶養手当法改正→2010.8改正法施行
       ※父子家庭への拡大。

【参考】伊藤周平『雇用崩壊と社会保障』(平凡社新書、2010)
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コメント (2)
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