4日は午前中快晴だった。そこで市営総合プールに泳ぎに行く。2時間から3時間ダラダラと泳いで甲羅干しをしてという程度だ。
昔は近所に青少年勤労プールがあり、夏場だけの営業だが屋外50メートル水深1.6メートルと十分なプールで、夏になると入り浸っていたものだ。入場料が150円だった。それ以外の季節は市営肴町温水プールに通っていた。入場料は回数券で350円程度だったと思う。肴町は01年に閉鎖、勤労青少年プールは02年で50メートルが閉鎖。それからしばらくは、総合プールに通っていたが遠いのと高いのとで、足が遠のいていた。まあそれでも年に数回は泳ぎにいっていたのだが、なぜか2年前から全然行っていない。
なぜ行かなかったのかと言えば、骨折だ。本当だったら行った方が良かった。だがちょっと気が引けた。元々腰痛対策のために泳いでいたので、キックを使わないクロールとか出来たので問題はなかった。
昨年は、膝に水がたまっていたので更に行っても良かった。だが行かなかった。
お金がなかったから。これは大きい。入場料700円はチト大きい。おまけに遠い。昨年は特に、手術代を用意しておかなければならなかったので、気持ちにかなり負担があった。
以前は一回行って1000メートル3本とか泳いでいたのだが、今じゃ500メートルでもう十分と言った所か。こういった所も行きにくくなる原因だ。
昼頃地震があった。丁度泳いでいる所だった。急にホイッスルがならされ、プールから上がってくださいと言われた。
これが嫌だったと言うのに気がついた。震災当日も、フロはいっていなくてよかったとか、彼女とイチャイチャしていた奴って大変だったろうなとか、もしも大きな地震が来た時裸だったらどうしようという話しがあった。
水着を着ているとはいえ、この格好で家まで帰りたくないものだ。
かなり影響していたのは間違いがない。
揚子江高気圧団なので、秋の空っぽい。今日のNHKのニュースでも、梅雨明けの東北各地の猛暑と言う記事だったようだが、アナウンサーの判断だと思うのだがかなり言い直していた。おかげで解りにくかったが、正確になっていた。盛岡の最高気温も、平年並み。東北各地も特に暑い訳ではない。
なぜこうなったのか。地方局では、この時期の天気ネタは大体新人が書く。そうすると長年の技でテンプレートみたいな記事があって、そこから拝借する事になる。だから「梅雨明けの強い日差しの下、東北地方では暑い一日となりました。」と書いてしまう。更に別な地域では猛暑だったりするし、そこに予断が生まれてしまう。
もしかするとお天気はアナウンサーが書いているのかもしれない。
ただもっと酷い例もある。マスコミが猛暑と言っているから猛暑だと思っている人がかなりいる。しかもそれは関東圏以南の話しで、九州はそうでもないはずだ。東北は全く違う。
それが農家だったら?
勘弁してくれ。宮沢賢治が花巻農学校で述べた祝辞、生徒諸君に寄せるは古くさいが、いっている事は今でも通じる。
諸君はこの時代に強いられ率いられて
奴隷のように忍従することを欲するか
だから理性と科学が必要なんだと彼はいっている。
こまちが最徐行運転をしていた。何があったのだろうか。
また麻生太郎の失言が話題になっていたが、8月1日の撤回以降は日本の報道はほとんど止まっている。しかし海外ではまだまだ話題になっているようだ。フィナンシャル・タイムスがかなり良い記事を書いている。
当初日本では、単なるマスゴミの足上げとりとかいう人もいたが、今ではほとんどいない。理由は発言が全文掲載されてからだ。いろんな人が解読を試みたが、誰もが判読不能だったからだ。実のところ大筋では憲法改正は慎重であるべきだ。若年層の動向も問題だ。それでも改正したいなら~と例の下りに繋がるのだが、各エピソードが錯綜してメチャクチャで、どうすりゃこういった発言になるのかすら理解不能だ。
先のgooの翻訳はかなり意訳しているようだ。JBプレスになるともう少し正確に翻訳している。
このエピソードは与党自民党を牛耳る文化的保守派が修正主義の夢を捨てていないことを思い出させる一件だ。
修正主義者と、かなり侮蔑的な発言をしている。歴史を修正しようとするものを意味するのだが、反省も出来ない時代遅れの愚か者という意味もある。たまに言い訳させてくれと思うときはあるが、修正主義といわれるのは勘弁だ。中国や韓国の発言で、歴史問題を語っている時にこの「修正主義者」と書き直すと解りやすい所がある。多分彼らは英語に訳す時、そう書き直している可能性がある。
それでもこの記者は、ユーモアーがある。
矛盾しているようだが、現行憲法の最大の受益者に数えられるのは自民党自身かもしれない。同党は大半の有権者より右寄りの思想を持つにもかかわらず、1955年以降、4年間を除いて日本を支配してきた。憲法が多くのことをするのを許さないため、国民は自民党が軍隊(自衛隊)や自分たちの権利についてどんなことをするか心配せずに同党に票を投じることができたからだ。
確かにそうなのだ。自民党は常に足かせをはめられていた、だからみんな安心していたのだ。だが自民党の憲法案の余りの酷さに、何か変と気がつきつつある。
さて麻生太郎だが、今後どうなるのだろうか。私が一番怖れているのは、ドイツ立ち入り禁止を食らう事だ。あのアウシュビッツ法に抵触する可能性がある。そうなると実質EU立ち入り禁止になる。そこまではいかなくとも、ドイツの閣僚から面会拒否を受ける可能性はある。発言撤回がうまくいっていれば良いのだが。
国内ではユダヤ人人権団体がとかユダヤロビーとなりがちだが、実際問題として今後麻生太郎は、外務・財務・金融・経産・農林大臣には不適格となる可能性もある。内閣官房長官は元々無理だが、これも無理。総務大臣だけだろうか。対外折衝のある場では、不適格となるだろう。
麻生太郎は日本的政治演説の名人だ。もの凄くうまい。しかしここには弱点がある。
うまいと言う事と伝える事は違うからだ。と言うと石破の演説になるのだが、彼は伝える事に熱心で、うまくない。
ここで問題が、うまい下手の違いだ。空気を変える事が出来るのがうまい演説で、空気を変えられない演説は下手な演説なのだ。だから小ネタをちりばめた麻生太郎の演説はよく聞こえる。空気を変えるのが目的だから、理論的な帰着がなおざりにされる事もしばしば。自分の声である方が力があるので、原稿無しで望む事が多い。そこで話しが飛びがちで失言を誘発するのだ。今回も話しを回収するためのネタが、ナチだったのに思いっきりの地雷だった。
私ならどうするのか?
「今の自民党執行部ですがね、どうして憲法改正をいそぐのですかね。私も執行部にいたのでよくわからないのですが(笑)、ナチスのようにワイマール憲法を下から崩していった例もありますが、時間がかかるものですよ。まあ結党以来65年も掛けたので焦られるのでしょうが、憲法9条も限定的ですが解釈の変更も出来ました。」
結局主語が抜けているから訳が分からなくなる。実際語数が倍に増えてしまう。これでは演説名人には耐えられないだろう。話しがダラダラと長くなるのは禁物だ。それにしては散漫な演説だが。
演説と言うのは、聞き手の問題にもなる。正直な所、日本人には理論的な演説は苦手だと思う。キャッチーなコピーが続いて、何かかっこ良く、よくいったと思ちゃったりして、良い演説だと聞き終わてっから、何の話しを聞いたんだっけ?まあいいや。かっこ良かったし、で終わるものだ。この前の小泉進次郎もそうだ。あれは応援演説だったのかどうか実は不明だ。自民党応援演説ではあったが。
あと15分以上はとても苦手だ。いや10分でも辛いものだ。しかしドラマの台詞なんてしっかり覚えていたりするからただ単に興味がないだけかもしれない。
演説はテレビドラマと同列に扱われている。いやそれ以下かもしれない。両方娯楽と捉えれば、戦前のあか抜けなさをまとう政治演説はそうなるのだろう。
石破氏に至っては、理論的で厳密な言語感覚が相当嫌われて来た。民主党の野田氏もエモーショナルだが論理性は崩さなかった。しかし演説の名手だが好かれちゃいない。共産党の志位委員長もうまい。
だがその理論性がどこか上から目線に感じて嫌なのだろう。石破氏に至っては、言葉使いを直され、ついにアンパンマンにさせられ、選挙中の日焼けでコゲパンになってしまった。そうでもしないと彼の言葉は伝わらない。
そうすると麻生太郎の方が、貴種なのにこんなにオバカって親しみ持てるとなるのだろうか。そんな国民だから政治家が育たないと言う所もある。麻生太郎も同じ失敗ばかりする。
最近インドでハリジャンの男性とクシャトリナの女性の結婚があった。クシャトリナの父は自殺、ハリジャンの村は2回暴徒に襲われた。結局この周囲の激変に驚いて二人は離婚した。
しかしインド憲法では、全人民の平等を保証している。この憲法を起草したのはハリジャン出身のアンベードカルであったのだが。2時間以上演説をぶつ、怪物だった。
イエメンでは11歳の女の子が、両親から結婚させられる!と逃げた事件が騒がせている。ユーチューブで訴えたので世界的な話題になった。イエメンでも結婚資格は17歳からだから法律違反なのだが、世界的に見ても若年結婚の風習は多い。下手すりゃ10代以下で結婚だ。
昔インド人から結婚していないのかと聞かれて、していないと答えたら、それはおかしいと猛烈にいわれた。若年結婚当たり前の国だから仕方ないのかと思いつつ、「今の日本の女性を見ろ!」といったら黙ってしまった。
こんな救われない悪習と比べるのもどうかと思うが、日本の政治家と国民の関係も、なかなかにエキゾティックだと思う。
2012.8.9 追記
本稿では麻生元首相・現財務省大臣をあえて麻生太郎と書いた。理由はどうもこの人物が解らないからだ。とにかく面白い人だし見識もあるし、政治力もある。だが政治家としてはどうかと言う事で、個人名の方が正しいように感じている。例えば鳩山由紀夫氏も、個人だったらスッキリする。元首相でもなんでもない。
私は麻生太郎を、政治家ではなく個人と考えたい。
二人は呪いのかかった家に生まれたと思う。その中で、個人をどうするのかがある。
鳩山由紀夫に「氏」を付けたのは、彼は呪いから解脱しているからだ。だが麻生太郎は、解脱する事はない。
そこが面白い所だ。