社労士(社会保険労務士)さんのひとり言

社会保険労務士ブログは早く卒業して、グルメブログにしたいものです。

100人の親戚とお友達。

2005年01月09日 12時49分22秒 | Weblog
 会社を辞めた後、社労士を活かした仕事がしたいな・・・と考えた私は、某損保会社に面接に行った。損保会社なら、社会保険の知識を活かせるし、収入も安定するかな・・・という簡単な気持ちだったのだが・・・。実際はそうでもなかった。

 面接は、電話をした日から数日で行われた。履歴書はもちろん市販のものを使用した。

 面接官は、意外に気さくな感じがした。私の営業職という職歴にも興味を示していただいたのだと思う。しかし、後がまずかった。

 まず、履歴書を書き換えて来てくれ…と言われた。その履歴書は、N社の古いタイプの履歴書用紙のコピーだった。本籍や家族履歴を書いて来い…と言う事らしい。(写真はいらないと言われたが…。) それはまずいだろう。(今は、履歴書には本籍欄すらなくなっている。その当時は、県名のみを書くようになっていた。)

 次に、健康診断を事前に受けて来いと言われた。未だに、そういう会社があるが、ハローワークは事前の健康診断をしないよう指導している。

 最後に、100人の見込先を書いて来い・・・と言われた。それも親戚と友人関係を書けという。友人も、大学時代の人間より、小中高校の友人が望ましいと言う。理由は「それぐらい古い友人だったら、保険を頼まれても断りきれないだろう。」との事だった。

 私は最終面接には行かなかった。と言うよりも、行ってはいけないと思った。さすがに本籍はまずいだろう。そんな程度の会社に行けるか・・・と思った。それと、100人名簿の件。親戚・友人に頼った営業はいずれは限界が来る。それでも会社は損をしない。契約未達で解雇するだけの事である。

後日談…他社にも面接に行ったら、100人名簿のことを言われた。おそらく、ほとんどの損保会社が取り入れているのだろう。さすがに本籍を書けとは言われなかったが。 

ダブルスタンダードな上司。

2005年01月09日 10時24分51秒 | Weblog
 私が会社にいた時、私ほど人事考課の上下が激しかった人間は少なかったらしい。当時の上司が首をかしげながら、「何でお前こんなに評価が悪かったの?」と聞いてきた事がある。会社側は、急に評価が上がる場合と下がる場合は、評価者に説明を求めた。その説明が書きづらかったのだろう。

 理由は、私が辛らつな意見をする人間だったこともある。そのため、合う上司合わない上司の差がが激しかった。それと、おそるべきダブルスタンダード上司がいた事もあった。

 その上司は、特定の人間に甘かった。その上司の考え方は、「スポーツマンは仕事をサボらない。サボるはずがない。またスポーツマンには悪人はいない。」という決め付けに基づいていた。よせばいいのに、私にそれを言ってしまう所が、この上司が最終的に昇進が頭打ちになった原因のひとつなのだと思う。

 同じミスをしても、明らかに対応が違っていた。その理由を聞くと、「あいつはスポーツマンだから同じミスは繰り返さない。」と言われた事もあった。残念ながら、私はそういう決め付けを嫌う人間である。少なくとも経営学を学んだ事のある人間は、人事考課が(原則)公平であるべき事を知っている。そう言う人間の前で言うべき事ではない。

 残念ながら、人事考課には好き嫌いが入り込む。スポーツマンの課員が陽ならば、私は陰であった時代がかなりあった。(私は典型的な文科系だったので。) 仕事の質はは変わらなくても人事考課は変動してしまう。人事考課制度が未熟な会社は特にそうなのだろうと思う。

 私は、人事考課が公平ではないのを知っているし、否定する気はない。ただ、それを課員に悟られるようでは困る。評価者は、ウソでも公平な評価をしていると貫き通さなければならない。