誰だったか、説得力のある評論家がいうには、「職場の同僚を友人にするな。」というのがあった。
要は、同僚は出世するときに競争相手となるのだから。ということらしい。
男ってのは悲しいサガであるよ。
田舎の高卒出であるが、大卒同僚をしりめに一流企業の出世コースを昇っていった叔父も「会社の同僚は敵だ。足をすくうから油断ならぬ。」
と言っていた。
関西に本社を置く企業に勤めていた叔父が言うには、
「ワシが高速道路で車を横転させて肩を強打し呻いていたとき、後の車できた同僚は、これでアイツもお終いだな。と笑いつつ、そのまま遠ざかっていったよ。」
と言った。
強打した肩は夜中に激痛をおこして長い事苦しめたらしいが、叔父は、笑いながら去っていく会社の同僚に負けてたまるかと、「何くそ!」と発奮して
その後も出世していったらしい。
バブルがはじけて社内にリストラ対策が広まった時にもリストを選別する側の立場であり、そういうときには容赦なく辞めて貰ったそうだ。
前任地の中年女子社員が泣きついてきても面倒をみることはせず、独立事業所の社長が以前は先輩であったとしても事情を説明してお願いする。
叔母は、「郵便物に剃刀の刃が入っていやしないかと大変な不安を感じる。」と話していた。
ただ、そんな叔父は風信子にはとっつきにくい性格で苦手であった。
いや、叔父は陽気気にふるまっても陰(マイナス)であり、風信子も陰(マイナス)であるからお互いに単に反りがあわなかっただけであるが・・・。
ひるがえって風信子には職場で知りあった20年来の友人が片手ほどいる。
長い付き合いになるな、と思うけど数多くの仲よしから、お互いにふるいに掛け合って残った仲といえようか、ベッタリはしないけどいつまでも友人である。
なぜ、あの頃の縁が続いているのかと思えば人生の中で最も友人を作りやすい幸運な時期であったのだと今となっては思う。
20年前といえば、風信子の故郷の両親、義父母がソレゾレ入院したり退院したり身体の不調を訴えたりし始めた頃である。
友人の方も親の体調を心配し始める頃である。友人には子育てもある。まだ体力もあった。
風信子はお昼ご飯を食べながら、色々と事情を説明したり愚痴をこぼしたりした。
風:「何せ、一日の行動がトライアングルなのよ。三角形。」
友:「大変だったわね。」
風:「リュック背負ってね。田舎ってバスの便が悪いでしょ。でも全部、今日中に3か所の病院を廻らないといけないから。
朝、私の実家を出て先ず宮崎市内中心部の父の入院先に荷物を持っていって、次に西都市という別の町行きのバスに乗る。そこでは義父の洗濯物を持ってかえる。
で、隣町の高鍋町行きのバスに乗る。高鍋では夫の実家に寄って白内障の手術をする義母のお弁当を作ってから病院へいく。アレ点をたどったら4点だからトライアングルじゃないや。4か所だからね。凄いでしょ。」
友:「凄いわあ。ひやしんすちゃんだから出来たのよ。」
風:「でも○○ちゃんだって、毎年、稲刈りに帰っているじゃない。」
友:「田舎の田んぼは段々畑だから機械が入らないのよ。母が年取ってきたからね手伝ってやらないとね。それに掃除もしてあげたくなるしね。」
風:「長崎の離島だから帰るだけでも大変だよね。」
友:「私って母っ子だから、こっちへ帰ってくると朝目覚めて、アもう田舎の家じゃないと思うと涙がでてくるの。」
風:「そう、アまた涙ぐんでる。」
友:「ごめんね。思いだすと駄目やわあ~。」
こうしてお互いの田舎の家族関係や兄弟の悩み事まで話していくと、
「こんなことがあってね・・・。」
と心配事をちょっとだけ言うだけでアウンの呼吸で理解して貰える。
二つ目は、みんな好奇心が旺盛で、
「ね、ダンベル体操って知ってる。ビデオ持ってるから夜、集まってみんなでやらない。」
「わあ。やりたい。楽しいねえ。」
「終わったら軽食もちよってビールの飲む?」
あるいは、
「厚生省が社会保険センターを高槻に作って半額でジムやダンスを習えるのよ。やってみない。」
「健康にいいね。肩が凝ってしょうがないから是非やりたいわ。」
「土曜日がいいね。私は自転車で通えるけど。」
「桂から電車で通うわ。時々は車で。」
「じゃ、ジムなんてつまんないから。気功やってステップやってみない。」
「私はせっかく出てくるのにモッタイナイから3つともやるわ。」
さらに、
「嵐山の料亭でお食事しない。それから一日遊びましょうよ。風が気持ちよさそうよ。」
「いい!いい!」
「早速、希望者をつのるわ。誰でも参加OKよ。」
本当に良き風信子のひとつの時代だった。
その後は、嵐のような季節が通り過ぎていった。
でも友情は続いている。
忙しいと分かっているからお互いに電話で愚痴をこぼすことは絶対にしない。
(会った時に愚痴を聞いて貰えるからイイや。それまで頑張ろう。)
ときたまのメールだけする。
「随分と会っていないわ。久しぶりに会いたいわ。ひやしんすちゃん、時間とれない?」
今夜は懐かしい頃の思い出。
ひやしんす30代のマダ青春してた頃。
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要は、同僚は出世するときに競争相手となるのだから。ということらしい。
男ってのは悲しいサガであるよ。
田舎の高卒出であるが、大卒同僚をしりめに一流企業の出世コースを昇っていった叔父も「会社の同僚は敵だ。足をすくうから油断ならぬ。」
と言っていた。
関西に本社を置く企業に勤めていた叔父が言うには、
「ワシが高速道路で車を横転させて肩を強打し呻いていたとき、後の車できた同僚は、これでアイツもお終いだな。と笑いつつ、そのまま遠ざかっていったよ。」
と言った。
強打した肩は夜中に激痛をおこして長い事苦しめたらしいが、叔父は、笑いながら去っていく会社の同僚に負けてたまるかと、「何くそ!」と発奮して
その後も出世していったらしい。
バブルがはじけて社内にリストラ対策が広まった時にもリストを選別する側の立場であり、そういうときには容赦なく辞めて貰ったそうだ。
前任地の中年女子社員が泣きついてきても面倒をみることはせず、独立事業所の社長が以前は先輩であったとしても事情を説明してお願いする。
叔母は、「郵便物に剃刀の刃が入っていやしないかと大変な不安を感じる。」と話していた。
ただ、そんな叔父は風信子にはとっつきにくい性格で苦手であった。
いや、叔父は陽気気にふるまっても陰(マイナス)であり、風信子も陰(マイナス)であるからお互いに単に反りがあわなかっただけであるが・・・。
ひるがえって風信子には職場で知りあった20年来の友人が片手ほどいる。
長い付き合いになるな、と思うけど数多くの仲よしから、お互いにふるいに掛け合って残った仲といえようか、ベッタリはしないけどいつまでも友人である。
なぜ、あの頃の縁が続いているのかと思えば人生の中で最も友人を作りやすい幸運な時期であったのだと今となっては思う。
20年前といえば、風信子の故郷の両親、義父母がソレゾレ入院したり退院したり身体の不調を訴えたりし始めた頃である。
友人の方も親の体調を心配し始める頃である。友人には子育てもある。まだ体力もあった。
風信子はお昼ご飯を食べながら、色々と事情を説明したり愚痴をこぼしたりした。
風:「何せ、一日の行動がトライアングルなのよ。三角形。」
友:「大変だったわね。」
風:「リュック背負ってね。田舎ってバスの便が悪いでしょ。でも全部、今日中に3か所の病院を廻らないといけないから。
朝、私の実家を出て先ず宮崎市内中心部の父の入院先に荷物を持っていって、次に西都市という別の町行きのバスに乗る。そこでは義父の洗濯物を持ってかえる。
で、隣町の高鍋町行きのバスに乗る。高鍋では夫の実家に寄って白内障の手術をする義母のお弁当を作ってから病院へいく。アレ点をたどったら4点だからトライアングルじゃないや。4か所だからね。凄いでしょ。」
友:「凄いわあ。ひやしんすちゃんだから出来たのよ。」
風:「でも○○ちゃんだって、毎年、稲刈りに帰っているじゃない。」
友:「田舎の田んぼは段々畑だから機械が入らないのよ。母が年取ってきたからね手伝ってやらないとね。それに掃除もしてあげたくなるしね。」
風:「長崎の離島だから帰るだけでも大変だよね。」
友:「私って母っ子だから、こっちへ帰ってくると朝目覚めて、アもう田舎の家じゃないと思うと涙がでてくるの。」
風:「そう、アまた涙ぐんでる。」
友:「ごめんね。思いだすと駄目やわあ~。」
こうしてお互いの田舎の家族関係や兄弟の悩み事まで話していくと、
「こんなことがあってね・・・。」
と心配事をちょっとだけ言うだけでアウンの呼吸で理解して貰える。
二つ目は、みんな好奇心が旺盛で、
「ね、ダンベル体操って知ってる。ビデオ持ってるから夜、集まってみんなでやらない。」
「わあ。やりたい。楽しいねえ。」
「終わったら軽食もちよってビールの飲む?」
あるいは、
「厚生省が社会保険センターを高槻に作って半額でジムやダンスを習えるのよ。やってみない。」
「健康にいいね。肩が凝ってしょうがないから是非やりたいわ。」
「土曜日がいいね。私は自転車で通えるけど。」
「桂から電車で通うわ。時々は車で。」
「じゃ、ジムなんてつまんないから。気功やってステップやってみない。」
「私はせっかく出てくるのにモッタイナイから3つともやるわ。」
さらに、
「嵐山の料亭でお食事しない。それから一日遊びましょうよ。風が気持ちよさそうよ。」
「いい!いい!」
「早速、希望者をつのるわ。誰でも参加OKよ。」
本当に良き風信子のひとつの時代だった。
その後は、嵐のような季節が通り過ぎていった。
でも友情は続いている。
忙しいと分かっているからお互いに電話で愚痴をこぼすことは絶対にしない。
(会った時に愚痴を聞いて貰えるからイイや。それまで頑張ろう。)
ときたまのメールだけする。
「随分と会っていないわ。久しぶりに会いたいわ。ひやしんすちゃん、時間とれない?」
今夜は懐かしい頃の思い出。
ひやしんす30代のマダ青春してた頃。
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