どうでもいいこと

M野の日々と52文字以上

「ハルサイ」祭りある星の元に生まれた人たち

2015-05-04 00:55:19 | 日記

ヘルベルト・フォン・カラヤンは、1908年生まれ。ナチ党員疑惑があったが、1946年40歳の時にウイーンフィルの首席指揮者。41歳でウイーン楽友協会の音楽監督、47歳でベルリンフィルの終身首席指揮者兼芸術監督、48歳でウイーン国立歌劇場芸術監督、ザルツブルグの3つの音楽祭の芸術監督と、まあ帝王と言われるだけのポストであった。ウイーンフィルとは59年まで、楽友協会とは64年まで関係は続いたが、それでもザルツブルグ音楽歳での関係は続く。

帝王と言われた所以は、彼が芸術監督である限り彼に好まれなければ、そのオケや芸術祭から決して呼ばれることがないということだ。そういった音楽祭などで名前を挙げながらファンを増やして行かなければいけない。そして世界中から実力を認められなければいけない。そしてカラヤンはその一番の舞台を握っていたということだ。

もちろん例外はある。欲のない人たちだ。例えばサイモン・ラトルはバーミンガム交響楽団を立て直して、そこから離れようとしない。デュトワもそういった傾向にある。ラファエル・クーベリックもそうだろう。だが欲がないというより、「帝王」の後釜になるのが嫌だったといいうだけかもしれない。そしてそういった生き方が嫌いだっただけなのだろう。彼らは「帝王」がいかに嫌なことでもやらなければいけなかったのか見ていた。カラヤンのディスコグラフィーはまさにそれだった。

ここから始まる指揮者は、全部ポスト・カラヤンになれた人たちなのだ。この年代より上はカラヤンに年代が近すぎて、当時としては失格だった。ベルリンは大幅な若返りを狙っていた。そしてラトルの世代は若すぎた。そしてカラヤンは病弱ながらも死にそうにはなかった。

それが1983年のクラリネット首席奏者にサビーネ・マイヤーを抜擢しようとして、ベルリンフィルともめたのだ。ベルリンフィルは男性のみが伝統である、そしてマイヤーの音質は伝統と合わないと楽団員から反発をくらったのだ。そこには多忙すぎてベルリンフィルとの時間を取れないカラヤンへの反発もあっただろう。84年にマイヤーの辞任で丸く収まったが、ベルリンフィルとの関係は悪化したままだった。1989年にベルリンフィルを辞任する。

なおカラヤンが抜擢した人は全員がスターに成っている。どんなカラヤン嫌いでもそれだけは認めないといけない。

 

さてなぜかこのシリーズは、ただ、という言葉がつく。全てが一流で、最高の演奏なのにだ。

 

ロリン・マゼール1930年生まれ。44歳の録音だ。8歳での華々しいデビューとストコフスキーとトスカニーニに認められる。ところがウイーン国立歌劇場の首席監督を1982年から始めるがトラブル続きで84年に辞任。どうも性格の不一致としか言えない。その前にマゼールは天才すぎたのだ。昔から傲慢と言われていた。そして性格も強すぎるようだ。

実はマゼールを、ハンガリー人の項目に入れていた。血の1/3はハンガリー人だからだ。とは言ってもユダヤ人だからといって同じ傾向があるわけではない。しかしどこからこの発想が出てきたのかわかりにくいのもマゼールだ。斬新な解釈は素晴らしいの一言なのだが、だががつく。

彼ほど熱くベルリンのポストを明快にした人もいない。有力候補のリッカルド・ムーティーは戦線離脱した。だがそれでも結果はイタリア人にゆく。

 

クラウディオ・アバドは1933年生まれ。42歳の録音だ。輝かしい経歴とちょっと偏屈な録音歴で有名だ。ちょっと知られていないけどいい曲を発掘して録音するのが、アバドのいいところだった。それがなんでベルリンフィルの首席指揮者になったのかといえばナゾです。デビューでカラヤンから抜擢されたというのはあるのですが、録音に癖があるということはお金にならない指揮者とも言えます。

それでもアバドしかいなかったのは事実かもしれません。これだけのスターを候補にしてありうる可能性がなかった結果だと思っています。

 

1935年生まれです。44歳の録音です。えっとですね、こういったグラフの傾向のある演奏はモサッリした感じがあるのですよ。一点だけ突出した速さがあるという物です。何かを伝えたいのですが、それがなんなのかは未だもってわかりません。この曲ではそういった一点突破は難しいような気がします。

ただわかっているのは小沢征爾はカラヤンに私淑していたということでしょうか。

ベルリンフィル候補と、日本国内ではそういった報道もあったと記憶しています。

 

 

 

ジェームズ・レヴァインは1943年生まれだから、49歳の録音だ。ベルリンフィル騒動とは関係がない。

少し軽い音質と、巨漢すぎるというのは大きい。見た目の良さも、ベルリンには必要だった。カラヤンがそうだったように。

 

ズービン・メータ1936年生まれです。33歳の録音です。インドのゾロアスター教の家に生まれました。ウイーンで、ハンス・スワロフスキーに指揮法を学んで指揮者コンクールでデビューという経歴です。その後まさしく一流オーケストラで客演して、ニューヨークフィルの音楽監督というのが目立つ経歴です。

ただその前に、インド人ならではの音感の鋭さというのがありまして、1/8を聞き分けられるほどです。しかしここでは、多分なのですがそれが仇となったのかもしれません。ウニャっとしたところがあります。バーンスタインのネロッ感より私は素直に聞けるのですが、嫌な人はいるだろうな。

そのうちメータのマーラーを探してみよう。きっといい物だろう。

 

 

 

リッカルド・シャイー、イタリア人ですね。1953年生まれ。天才の一人です。ただオペラ好きで、なんで春の祭典を振るのかはよくわかりません。32歳の録音です。

演奏は素晴らしいです。ラインスドルフもそうでしたが、オペラが得意な指揮者というのは、客のツボを心得ています。でも何かがひっかかります。

まずベルリンフィル騒動前に、この世代の指揮者たちは悩みすぎている感じがあります。ブーレーズショックは前世代の叩き上げの指揮者たちより、むしろ正当な教育を受けた人たちのほうが深刻だったと思います。ドラティなんてブーレーズの影響なんて微塵もありません。

そして録音が多い時代になると当然比較もされます。様々あったと思います。プロデューサーからショルティと比較されたり売り上げとかを言われたりしていたかもしれません。でもそれでも、何かしっくりしないのはカラヤンの演奏があるからです。その影響がどこかしらにあるような気がします。

そして完璧であろうと努力すればするほど春の祭典は遠ざかって行く、不思議な曲のようです。

チューリッヒ・ダダの中にハンス・リヒターという芸術家がいたのですが、後年「ダダ」というダダイズムを総括するような評伝を書いています。その最後に、ダダイストとは名乗ってはいないがダダイストだと思うというリストに、ストラヴィンスキーの名前も出ています。そう思ってストラヴィンスキーの初期を見れば、火の鳥、本当は春の祭典になる筈だっがペトルーシカ、そして春の祭典。うぐいす、兵士の歌。新古典主義の大作群、そして12音階技法と宗教曲。一貫性のないのが一貫性という特徴が見えてきます。そして改訂癖。春の祭典67年版でも修正がかかっているということは、初演から54年たっても徹底する気のなかったストラヴンスキーの、不真面目さが伺えます。これはアメリカでの著作権の問題もあるようです。アメリカ時代のストラヴィンスキーは元貴族としては貧乏だったようで、そのため必死だったようですが、ダダイストだったとすれば全ては納得できるわけです。

 


ゴールデンウイークで暑い

2015-05-03 01:23:35 | 日記

 

風邪はかなり良くなった。とはいえ平熱よりやや高い水準が続いている。

なぜかプラズマイオンクラスター付きの加湿器が家にある。思い出して部屋を加湿したら、風邪が少しおさまってきた。確かに気象台での湿度30%とかが続いていたのだ。風邪をひきやすい条件が全て揃っていたわけだ。

 

 

ところがだ、このところ最高気温27度とかが続いている。正直なところこれだけでもかなり具合が悪くなる。とにかく頭が動かない。人ごみに入るとさらにボーっとしてくる。

風邪がぶり返してきたのかと思うほどだ。

 

 

季節の花もよくわからない状況になっている。ウチのイチゴは、まあ例年並みだが最低気温が高めなせいか花の発色が悪い。

 

 

シャガが咲いた。例年より2週間は早い。

「春の祭典」を聞きすぎたためだろうか。

 

 

村上春樹の「1Q84』を読み終わった。天吾が柔道出身で内気で繊細という描写が良かった。なんで体が大きいだけで乱暴者で大雑把というイメージがあるのだろうか。大体の男は大雑把で適当だ。確かに対人関係では小柄なひとの方が細やかに見えるが、天才的な人たちというのを思い浮かべれば体格とはあまり関係がない。まあそれだけでこの小説は素晴らしい。

なお巨漢たちに多いパターンには、体がでかいからなんでもできるだろうとやりたくないことばかり押し付けられて、もう嫌になっている奴らが多い。消極的なひとが多くなっていると、私は感じている。

読み始めてからすぐに大体の筋は読めた。そして結末までわかってしまったが、最期まで面白かった。

かなり苦しい筋だから、政治色がとか言われたのだろう。

 

 

春なのだろう。

ただ頭だけが重い。突発的に体温が上がってゆく感覚がある。

 

 

ハンカチの木が満開になっている。季節がすっかりおかしくなっていた。

 

 

ツツジも咲き始めた。早咲きも遅咲きも一気にきた。サツキもじきに咲くだろう。

 

 

昨年乗れなかった列車が通過した。

 

 

こいのぼりで、まだゴールデンウイークが開けていないことがわかった。


「ハルサイ」祭りオランダ編

2015-05-02 02:07:08 | 日記

オランダ人指揮者というカテゴリーは、このエドヴァルト・ファン・ベイヌムとベルナルト・ハイティンクしかいないのだが、ハイティンクが2枚も録音しているので、カテゴライズしてしまったわけだ。

このベイヌムだが、かのメンゲルベルクと同時期にコンセルトヘボウの首席指揮者であり、戦後音楽監督兼終身指揮者になったという人だ。なのでメンゲルベルクのスコア分析は見ていただろうし、本人も現代音楽をレパートリーに持っていたという。

オランダという土地柄なのかもしれないが、なにか尖っていながら実証主義的な何かがあるのかもしれない。変わった指揮者を排出する土地だ。それはその後アメリカにお株を奪われてしまって、目立たなくなっているだけかもしれない。

この録音で一つ見落としてはいけないのは、1946年であるということだ。終戦17ヶ月後に録音している。そこに5管編成のオーケストラを準備して多分万全な録音をしたというのが、私にとってはかなり大きい。この46~60年の録音を聞くと、録音上の理由で編成を少し小さくしている可能性がある。それがこの46年の録音では多分ないということだ。その後の音につながるものがここにはあるわけで、歴史的演奏だと思う。

アンセルメの1950年の録音よりはいいと思う。だが、やっぱり技術的な問題は残っていると思う。

 

ハイティンクの演奏は、物議を醸したものだという。でもどこが問題になったのか私にはさっぱりわからなかった。もしもこの演奏が問題なら、カラヤンの63年の演奏はなんだったのかということになる。

タイム的には問題のないレベルに収まっている。

 

春の祭典を再録音する指揮者には必ず意味がある。アンセルメ、ショルティやドラティのようにオーディオ規格が変わるたびに録音しなおすひと、つまり企業側の理由がある場合だ。特にショルティやドラティにはその音質や、ダイナミックな演奏でオーディオファンを魅了してきた、出せば売れるのだ。そして多分失敗したから悔しくて再録音する場合、多分カラヤンだろう。サー・コリン・デイヴィスがなぜ録音し直したのかはわからないが、ここに当てはまるのかもしれない。

そしてその折衷版がハイティンクなのかもしれない。最初の録音はロンドン交響楽団だが自分の録音の後に、ラインスドルフが同じオケで録音しているわけだ。発売はハイティンクの方が早かったが、それでもモヤモヤするだろう。比較されるわけだから心中穏やかでないはずだ。

それがデジタルになったからということで、ゴリ推ししたのかもしれない。演奏は第2部で真逆の傾向になっているのに注目したい。

「春の祭典」には指揮者を狂わす、魅力があるのでしょう。


「ハルサイ」祭りユダヤ編

2015-05-02 00:51:42 | 日記

 

さてユダヤというカテゴリーを作ってみた。とはいえこのデッカ版の指揮者の半分はユダヤ人だろう。モントゥーもショルティもユダヤ人だ。ということはカテゴリーとしてはとても大きなものになってしまう。そこでイスラエルとゆかりのある、バーンスタインとバレンボイムをチョイスした。そして録音年が1994年と遅すぎてカテゴリー分けできなかったアシュケナージが入った。

バーンスタインといえば、やっぱりニューヨークフィルを颯爽と振るスタイリッシュなイメージでしょうか。そしてウエストサイドストーリーの都会的センスでしょうか。かっこいいの一言ですが、この人悪い癖がありまして、旋律が東方的だったりするとネロネロとこぶしを回し始めるのです。ウクライナ系だから尚更なのかもしれません。マーラーでもよくやりますが、以前ストラヴィンスキーの教会音楽、スラヴ的であり古代教会的旋律なのですが、もうヌルヌルネロネロしておりまして作曲者の自作自演と比べるとナンジャコリャという珍版になってしまってました。

その彼がイスラエルフィルと組んでいるのですから、こらもう危険な匂いがします。物すごく遅い。言葉を変えれば重厚なのだが、ヌルヌルさせたくて遅くしているという疑いがあります。2部のイントロダクションなんてとてつもない遅さです。トータルタイム36分57秒と最も遅い録音になっています。多分これ以上遅いのはないのではないのかと思います。

 

ロシア系ユダヤ人がアルゼンチンに移住し、ブエノスアイレスで生まれ9歳でイスラエルに移住という経歴です。そのせいかバレンボイムにはユダヤ的な考えがあまり馴染まないようで、ワーグナーを振っています。マイスタージンガーを振っていますので、ユダヤ人というよりはコスモポリタンでしょう。

で、フルトヴェングラーに私淑しておりまして、ワグネリアンからは「ものまね」とまで酷評される向きもあるバレンボイムですが、師匠より過激な側面があります。極端なテンポ変化があります。ルバートでしょうか。その極端な例が第一部に出ています。

記録的な変化なのですが、耳で聞くとなんか平坦な演奏に聞こえてしまうのは多分曲のせいでしょう。

 

アシュケナージはユダヤというよりロシアとしか言いようのないところがあります。どちらかといえばピアニストとして有名です。そして早くからデビューしたので、何か年齢不詳なところがある。指揮者として33歳で活動を始めたのだが、その頃はよ芸として捉えられていたりしていた。80年代からラフマニノフの交響曲を録音し始めてようやく指揮もできるんだ!となった。

誠実な人という印象がある。この録音もそういった印象がある。ラインスドルフの演奏と合わせて聞くと楽しいかもしれない。