ひらつかウオーキング協会

2017年2月 ウォーキングの一言 平塚の七福神

【平塚の七福神】

 1月の最初のウォークは「平塚の七福神を巡る」でした。
 温かい日差しの中、七福神の由来はどんな物だったか考えてながら歩いていたのですが、何年か前にこの欄で記載しているのですが、すっかり忘れており、なんとも思い出すことができませんでした。
 そこで改めて由来に関して整理して見ようの思いついた次第です。
 平塚の七福神は、以下の神社仏閣に安置されているのですが。
 妙安寺:大黒天
 春日神社:毘沙門天
 平塚八幡宮:弁財天
 蓮光寺:布袋尊
 長楽寺:寿老人
 三嶋神社:恵比寿様
 善性寺:福禄寿

 七福神の名前をよく眺めてみると「天」の付く神様と、付かない神様が安置されていることがわかります。
 「天」と付くものは、仏教で言うと「天部」の神様であり、仏教を守護する神様であるため、寿老人などとはなんとなく違うものかと思われます。
  簡単に説明すると、インドから来た神様には「天」が付く、すなわち、仏教に関連した神様であり、寿老人などは中国から来た神様になります。唯一日本古来の神様が恵比寿様ということで、インド:3、中国:3、日本:1という生まれになっています。
 今回は仏教における仏像の話を少し調べてみました。
 次の機会に恵比寿様、寿老人などについて記載してみたいと思います。
 
 仏教の仏像を分類してみると、次のように分類することができるそうです。
 如来:仏教において悟りを得たものであり、仏教上の最高位に当たる神様、仏様です。
 菩薩:如来になるべく覚りをもとめるものを菩薩と言います。
 明王:神秘的な言葉や呪文を持ち、如来、菩薩の次の位に位置し、教えに従わない人間などに対して、救済するために、如来の指示により屈服させることを目的として、畏怖の念を抱かさせるために怖い顔になっています。
 天部:如来、菩薩、明王が人や生き物に対して救済することを目的とするならば、天部は仏教そのものを守護するという役割を持っています。また、その役割とともに、現世利益をもたらす、すなわち福をもたらすという役目も持っているようです。
 そのため、七福神には大黒天等、天部に所属する神様が存在しているのです。
 
 少し仏像に関する話を整理してみたいと思います。
 
 如来
 「釈迦如来」
 仏詑釈尊。いわゆるお釈迦様です。昔のインドにおける王子様であり、実在の人物であるとともに、仏教の教えの根源をなした人物として知られています。
 最も一般的な釈迦如来像は釈尊が説法をする姿を表したものであり、単独の像として表されていますが、中には、文殊菩薩、普賢菩薩などを脇持として従えた三尊像としても存在しているそうです。
 変わった姿としては、釈尊が生まれた時の姿を表す誕生仏や、苦行を終えて山から降りた時を表す出山釈迦像、唯一の横臥像である涅槃像などがあります。

 「阿弥陀如来」
 阿弥陀仏もお釈迦様同様に元はインドの王子様であり実在の人物とされています。
 阿弥陀仏は修行の折48の大願を立て、厳しい修行の末に如来になっています。
 その大願の中に「念仏を唱えるものは必ず極楽浄土に行ける」と説いて、これが阿弥陀仏信仰が盛んになったと言われています。
 阿弥陀如来像は、釈迦如来像と異なり、その姿が端麗であり、おおらかな姿が平安貴族を魅了したと言われています。
 
 「薬師如来」
 サンスクリット語で、「医者の長」という意味をもつ如来像で、日本でも古くから病気平癒を願って多くの薬師如来像が作られ親しまれています。
 薬師如来の基本像は、右手は施無畏印、左手には薬壺をもつ形となります。しかし、中には薬壺を持たない作例もあり、阿弥陀如来像特別がつかないような薬師如来も存在しているようです。
 
 「毘盧遮那仏:びるしゃなぶつ」
 サンスクリット語で、「光明遍照」を意味するヴァイローチャナを音訳した名前であり毘盧遮(舎)那仏と呼ばれており、太陽のような仏であり、釈迦の存在の根源にあり、釈迦は毘盧遮那仏の仮の姿と言われ、仏教の心理であり仏法そのものを表す抽象的であり、広大な宇宙の教主で概念の像です。
 日本では、奈良時代から篤く信仰され、広大な宇宙の教主にふさわしい大きな像が作らてています。奈良東大寺の大仏様が代表例と言われています。
 
 「大日如来」
 密教において、毘盧遮那仏が展開された如来であり、密教世界の最高位に位置する絶対的な存在の如来です。
 大日如来は、立像の作例はなく、如来でありながら宝冠、ネックレス、ブレスレッド等の装飾品を身に着け、結跏趺坐しています。
 大日如来は、両界曼荼羅と言われる金剛界、胎蔵界により印相が異なるとともに、菩薩像との区別が付くようになっています。
 
 「その他の如来」
 釈迦如来とともに二尊像をなす多宝如来や、大日如来の東西南北に配置されている如来などがあります。
 少し変わったところでは、弥勒菩薩が如来に位が上がった弥勒如来なども存在しています。
 
 菩薩
 先にも述べましたが、釈迦になるべく修行している姿が菩薩であり、基本的には出家以前における王子時代の釈迦の姿を表しています。
 如来像と異なり、装飾に飾られた姿が多く、菩薩の種類の数多きあります。
 また、呼び名も「観音」「菩薩」とに種類の呼び名が存在します。
 菩薩像は、単独で存在している像の他、如来の脇持として存在しているもの、逆に脇持を伴うものなど、数多くのパターンが存在しています。
 以下に代表的な菩薩像を述べますので、みなさんもよくご存知の菩薩様があると思います。
 ・聖観音
 ・弥勒菩薩
 ・十一面観音
 ・千手観音
 ・馬頭観音
 ・文殊菩薩
 ・普賢菩薩
 ・地蔵菩薩
 ・日光菩薩
 ・月光菩薩
 ・如意輪観音
 など多数存在しています。
 ちなみに、鎌倉の協会が毎冬実施する「干支守り本尊参り」には5種類の菩薩如来、明王が割り当てられています。
 ご自分の守り本尊を知り、本尊の役割を理解するとともに、その教えを知るのも歩く楽しみの一つになるかもわかりません。

 明王
 如来の命を受けて、言うことを聞かない人間相手に、どうすれば畏怖の念を抱かせ、屈服させて仏の教えを叩きこむことが使命であり、その使命を達成するために考えだされたのが明王の姿であるため、髪を逆立てた憤怒相が基本であり、背中に煩悩を焼きつくすための火炎を背負っている像が多く、また、様々な武器を携帯していたり、多面、他眼の像があったりします。
 主な像は以下のようなものでしょうか。
 ・不動明王
 ・孔雀明王
 ・愛染明王
 ・金剛夜叉明王
 等があります。
 
 天部
 天は天空、天上世界、または天に住まうものを意味しています。
 仏格としては、明王より下に当たりますが、天部の歴史は古く、仏菩薩に比較してその種類、数が多く、その成立過程もバラバラである上、姿形、性格もバラエティーに富んでいます。
 天部は大きく分けると「貴顕天部」「武装天部」に分けることができます。
 「貴顕天部」は、天女形と言って、吉祥天等女性的で菩薩のような表情、姿をしています。
 方や「武装天部」は、神将形と呼ばれ外敵を退治するために怖い顔をし、甲冑をつけ、武器を手にしているのが通常の姿とされています。
 以下に七福神を中心にして主な天部の像に関して説明します。
 「梵天」:宇宙の創造神をルーツに持ち、数多い天部の中でも高位に位置づけられています。古くから帝釈天と対にして作られ、釈迦如来像の脇持として三尊形式で飾られます。
 「帝釈天」:柴又の帝釈天が有名ですが、古代インド神話に登場する雷神をルーツとしています。梵天同様に貴顕天部に属していますが、戦士の守護神とも言われた戦闘神であるため、三尊として祀らてる場合、甲冑をつけていればそちらが帝釈天と考えられています。
 「金剛力士・執金剛神」:お寺の門などに安置されており、寺院を守っているため、皆さんもご存知かと思います。二神で対となり、仁王とも呼ばれています。口を開くのが阿形像、閉じるのが吽形像です。
 「四天王」:如来や菩薩を守るため、東西南北の四方に安置され、東:持国天、南:増長天、西:広目天、北:多聞天となります。甲冑をつけ、邪鬼を踏んで立つ勇ましい姿をしています。
 「毘沙門天」:上記多聞天が単独で祀られる時の名前が毘沙門天となります。元はヒンドゥー教の財宝神であるため、財宝や福徳を司る面を持っています。上杉謙信を始め、武将の信仰が多かったようですが、室町時代に七福神の仲間入りをしたようです。
 「吉祥天」:インドの幸運と美の女神を仏教に取り入れたのが吉祥天であり、吉祥天女、吉祥功徳天とも呼ばれています。吉祥天の夫は上記の毘沙門天と言われており、その子供である善膩師(ゼンニシ)童子と合わせて三尊で安置される場合もあります。また、七福神の1神としている所もあります。
 「弁財天」:もともとはインドの水の神で弁才天と呼ばれ、七福神の一つに数えられるようになった室町時代以降弁財天と言うようになり、言語、学問、知識、音楽、そして福財や戦闘神としても親しまれたようですが、最近は音楽の神様としての評価が高いようです。日本三大弁天としては、江ノ島、滋賀県竹生島、広島県厳島が有名であり、水の神様だけあっていずれも水辺に祀られています。言われてみると、秦野の弁財天も震生湖の湖畔に祀られています。
 「大黒天」:シヴァ神の変化神であり、戦闘を司る神様でしたが、仏教に取り入れられてからは福財神として、また、厨房を守る神としての性格をもつようになりました。
 日本には最澄が伝えたと言われており、当初は戦闘神として信仰されていましたが、鎌倉時代になって大国主命と結びつき、やがて、七福神の仲間入りをしています。
 大黒天は、福袋を背負い、米俵の上に乗っている姿をよく見かけますが、この姿になったのは鎌倉時代以降とのことです。したがって、平安時代に作られた大黒天は、甲冑をつけた戦闘神の姿をしているそうです。
 「鬼子母神」:平安時代の後期から起こった鬼子母神(カリテイボ)信仰は、もともとインドの鬼神の妻であり、人間の子供を捕まえて食べてしまう悪神でしたが、困った人々が釈尊に訴えて、大勢いる子供の一人を隠してしまいました。鬼子母神は、子供を失う母の悲しい気持ちを実感し、改心した後は安産や子供を守る神となりました。
 平塚にはおマンの方が寄進したと言われる鬼子母神が大黒天を祀っている妙安寺に祀られています。
 東京には、「恐れ入谷の鬼子母神」の言葉で有名な真源寺、雑司が谷の鬼子母神などが信仰を集めて有名に成っています。
 
 他にもたくさんの天部の神様がいますので、すべての神様を調べるのは至難の業かもわかりませんが、ウォーキングでお寺に参拝するときには、如来像、菩薩像、明王像、天部等の仏像に対して興味を持って訪れるのも良いかもわかりません。
 
 七福神の写真に関しては、こちらを参照していただきたく。
 
 http://blog.goo.ne.jp/hwa0100/e/c41bdfd1bf319a919fcf11e90139e9b6
 
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