どうでもいいこと

M野の日々と52文字以上

2016ガマ合戦5日目こりゃどうか

2016-03-22 22:16:59 | ガマ合戦

 

ガマ合戦を観察している範囲の平均気温の温度変化を書き出してみた。12年から14年まで確実に開始時期を把握していたとは思えないので、前後の日数があったと考えた。ガマ合戦は2週間は続くというのが大体分かっているので、観察記録より少し開始時期と終了時期を広げた。

でないと今の状況がわからないからだ。とりあえず規則性は認められない。なんらかの起点での積算気温と平均気温が10度を超える時点が合戦開始時期になるのかもしれない。

ただ個体数が減りすぎているという可能性だけはある。

 

 

最高気温は10.4度で、観察した20時前後では6・5度と低すぎるわけではない。

 

 

カワツザクラの蕾が膨らんできた。盛岡ではカワツザクラといっても特に早咲きというわけではない。木が成熟してきたというのもあるが、冬が暖かかったというのはある。

サクラで見るならガマ合戦の時期はそんなにずれてはいない。だが集合が分散化しているのだろうか。個体数が激減しているからだけなのだろうか。

 

 

 

まあ色々考えている。

少し面白いニュースがある。人工知能を使って小説を書けるかというプロジェクトがあるのだが、星新一に絞っているのがえらい。それが「星新一賞」の一次選考に通ったという

星新一の文体は、えらく難しいので、逆に簡単すぎるので、人工知能の研究にはもってこいの最難関だ。

だが残念なところ、まだプロットはヒトの手でないとダメなようだ。

 

 

5年見ていて思うのだが、メスとオスの相性はありそうだ。そしてオスがしがみついてからの産卵までの時間は結構ありそうだ。

今年で見るペア二組目で、産卵はない。

 

 

まだ始まったばかりだと思いたい。

 

 

なお、アズマヒキガエルは陸生のカエルなので、空気中の湿度が高い方がいいけど、水がないと絶対生きていけないわけではない。雨が降った直後だから湧いて出ることはない。気温は高い方がいい。だがガマ合戦が始まってから温度の影響は少ない。

 

 

今日は陸上で0匹、水中で4匹、つがいが一組だった。

まだ産卵は見つけていない。


どうもなぁ

2016-03-22 01:36:48 | 日記

 

このところ人はなぜ承認を求めるのかということを考えている。承認といえば堅苦しいがポジティブな方向で認められたいということだ。綺麗だとかかっこいいとか、仕事ができるとかetc…。様々ある。おもろいやつとか、スポーツができるとかもそうだ。

承認はまず親から始まる。ここから幼稚園などの団体生活の中で他者からの承認というものになるが、先生の存在は大きい。権威からの承認というべきだろうか、リーダー格からの承認というのはある。それが中学校とかになり社会が広がると、先生から先輩後輩同級生地域社会と範囲が大きくなる。もちろん親からの承認というのはあるが、その親が離婚とか死別とかなると基礎がなくなるので困ったことになるだろう。反抗期でのゴタゴタといいうのも大きいだろう。

承認を求めて人は右往左往するわけだが、誰もが成功するわけではない。優秀だが性格が悪いとか、運が悪いとか様々だ。どんなに努力しても女にもてない男はいる。彼は世界の半分から承認されていないという事実に気がつかなければいけない。

承認というのは国家資格だったり学歴だったりする。国家が認めたというのは自身にもなるだろうし仕事でも役に立つだろう。

実はまだまだ考えなければいけないことなのだが、ヤンキーの構造は承認の構造である。仲間というのはそういったことだ。だがそこには別な論理があるので何か浮いて見える。だがもっとめんどくさいのは、年寄りの承認欲求だ。

もう少しネチネチと考えてゆこう。

 

 

泳ぎに行く。500m、400m、300m、200m、100m2本、あとは50メートルを10本泳いだ。少しはまともなタイムになったが、なにかまだからだと神経がうまく連動していない感じがする。

そういえば村上春樹の「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」で、多崎つくるが泳ぐ距離は1500メーターで32分から33分と書いている。村上春樹の小説には同様に水泳が好きな主人公が出てくるが、ハードすぎずかといってやわでないような泳ぎ方となっていたと思う。その意味では。36歳の主人公なら、これはぬるいだろう。50メーター1分で1500を30分以下、なのだ。

かなり前からこのあたりの表現は、連続で1500メートルを泳いでいると考えていたのだが、100メーター15本とかで休憩があると考えたほうがいい可能性がある。習っていなくとも、この場合灰田から習ったというのもあるから、大学から泳いでこのタイムはないのですな。これって60歳のタイムだよ。

ということで、つくる氏がいかに無欲であるのかという表現でもありそうですね。

 

 

館坂橋の近くにローリエという喫茶店があった。結構繁盛していたのだが、移動販売に移行して店を閉めてしまった。計画的だったと思う。その店が総合プールの一角に出店していた。確かに総合プールと屋内スケート場とアイスアリーナがある一角だが、特にイベントがあるわけでもなく、3月の末に子供連れのお客が多いわけでもなく、なぜかいる。

テスト販売なのだろうな。ただタイミングとしては最悪かもしれない。年度末は、人はスポーツどころではなくなるのです。

 

 

二つ話題を。CNNですね。

(CNN) 米ミシガン州アナーバーの裁判所で20日までに、不法監禁や武器隠匿の罪を認めた21歳の男性被告が量刑の軽減を求め、裁判官に向かって謝罪の気持ちを込めた曲を歌う異例の一幕があった。

結果、禁固3年の希望は最大の17年になってしまった。多分なのだが、法廷を侮辱したとかではなく、感動的だったのだと思う。なんでここまで才能あるのに最悪なんだということだと思う。ここでこの才能を出すなよなと。

仮出所での犯罪が多すぎたというのが、問題だったという。

 

 

今の人類のDNAにはネアンデルタール人のDNAが入っているという論文があった。だがそれに輪をかけてデニソワ原人のDNAも入っている、という結果も出たらしい。らしいというのは、結構衝撃的な当たり前なのだ。

しかし今回デニソワ人のDNAの痕跡が見つかったメラネシア人は、シベリアから遠く離れた太平洋の島々に住んでいる。東南アジアに住む人の一部からもデニソワ人の痕跡がわずかに検出されたことから、ワシントン大学の研究者は、メラネシア人の祖先が東南アジアのどこかでデニソワ人と交わったと推測する。」

さてこの結果をキリスト教右派、特にアメリカ人はどう受け止めるのかが楽しみです。彼らは絶滅したネアンデルタールやデニソワ人を、「遅れた人たち」と言い切っていました。彼らが絶滅したのは、神が最後に作ったのが白人だったというのがあるわけで、当然なのです。

ただ神が一番最初に作ったのは黒人だったという矛盾が出た上に、「劣って絶滅したネアンデルタールやデニソワ」の血統が自分にあるとなったらなかなかに面白いものです。「デニソワ」はなかった。

だから、なんで承認が欲しいのか?誰から欲しいのか?インテリジェントデザインはなぜ袋小路になるのか、神とは何かを考え続けた科学者の答えは、歴史的であって偶然としか思えない、その流れだ。

そう混乱してきた。神はなぜネアンデルタールやデニソワを残したのだろうか。なぜ人類純血統種の黒人が差別されるのだろうか。

なんか熱くなってきたので、止める。