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方丈の孤月  実際に見た者でなければわからぬ真実を書かねば。

2021年12月06日 | もう一冊読んでみた
方丈の孤月 鴨長明伝/梓澤要   2021.12.6

若い頃、堀田善衛の 『 方丈記私記 』 を楽しく読んだ覚えがあります。 詳しい内容は、忘れてしまいましたが。

今回は、梓澤要の 『 方丈の孤月 鴨長明伝 』 を、読んでみました。
面白かったです。

鴨長明の人となりが、よく表現されている部分を抜き書きしてみました。



 なにかいやなことがあると逃げる。逃げて、なかったことにしようとする。子供の頃からの悪い癖だ。嫌いな相手から逃げ、嫌いな勉学から逃げ、好きなことだけしていたい。楽しいことだけしていたい。それで通ると思ったら大間違いだぞ。父や兄や勝命祖父に何度そう叱責されたことか。叱られると引きこもる。殻に閉じこもる。自分でもまずいと思いつつ、後先考えず衝動的に行動してしまうのだ。やってしまってから、もうどうとでもなれ、と自暴自棄になる。
 そのときもそれとまったく同じ、なにもかもいやになってしまったのだ。
 逃げ込んだのは、以前うちに仕えていた古女房のお婆の家だ。年をとってくたびれたからと暇をとって東山の真葛原(まくずがはら)の小家に隠居していた。そこへ転がり込んだ。
 「やっと主さまと縁が切れたとほっとしとったに、わしゃ前世でよくよく悪事を重ねたか」
 露骨に嫌な顔をしたが、元暦の大地震の際、担ぎだして救ってもらった命の恩人を邪険に追い出せるものか。
 「いやなに、ほんのちぃとの間じゃ。それほど面倒はかけぬゆえ安心せよ」
 軽くいなし、家を守る右近に言い聞かせた。
 「院から使いがやってきて、おそらくまた家長どのだが、わたしがどこへ行ったか尋ねるであろうが、絶対に居所を明かしてはならぬぞ。なんぞ適当に言うておいてくれ」
 「はあはあ、とうとう化け狐が憑いて、黒塚に巣食って人を食らっております、とでも申しておきましょう。いや、天狗にさらわれて唐天竺へ飛び去ったと。そのほうがあなたらしゅうて真に聞こえるか」
 実直でふだんは戯言一つ言わぬ男が、妙に目をぎらつかせて言うではないか。


 「それがし、やっとせいせいしました。では、おさらば」
 憎たらしいほど晴れ晴れした顔で発っていったのだが、その後、帰ってこなかった。どこぞの地に居ついて暮らしているのか、途中で不慮の死を遂げたか。風の噂にも聞かぬ。
 考えてみれば、わたしはむかしからなぜか同年配の友人に恵まれなんだ。年配者は放っておけぬと思うのか、親身に忠告し導いてくれる人が絶えずいた。勝命祖父、俊恵坊、中原有安どの、証心どの、どの人もやがて亡くなってしまったが。
 こちらが中年になると、年下の若い人で親切に面倒みてくれる人もでてきた。どういうわけか、世話をしてやらずにいられなくなるらしい。不器用で人付き合いが苦手な中年男は厄介このうえない反面、なんとも憐れをそそるとみえる。
 それなのになぜか、同年配の気心知れた友人がない。こちらが意識せずともつい対抗心を抱いてしまうのを見透かされてか、自尊心ばかり高い気ぶっせいなやっと思われてか。おそらくどちらもであろうが、酒を酌み交わして忌憚なく語り合い、歌作で切磋琢磨したり、ときには悪所通いを共にしたり、そういう付き合いがまるでないのは寂しいかぎりだ。
 右近は、主人と雇者という立場の違いはあれ、唯一の同年配の友だった。長年ずっと傍にいて、どこに行くのも一緒。文字どおり苦楽を共にしてきた仲だ。減らず口と憎まれ口の応酬にどちらも疲れ果てて、何日も口をきかぬこともしょっちゅうだったが、それでも右近はよく仕えてくれた。
 ちゃんと妻子を持って家庭を築き、目下の召使たち誰からも慕われ頼りにされ、近隣やわたしの知己に対しても実にそつなく対応する。有能で誠実、よくできた男だった。
 そういう男が、ふと魔が差したように、あてもない放浪の旅に出たきり、そのまま帰ってこない。人の運命はつくづく不可思議だ。無事でいてくれればよいが。


 「だからね坊さま、これからは、いままでみてえにおまえさまと遊んでばっかはいられねえだ。
粗朶拾いや水汲みはおらがやってやるけども、一緒に遠出はむずかしくなるな。まあ、あと数年はひとりで暮らすんも大丈夫だろうけど、足腰が弱くなったら、法界寺の房に移るほうがいいよ。助国さまに頼んでおくからさ」
 わたしの身を案じてくれるところなんぞ、嬉しくて泣けてくるではないか。
 「いらぬお節介じゃ。わしのことは放っておけ」
 強がってみせたのも、別れがたい切なさ、いいようのない淋しさを気取られまいとしてのことだ。
 人の世に別れはつきものだ。どれだけ親しく心通わせる間柄であっても、やがては別れがくる。


 ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。よどみに浮ぶ泡沫(うたかた)は、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例(ためし)なし。世の中にある、人と栖(すみか)と、またかくのごとし。

 わたしはいつの間にか、このがや丸を自分の子か孫のように思ってしまっていたらしい。たったひとりの家族。そんな気になっていた。
 考えてみれば、わが子の百合若と別れたのは、いまのこの子とおなじ十三歳かそこらだった。
この子と百合若を重ね合わせるのを自分にかたく禁じ、考えぬようにしてきたが、それも自分がわが子への未練と後悔を思い出さぬためだったのかもしれぬ。


 ここへ移った年にも京内で大火があり、その後もたびたび大火事があったから、それで炎上して滅びた家はどれほどの数にのぼるか。家族や身内を失った者も大勢いたろう。逃げ惑う人々や、茫然と焼け跡に立ち尽くす人の姿を想像するだに、胸が痛い。
 そんなことを考えながら往時の大災害の覚書を読み返すと、つい昨日のことのように記憶がよみがえる。辛い体験はたとえ胸の奥底に封じ込めておいても、いつかふたたび血を噴き出す。書き綴りながら、何度も嗚咽が込み上げたが、やめようとは思わない。
 痛みは痛みとして引き受ける。実際に見た者でなければわからぬ真実を書かねば。その思いに突き動かされている。


 道端でふと耳にした他愛のない話の中に、わが発心を楽(ねが)うばかり、というところである。思いのまま、わが命のつづくかぎり、心を込めて書き綴り、もしも生きながらえて無事に完成できたあかつきには『発心集』とでも名づけよう。
 そう思いたつと、われながら現金なものだ、書くことが楽しく、あれこれ考えをめぐらすのが楽しくてならない。気持に張りが出たせいか、がや丸がおらぬ寂しさがまぎれる。
 これが最後の著作になろう。齢六十の声を聞くや、口も足もめっきり衰えた。もうがや丸が誘ってくれても一緒に山歩きに出かけることはできそうもない。
 あの頃がなっかしい。わが友がや丸と歩きまわった頃がなつかしい。



        『 方丈の孤月 鴨長明伝/梓澤要/新潮社 』


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