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一人のヒーラーさんとの出会いから、私の世界が変わっていきました。

沖縄慰霊の旅 2005年6月

2009-11-24 23:12:22 | 神社 エネルギースッポトを巡る旅

2005年の6月沖縄の終戦の日までにノワタリさんは1週間掛けて一人で周られた。私は計画だけで同行していないので、残念ながら写真は無い。

今回の目的は、慰霊ともう一つ、御神鏡を沖縄の海に奉納する事だった。ネットを調べ、例のごとく資料を送り、行くポイントを絞り込み悪戦苦闘しながら予定を立てた。唯、前年の北海道よりはずっと楽だった。沖縄に行った事が無い私がプランを練るのだから、ノワタリさんも行ってからご苦労だっただろうと思う。こうやって書こうとしたら、参考にしたサイトが見つからない。ノワタリさんと話していると少しづつ思い出して来た。

津島丸記念館を見つけた時、数年前NHKの教育で放送されたアニメを思い出した。私はこの話をそれで始めて知った。子供達の乗った船が米軍の魚雷を受け沈没市、生き残っても又沖縄戦で亡くなった子供や家族を失った子が多かったことを。もっと放映されば良いのにと思う。多くの人は私と同じように知らないだろう。

母の親戚の者も、沖縄で亡くなったとして葬式も済ませていたが、戦後ひょっこり帰ってきた。運良く地下の塹壕で気を失っていて捕虜になっていた。そのおじさんは前歯が数本欠けていたのをハワイあたり?に連れて行ってもらい治療してもらったと言う。結局、国籍は関係なくその上官の人柄だろうか?

父の同級生も3人1945年の4月の同じ日に戦死している。計画を立てている段階で気が重かった。

ノワタリさんは本島だけでなく、波照間島だけは遠くて行けなかったが、伊江島、渡嘉敷島と周られた。軍関係の壕、激戦地、石碑、平和祈念公園、米須霊域、喜屋武岬と行かれたが、何処も気の毒でかわいそうだったが、白梅の塔の辺りの病院跡は大変だったと言われた。普通の人が行かないような壕に数箇所行ったと言われた。「すぐに足音がして後ろにいるのよ。」と言われていた。本当にむごい光景ばかり見えていたらしい。

御神鏡はアマミキヨとミネリキョという(イザナギイザナミの神様のような神様)神の島と言われている伊計島の海に奉納された。その島着いた日、丁度女の神様の祭りで女性ばかりで祝っていたと言う。その海の先を見ながら、その前年に行ったグアムを感慨深げに眺めたと言われた。又、予定は無かったが、その島の真ん中に日本人の偉い人の墓?があるという事で御参りされた。

帰られてから、しばらく体調は戻らなかったと言われた。私もこの頃から、資料を調べるだけで、影響を受けてしまい体調がおかしく成りだした。本を読んでも同じで、最近やっとマイナスを受けないように香を焚くのが解った。今回も神戸の分も香を焚きながら書いた。

ノワタリさんのお供をし始めて、現実の歴史、現場に行かなくとも地図を見ながら、時刻表と首っぴきで計画を練るので勉強になる。ブログを書く時又記憶を頼り、調べなおしてするのは復習みたいだ。

先週、風邪気味な事もありストレスがたまっていたらしく、私は大散財をしそうになっていた。着もしないファーの着いたコートにクロコのバッグ、エルメスの時計を買いそうになっていた。30年近く所属していた会を辞めて無性に寂しくなった事や、仕事も失敗ばかりでクサクサすることが多かったが、もう成り行きに任す事にしたら楽になった。今夜、ノワタリさんに話すと、「揺さぶりだったわね。」と言われた。お恥ずかしい~。

昨日、抜けない風邪をすっきりさせようと両親を誘って近くの温泉に行った。サウナを出たり入ったりしていたら声を掛けてきた人がいた。20年くらい前のサークルで一緒だった同じ年の女性だった。彼女は子宮癌を患ってから、脚にリンパ液がたまってパンパンに腫れていた。サウナで血流を良くしたら大分良いそうでマッサージされていた。そういう大変な病気を持ちながら明るく前向きで、前の会社がなくなって、学校に3年間通いパソコンや介護を勉強したと言う。50歳過ぎては新たに就職も難しくで片道2時間かかる会社に通って頑張っている。ストレスがたまると、又新たな癌が見つかると言う。しかし以前の彼女からは想像出来ないくらい変わっていたが私は生きる元気を頂いた。

 

 

 


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