今回の旅でもう終わりだろうと思いながら、24日の最終便に乗り上京した。羽田から電車に乗るとみんな一斉にを手に取りメールを打ったり見ている。ペースメーカーを入れている母がいたらどんなに怖がる事だろうと思った。25日朝、5時半出発し、東京駅で乗り遅れる事も無く無事に佐久平駅までJ新幹線に乗り着いた。其処から登山口の天狗温泉山荘までレンタカーで走ったしった。
いつもの事ながら、二人ともほとんど寝ていない。駅レンタカーでモコを借りるとなんとおろし立ての新車だった。こんな事は初めて!
新幹線の駅周囲は最近道路も出来たみたいでゆったりして綺麗でその道だけでなく、海辺育ちの私には高原の町はすべて心地よく感じた。登山だけでなく、一泊して観光できるようにしなかったことを後悔した。
今時珍しい無舗装の道を走っていくと白樺林があった。事前の計画では軽井沢から車にしようと思っていたが、上高地で土砂崩れがあったのと、いつ豪雨に見舞われるかもしれないと思い、車で走る距離を最短にした。
佐久平駅に八時半前に着き、休息をとり出かけた。天狗温泉には1時間も掛かからず、10時前に着いた。今回、浅間山登山が目的でなく、火山館横の浅間神社に行く目的だったので湯平コースを登った。
橋を渡るまではなだらかで道幅も広く、楽だったが、二人とも膝を痛めているのでステッキやストックを突きながら転がっている沢山の黒い石を踏まないよう気をつけて歩かねばならなった。
一の鳥居を清め、くぐると山際に大きなイワクラがあった。そのイワクラも清めてノワタリさんが歌っておられる間、立っているだけで足の裏がジンジン、ビリビリとする。もうエネルギーが強くなっている。
其処から少し行くと、亀のような石とキツネのような石があり、沢沿いに細い道を登って行くと、けなげな木の枝が在った。
まるで岩を支えているように見えた。
不動の滝で近くまで下りて塩、水、御神酒を撒いた。先程のイワクラは予定外で水が一本しか残っていなかった。すると「ここで半分ですって。」とノワタリさんが言葉を受け取ったので500ミリのボトルの半分を残した。そこでノワタリさんは歌い、私はご真言をあげると「有難う。」の言葉を頂いた。其処から二の鳥居までは結構急な坂道になった。時折鶯や日暮の鳴き声と沢の水音が聞こえ優しい新緑の色と心地よいが、樹木の枝でさえぎられていた小雨が落ちてきた。
二の鳥居で清めたところで水はなくなった。其処からは森の中のジグザグの細い急な道を登った。森抜けると周囲の山の峰が見えてきたのでもう一息、もう一息と進むが火山館は見えない。山つつじが綺麗だった。其処ではカッコーの鳴き声も聞こえてきた。桜が散って日が経ってないらしく道に桜の花びらが沢山落ちていた。下山してきた30人くらいのグループと10人くらいのグループとすれ違った。いずれも年配者ばかり。尖った峯が左右に見える。浅間山の外輪山の一つらしい。
この石碑を続けて撮っていたら、いきなり画面の色が変り、上記の写真のようになった。カメラが壊れたと思い、消して取り直すと又普通に写ったが、この後ずっとそれは繰り返した。
やがてきつい硫黄の臭いがしてきて沢を覗くと赤茶色だった。周囲も火山灰のような砂地で時折、硫黄色の地面も見えた。もう私の足も限界だと思っていたら、火山館の屋根が見えて来た。
火山館に着くともう12時半近くになっていた。普通ならば2時間弱で登るらしいがあちらこちらでお清めしたのと、膝を痛めているので時間が掛かった。そこの前のテーブルで水を頂き、ノワタリさんからチョコや菓子を頂てしばらく休息してお仕事しようとしていたらまた、20人ぐらいのグループが下山してきたのでその人たちが立ち去るのを待った。その方達は朝6時に出発したそうだ。たぶん車坂峠から登られたのだろう。その間も又、足の裏はビリビリとしていた。そして山のお手洗いがこんなに綺麗だったのは初めてだ。管理人さんはとてもきちんとされているのだろう。そしてトイレットペーパー一つにしても運ばれる苦労を思った。途中、薪を積み上げてある所があり、「1つでも持って上がってもらえたら…」と書いてあったが其処は2の鳥居の少し上辺りだったので大変だろうと思った。
またそこでお清め様の水を頂きお社をお清めして岩長媛様にご挨拶した。そこでノワタリさんは「忙しくなる。」と言うお言葉を頂いた。
仕事が忙しくなるのか、また旅が忙しくなるのかは分からなかったが、一旦これが一区切りである事には違いないらしかった。
この変った色彩の写真は無修正である。ノワタリさんによるとこの場のエネルギーらしいが、に取り込んでからスライドショーを見てからまたまた、驚いた。上載の写真の空は日輪だろうか?
下山はガスが出てくると危ないので急いだ。しかし、膝が痛い私はとても辛い事を覚悟したが、ストックのおかげと石を踏まねば地面が柔らかだったのでどうにか下山できた。
しかし、先程の石碑を通り過ぎた地点でもぁ~と空気がした。まるで結界を出たみたいで全くそれまでと違うのを感じた。麓の浅間山荘に着くと午後3時でそこで遅い昼食に手打ちのおそばを頂き、大好きな温泉に入った。其処でも山で出会った人ばかりだった。その湯は赤褐色のお湯で本当に膝によさそうで温泉に浸かり足をマッサージしてから岐路についた。近ければ、再々通うのにと二人とも言った。秘境の秘湯と看板を目にしたが全くその通りの所で時間があれば泊まりたい。
残念ながら浅間山の姿を上でも下でも霧のため見ることは出来なかった。しかし、上まで登られた人も後で聞くと見えなかったらしい。
3月に予定通り登山していたら、私達には無理であったと思う。ストックもアイゼンも構えたが、今回膝痛で使うとは思わなかった。しかし、この足で登山できたのは守られていたからだと思う。まだ、私はビッコで右足を引きずりながら歩き、接骨院に通っている。
これは数年前から、足を痛めているノワタリさんに何処でも歩き回り配慮の無かった私への知らせもあるだろうと思う。何処へ行っても節電でエスカレーターが止まっていることが多かったが、お年寄りや故障のあるものにはとても辛い。今回、エレーベーターが有る所では私達は荷物も重いのでそれを利用した。駅の下りの長い階段はきつく、膝に負担をかけないよう歩いたら、転びそうにもなった。
7時半頃横浜に着き、叔母達と食事をしてノワタリさんとお別れした。翌日は、お昼にノワタリさん宅にお伺いして叔母と二人、ご神前でエネルギーを流していただいたが二人とも「新たなる出発」と言う言葉を頂いた。さて、どのような事が起こるのだろう。
ノワタリさんに羽田まで送っていただき、出発まであれこれとおしゃべりをした。登山するまでは、今回が最後だろうと二人とも思っていたがなんとなくそうでなさそうな気がしていた。
いつもならanaの最終便を使う事が多いのだが、往路が取れず、今回はJALで最終の一つ前だった。ANAの搭乗口は遠く、前回辛かったが、JALの搭乗口はとても近くB入り口の前で辛い足には助かった。これも神のなせる業かと思った。感謝しかない。
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