どうでもいいこと

M野の日々と52文字以上

あんぜんほしょうかんれんほうあんねえ

2015-05-15 01:26:13 | 日記

 

日本国憲法9条の枠組みを超えて、自衛隊のある日本だが、その自衛隊の枠組みを変える法案が今国会に出る。

これらに対しては様々な意見があるが、私の考えでは正しいと思っている。1970年とも状況が違うし、80年とも90年とも00年とも違う。だからそれぞれの年代でこの法案の研究はされてしかるべきだった。だが右翼は現実的なすり合わせをしなかったし、左翼は教条的すぎた。政治家であってもこの議論は年代によっては立場を変えてしかるべきだと思うが、どうしようもない平行線が続いた。

そのせいだろうか、議論が未成熟なところがあり、憲法解釈についてもアバウトに見えてしまう。

そもそも自民党の改憲案があまりにもご都合主義的ロマンティストで、お話にならなかった。主権者を取り違えるほどのものだった。なので正面突破を諦めて、関連法案で防衛問題を解決するのは仕方がない。

 

 

逆説的に法案では、曖昧なところはあるが、どうも自民党内でも後もに議論したことがなかったのではないのかと思わせるところがある。

用例が瑣末なのだ。国家が国土を守るための範囲から、国民を守るための軍隊の運用の原則として変えるだけだ。そういった前提なしに用例ばかりを提案しているから、多分これが法令の適用範囲限界になるだろう。

 

 

とはいえ、この法案ができて、オッチョコチョイが間違った運用をするのではないのかというのが、多分誰もが思うことだと思う。

「空気」で戦争を始めたオッチョコチョイがね、また現れると困るのですよ。特にネットの意見で起こされた日には。

法を捻じ曲げた冤罪事件から、生活保護拒否で餓死する人がいたりする国です。法というのは、かいくぐるためにあるとすれば、お隣の国と変わらないわけです。

プラグマティストは、今受けないから。小選挙区の政治家には皆無になりつつある。


音楽を聴くということは2

2015-05-14 02:09:04 | 日記

音楽というのはかつて2種類あった。踊るための音楽と踊ることの許されない音楽とだ。前者は大衆音楽や労働歌だろう。労働歌は踊らないがリズムをとることで作業を一定化する役目がある。楽しくないかだけだ。後者は宗教音楽などだ。時代が下がると舞台音楽や踊りを見るための音楽というふうに舞台芸術付随のものになる。宗教音楽も布教のための舞台装置であり、意味は違っても基本は舞台と考えてもいいだろう。

現在の音楽と同じ扱われ方、つまりイージーリスニングもあった。ただこれらは余興にしか過ぎない。王侯貴族の食卓から大衆の酒場まであっただろう。

日本ではどうだったのだろうか。多分日本には純粋器楽は存在しなかった。雅楽や神楽や音頭のような、宗教音楽には踊りがつく。音頭は仏教行事からきているのだが誰もが忘れている。能楽や歌舞伎は舞台であるし、歌舞伎は今でも踊りだ。江戸時代に成立した常磐津なども音楽であるが踊りがあったほうが座敷芸として良い。端唄・小唄は言葉と音楽を使った、座敷芸でもあるしコミュニケーションツールでもあった。

西洋音楽、クラシックだがその歴史は踊るための音楽と舞台音楽が中心だ。そのせめぎ合いの中から純粋音楽、つまり聞くだけの音楽というのが成立してゆく。比較的形式が自由だった余興としての音楽から始まったと思う。ルネッサンスからバロックにかけて様々な取り組みがあったと思う。ただそれでも、食後に踊ることができるように音楽を作らなければいけない。その風習は大きい。バッハの平均律クラビアーナは、すべて舞曲の名前で作られている。形式的に舞曲である必要があったのだ。たとえそれが純粋音楽だったとしても、当時では舞曲でないと認められなかったのだろう。

貴族の広間から大衆のコンサートに移行するのは18世紀後半あたりからのようだ。ここには貴族以外の資産階級が勃興したことが大きい。暇があるお金持ちたちが聞くようになったのだ。オペレッタのような娯楽性の高いものから、大規模なオペラの興行が行われるようになる。純粋器楽もお金持ちのサロンから、大規模な交響曲となって劇場に移行する。

ただここで注意したいのは、ものすごい音楽愛好家もいたが大半は社交界の流行としての劇場だ。うろ覚えだが、ウイーンフィルはウイーン国立歌劇場のメンバーが交響曲等を演奏するために作ったものだが、その資金を作ったのは1812年設立のウィーン楽友協会だった。1831年には自前のホールを持ち、1870年には現在のホールができている。皇帝は土地を出したようだ。多分民間資金だろう。その時出資した人たちは世襲会員となっている。今でもウィーンフィルの定期演奏会は、その世襲会員の社交場になっているという。

ミラノスカラ座のような例もある。ウイキだが「裕福な90人のミラノ市民がオーストリア大公フェルディナントに新しい劇場の建設と、新劇場完成までの仮劇場の提供を依頼した」という回りくどい言い方をしているが、ようは金を出したということだ。教会を撤去してまで建てられた意味がすごい。そしてスカラ座の建設費はバルコニー席の販売で賄われた。どれだけお金持ちがいたのか。

さて真面目に聞いていた人はどの程度いたのだろうか。メインは社交だ。それでもいたからこそクラシックは発展してきた。ただやはり、新規性を追うことになり規模は拡大し続ける。流行でもある以上これは避けられない。ただそうなってくれば、普通の人には訳がわからないものばかりになる。だからここで評論家が生まれる。評論家がサゼスチョンしないと大衆化しないという時代になる。まあそれでもフランスで作曲家から評論家までワーグナーを嫌ったが、バイロイト音楽祭はパリ社交界で大人気だった。だからこそサン・サースは学生に対してワーグナー禁止令を出すのだが、誰も守っちゃいなかった。

それでは踊る音楽はどこに行ったのか?このお金持ちたちも踊っていたし、庶民も踊っていた。ウインナーワルツが代表だろう。流行歌もあったし、それも踊れるようなものが多かったと思う。そう思うのは年代は下がるがサティの歌曲がそうだからだ。スイング時代のジャズもそうだ

この頃の日本は江戸時代だ。多分庶民は踊っていただろう。だが幕府の倹約令からなんやでよく圧はあっただろう。また身分制度の問題はある。踊りはの芸であって上流階級はしないとなっていた。誰もが踊っていいのは祭りの時くらいだっただろう。

それがなぜか、伊勢神宮へのおかげ参りを使った討幕運動かもしれないとも言われている、「ええじゃないか騒動」が起きる。1867年の7月から12月まで近畿・四国から東海にかけて、伊勢神宮のお札が降ったようだ。そして大衆は「ええじゃないか」と囃し立てて踊りまくった。ナゾな事件だが、当時の日本人にとっての「踊る」という意味が透けてくるように思える。

蛇足だが、伊勢神宮のお札が降ったというウワサで熱狂が起きるなら、直接伊勢神宮から幣が送られてきたらどうなるのか。明治維新後数年行われた。だが結果は散々だった。幣は川に流されたりした。明治政府はこの政策をすぐに止めた。

日本では鹿鳴館の時代もあったが、西洋音楽とダンスが入るのは大正期までくるだろうか。ダンスホールとかだ。そして音頭なのだが、もともと宗教的なものだったが娯楽に変わったという経緯がある。だが宗教的意味合いと戦後のコミュニティの変化で、踊れなくなってしまった。余所者が増えると地域の型を守れなくなるからだ。その意味では東京音頭やオリンピック音頭のような全国的に流行した音頭が未だもって使われるのは、標準化という意味で大きいのだろう。

大瀧詠一の音頭シリーズが使いにくいのは、やはり歌詞のせいだろうか。「イエローサブマリン音頭」は踊りにくい。

今でもダンサブルな音楽はいっぱいありチャートの上位を占めている。ところが「音楽」を聞くとなれば、別な考えが必要だ。記録媒体ができたのだ。


地震で目がさめた

2015-05-14 01:22:57 | 日記

 

朝6時8分に目が覚めたら地震になった。地震が起きる直前に目がさめるというのは、久しぶりのことだ。最初はこれはヤバいかもしれないと思ったほどの縦揺れだった。横揺れになり勢いが増したとおもった瞬間に弱くなった。家には何も被害がなかった。盛岡は震度4だが、もう少し強く感じた。

市内も大したことがないように思えたが、ショッピングセンターのスプリンクラーが破裂したようだ。どうも天井が共振したようだが、つり天井でもないのでよほど設計に問題があるのだろう。震災以降これで2度目だそうだ。ただそうすると、やはり今朝の地震は強かったのだ。

 

 

強い寒冷前線が通過し、オマケに台風から熱帯低気圧になったのもあわさったのか、風が強い。オマケに雨も時々降ってくる。地震があった直後なので、何もかにもが地震のせいに感じる。

その上今日は仕事が忙しかった。心がフラフラなのに仕事で力を吸われてしまって、今は何も考えられなくなっている。

 

 

庭の畑は、ネコのトイレにならないようにマメに水やりをしていたのだが、それでもやはり2回もやられてしまった。とはいえ完全に乾燥している時よりは盛大に掘り返されなかったので被害は少ないようだ。ネコよけの匂いを脇に置いたら、来なくなったようだ。今年はゼオライトを盛大に蒔いたのでネコのおしっこの被害も相当軽減されるだろう。

双葉が出てきた。今年こそは10月まで味噌汁の具はほとんど自家菜園でまかなえるようにしたい。


滝沢市運動公園にゆく

2015-05-11 01:11:05 | まち歩き

 

毎年のことの、全東北学生競技ダンス選手権に、滝沢市総合体育館に行ってきた。

ダンス選手権といってもソーシャルダンスだ。実はこの大会会場確保に苦しんできた。社交ダンスの過去の問題、戦後のダンスホールのことだが、それが未だもって尾を引いている。だいたい風営法の規定にかかっているというのも時代錯誤も甚だしいのだが、まだまだそういった偏見を持っている人が多いようで、会場には常に困っていた。それが滝沢市総合体育館が岩手国体のダンス会場になったことから、今後も会場貸し出しに協力的になるだろう。いいことだ。

その大会だが、今年は異変が起きていた。ボトムアップしてきた感じはいいのだが、上位に華がない。ナンダと思ったら東北大学の競技舞踏部が昨年フェリーの中ではしゃぎすぎて乗客からクレームがついた。ところが過去にも何回もあったから、大学から活動停止処分を受けていたのだ。半年以上停止していたもんだから自主練習でなんとかしてきても限界はある。旧帝大の伝統ある舞踏部はこの蹉跌で大いに低下。

頭のいい子たちって、自分の安全のギリギリのラインまでやってしまう。ところがそれは他人からは危険に見えるというのがわからない。そしてそれを諭し教える大人もいない。だからそうなる。

それだけではない、山形大学の競技舞踏部もホテルでやんちゃして大学から無期限活動停止処分を食らった。だからこの大会にいない。

まったく。

 

 

総合体育館のある運動公園には広い庭がある。芝生と庭園と噴水だ。これがなかなかいい。

 

 

この庭園では、少し変わった植栽が見られる。ツツジに見えるが実はこれ、アザレアだ。ヨーロッパで改良されたツツジだからツツジでもいいのだが、少し違う。一般的に耐寒性が弱い。なのでその中でも耐寒性の強い品種を選び出して植栽したわけだが、このチョットのずらし方が見事。

他にもその少しがあって、わかる人には面白い。和風なのだが少しバタ臭い雰囲気はその辺りにある。

 

 

藤棚も2箇所ある。藤はさすがに日本産のものだろう。だが傍に蔓の伸びの悪い品種だと思うが、それを木立にしているのがあって面白い。仔細に松とかも見ればもっと面白かったかもしれない。

 

 

メインの噴水は通り抜けになっています。

 

 

そのうち側から見ると、こんな具合。フォトショップで加工したわけではありません。自然のフィルターです。

芝生が広がっているとわかっていただけるでしょうか。奥に野球場があるのはわからないだろうな。

 

 

シャクナゲの植栽も西洋シャクナゲですね。

体育館も大きな公式大会をしないという割り切りがあって、その分絨毯の広いロビーを設けていたりして空間を自由に使っています。居心地のいい体育館になっています。庭園と芝生はとてもいい具合に管理されているのも、見事です。この郊外農村地帯ならではのものでもあります。

 

オマケ

 

 

今回の大会にとうふっちが来てくれました。とうふっちの頭の部分に重大な秘密を発見しましたが、それは言わないでおきましょう。

 

 

大会には、大会出場者と踊れるダンスタイムというのがあるのですが、とうふっちはそこに参加。さすがに「壁の花」になりかけたところ、大会会長が現れます。

すごいですね、どう考えても踊ることが不可能なとうふっちを踊らせています。経験豊かなリードです。自分よりはるかに高い身長でもリードできます。いえ正確には、踊っているように見せるテクニックです。男性のリードで技術のない女性を引き立てるというのはないわけではありません。しかしここでそれが炸裂するとは。

 

 

なお、とうふっちは「クルクル回されて気持ちが悪くなったんだけど、楽しかった!」だそうです。


音楽を聴くということは1

2015-05-10 01:34:36 | 日記

 

最近音楽を聴くというのはどうゆうことなのか、少しよくわからなくなってきた。昔から言われてきたことなのだが、娯楽としての音楽はある。教養としての音楽もある。娯楽としての音楽も、最近では阿久悠の作詞の曲のように、時代背景まで含めてキチっと解説がある時代になった。そうすると曲の面白さも深まるし立派な教養になる。永六輔と中村八大になると歴史も付いてくる。

ただ歌謡曲ではなぜか歌詞とメロディに共感を持つ人が多いほどヒットする。感情移入しながら聴くのが大切なのだと思う。過去に好きだった曲を今聴くと、過去の様々なことまで思い出されて胸がキュンとするのは、そのせいだ。これが正しい音楽との向き合い方なのだと思う。あとはカラオケに行って自分の過去を汚すように歌ってしまっても、気がつかないものだ。

ただ音楽が好きになるとアレやコレやと聞いてしまうものだ。その中には肌に合わなかったりするものもある。それでも聞きすぎると、単に好き嫌いではなくどこが嫌いなのか考えるようになる。その上で大好きなものから大嫌いなものまでどこが好きで嫌いなのかのリストが頭の中に出来上がってゆく。そして自分の趣味と傾向を見定めながら慎重に選ぶようになってゆく。

まあそれでも好奇心に突き動かされて聞き続けると、マニアになる。微細な違いを追求する人たちだ。そこまでは至っていないのは、そこまで記憶力が良くないからだが、自分でもこの場合はいいことだと思っている。

自分の場合クラシックでも特に好きなのはフランス近現代と後期ロマン派の一部だけなので、マニアになりたくともディスクが少なかったりする。そもそも全部聞いたことがない人もいる。後期ロマン派はどうしようもなくディスクがあるが、なんとなく好みはわかっている。NHKFMのおかげだ。マニアになれないし、なりたくもない。ワーグナー全部なんて無理だ。

ただ変な聞き方をしている。一時期バッハにはまったことがあった。ポリフォニーを把握するのはとても難しい。どうするかで、通奏低音に注意して聞けば後の声部の動きがわかるようになると言う解説を読んでそのまま実践した。いや特訓した。6声まではなんとか追っかけられるようになった。それがあの曖昧なフランス近現代と後期ロマン派ではどうなるのかといえば、メロディーラインを追っかけずに音を丸ごと受け入れられるようになった。高音は放っておいても耳につく。だから低音に注目すると全体の構造が見えてくるのだ。この感覚はベースをやっていた人にも共通するもののようだ。

ところがこれは世間一般からするととてもおかしい聞き方らしい。なぜそういった分析するように聴くの?楽しむものじゃない?そう言われてもかなり困る。後期ロマン派は「音で泥酔」音楽だし、フランス近現代は「覚醒しながら酩酊する」厄介な音楽だし、もともとそんなに健康的な音楽ではない。歌謡曲のように聞かれて忘れられて思い出される曲の方が、健全な気がする。

違う音楽がある。楽しむための音楽だが、踊るための音楽がある。