来年の干支は、私の干支の午なので、張り切って馬の絵をかいて出そうと思っていたのに、年賀状が出せず、楽なようなちょっと寂しい気がする。
父の初七日を迎えた頃、ユキちゃんがお参りにやって来た。
昨年二人であれこれと参拝の計画は立てたものの、今年は互いに忙しく動けなかった。やはり上からの指示がないと動けないという事らしい。
彼女が言うには、葬式の最中に武士ではないが厳めしい姿の方が父を迎えに来たのを見たという。
お不動様が来られたのを確信した。
彼女も今年の夏から長男が家を新築し転居と、10月に次男の転勤の手伝いに言っている最中にお舅さんが庭で転倒し打ち所が悪く頭を打ってしまい血液サラサラの薬を常用していたため、出血多量で亡くなられたという。
その葬儀の翌日は長男のお嫁さんの出産とバタバタと慌ただしかったというが、今年は友達のむっちゃんが亡くなってから、葬儀だらけでカメちゃんは実父とお舅、チエさんはお舅、そしてユキちゃんと私で4人揃って喪中になった。
「来年還暦だから、前厄なんだよね~。そんな年まわりなのかな?」とぼやいていた。
そして本当に年の瀬も迫り2,3日前、一旦断っていたクラス会の世話もボツボツと名簿を作るため、あれこれ連絡を取っていると、行方のわからなかったハナちゃんのお兄さんの住所が分かり、友人が電話をすると
「今、危篤状態です。」と、言われ絶句し、後の言葉が出ず、なんでそのようになったかは聞けれなかったと言う。
昔の彼女を思い出すと、元気そうで余りにもかけ離れているので想像がつかない。私とユキちゃんとハナちゃんは以前書いた事があるが、スカートめくりをした男の子を女子トイレに追い詰め、上から水をかけた事があった。
このクラス会もむっちゃんの死がきっかけで、クラスメイトの一人に弔電の御礼を出そうにも住所がなく、彼女のお姉さんに頼まれたことから始まった。
しかし、今年は何という年だろう。
昔から厄年と言うが、体の変わり目で気を付けろとぐらいにしか思っていなかったが、自分の厄であっても、身内の弱い者に出るという言葉を聞いた事があるが、それだろうか?
暦も60年で一回りであるが、私だけでなくとても慌ただしく、祝還暦とは言えない。
その上、前後するが友人のkも先月の末3日前になって、突然仕事を解雇された。
3年契約で東京から呼び戻されたのが、1年半である。
向こうは抜け道を用意して今のポストでなく、格下げの状態であれば継続して雇用すると言うが、それも出来ないので今日を限りで彼は失職。
何とむごく理不尽な話であるが、悔しくても私達にどうすることも出来ない。
異常気象と世の中不穏な空気が漂っているが、11月の連休の学生時代の集まりも父の様態が芳しくないので迷っていると、
「もう最後だから…。」とノワタリさんに言われ、出席したがこの2年「最後」、「最後」の言葉が続く…。私に起きるのか、世の中に起きるのかは分からない。仲の良かった同級生達が亡くなるとこちらも気弱になってしまう。
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