国会図書館の本を読みやすく

国会図書館デジタルの本を、手入力しています。編集終了のものは、ブックマークからダウンロード可能です。

愛の力(アンヌ・ド・ギニエの伝)PDF、再度の修正しました。

2019-11-14 20:01:06 | アンヌ・ド・ギニエ

愛の力(アンヌ・ド・ギニエの伝)PDFを再度、修正しました。

間違いは、随時修正し、アップロードの際には、ご報告させて頂きます。

お読みいただいている方には、再度のダウンロードをお願い申し上げます。

お手数をお掛け致しますことを、深くお詫び申し上げます。


トップページのリンクからダウンロード出来ます。
リンクは変わっていません。



アンヌ(現在、尊者であられるようです)の本を読んでいただいている方、

興味を持って下さった方に心からの感謝をいたします。yui

--------------------------------------------------------------------------

The original book is from the National Diet of Japan Library Holding.
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1037722

Copyright expiration.
The original book is difficult to read because it uses old Japanese fonts.
I converted old Japanese fonts to new Japanese fonts.
The book became easier to read.
--------------------------------------------------------------------------

国会図書館デジタルライブラリーで公開されている本です。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1037722

著作権保護期間は満了しています。
旧字体から新字体に変更。
用語、送り仮名、振り仮名の変更・修正、句読点の一部変更 。
表記ゆれの修正、分かりにくい言葉に注釈を入れました。
「性的」を「聖的」に変更しました。
聖書の引用先を加筆しました。
目次を修正しました。
手打ちのため、思わぬ誤りがある場合があります。
ご容赦お願い致します
--------------------------------------------------------------------------



Official website of the Anne Guigné’s Friends Association


愛の力(アンヌ・ド・ギニエの伝)第六章 四、聖主に於いて死ぬ者の幸福

2019-11-10 22:17:30 | アンヌ・ド・ギニエ

 四、聖主に於いて死ぬ者の幸福
 
 最後までキリストの配偶者は、「日々の戦い。」を以って、絶えず主の御跡を慕って、その道を突進していった。本当に彼女は、イエズスを心中に成長させ奉るための、全ての妨げになるものを絶やすように苦心していた。そして超自然の泉から、この努力に入用な力を求めた。聖体、聖体拝領、霊的聖体拝領等、殊に優れた愛の秘蹟の方に、彼女の心の大なる望みは集中した向かった。そしてこのパンを食するものは、永遠に生きるというお約束の言葉に期待を置き、神を真実に求めた。
 イエズス会の司祭で、この霊魂の奥底までよく観透した人が、次の言葉で評している。「この子供は地上の為に造られたのではない。彼女の中には(私はアンヌのごく小さい時から知っているが)超聖的の事柄に対する特別な直観、非常な観想力、自制力、止む事を知らぬ献身的精神を持ち、私は彼女g確かに天に属して地上の者でない事を悟っていた。」と。また次のようにも言っている。
 「天主の愛は、この小さい心の中に、充分思うままに君臨し給い、彼女に霊感を与え給う。ある時彼女に、『天主を深く愛しますか。』と訊いた事を記憶しているが、彼女の答えに含まれた調子、顔つきに現れた光々しさは、いつまでも決して忘れられないであろう。アンヌの母に私は、「神はアンヌを貴女に預け、貴女に見せ、いま彼女を本来の住処である天使の所に戻されたのである。」と言って慰めた。彼女の近くに居られたという幸福を味わった者は、アンヌの逝去にあたって、もちろん泣かずにはおられなかったろう。しかし、その死を決して悔やむ事は出来なかった。いと高きところの平穏ち、平和を彼女は私どもに残したと言えよう。」最後の病気の時に、わがネネットに近づいた者は、みな地上の者ならぬ或る不思議な温和さを感じたのであった。死後も、「聖徳の輝かしき美しさ。」を変わることなく保っていた。天使にも紛う屍が、最後の純白の衣に飾られると、地上の一時的ではあるが、無上の美しさに輝く彼女を見に、大勢の人が競って集まってきた。この神に特に選ばれた霊魂について、人々は口を揃えて言った。「私どもは彼女に祈るが、彼女のためには祈れぬ。」と。彼女の徳は知己、友人、仲間のみならず、四方に伝わっていた。一人の信心深い人は、生前少しもアンヌを知らなかったが、この小さきs聖人の傍に来て、祈る恩恵を乞い願いに来た。悲しみ極まりなきはずの死に際して、彼女は弟妹を平和と穏やかさに導いた。彼らはネネットが逝ってしまったとは感じなかった。小さいジャックは、不滅の霊魂がそこに有るのを感じている如く、親しい会話に耽っていた。ろうそくの金色の光に照らされた、真っ白に凍えた屍の傍に擦り寄って祈っていた。少し外の空気を吸って来るように勧めると、
 「いいえ、まだ僕はネネットにたくさん言う事があります。」と真面目な調子で言い、急に思いついたように、聖霊の最も清い殿堂であったこの屍に触れるため、聖影やミサの本、祈祷文等をあるだけ、みな取りに行って来て良いかと訊いた。「きっと、後になって皆は僕に有難く思うに違いない。」と確信を持って言った。この愛の殉教者を聖ならしめたと同じ温和な聖霊の息吹を受けて、自発的にアンヌに対する尊敬が生じた。子供等にはなおさら、この子供の霊魂についてよく理解できたのかも知れぬが、不思議にもアンヌの幼き友達の間には、特に親しく、死後も彼女は生きていた。この始めの熱心は少しも変わらず、時日が経過しても続いていった。彼らは愛する姉の死について、決して呟きも悔やみもしなかったが、イエズスの傍近くで、もっと愛してくれる事が出来るという無邪気な信頼を持っていて、何事によらず姉の助けを求めるようになった。そして、どんな事も彼女に願い、願えば必ず姉が助けてくれると期待し、また、たびたび「ネネットからの善い知らせ。」と皆が呼んでいるところの祈りに対する答えを受けていた。殊に彼女の模範に倣う惠を願い、彼女の犠牲、信頼、愛の道に従うように務めた。かような幼い子供等の霊魂に、この消えぬ印象を残した事実は、全く驚くべきである。
 「もし私が死んだら、天国からあなたを助けてあげましょう。」と一人の小さい友達に言ったが、この約束は本当であった。彼女はいかなる
 事でもなしえ給う御者を、愛し奉る事を知っていて、その手段によって、自分の家族の者らに今その約束を守っている。この模範に良く倣い、近くその跡を従った者等は、よくアンヌの取次を受け、いつでも必ず叶えられ、助けられ、悲しみにあたっては慰めを与える。この天国にある彼らの守護者の方に絶えず心をあげた。彼女の清い肉身を、信仰の生き生きしたサボあの一遇にあるギニエ家の墓地に運んだ時、アンシイ・ル・ビュウでは、神が彼らに尊い宝を授け給うたという予感を受け、それを喜び、無上の光栄と感じた。この子供を愛していた人々は、彼女の墓地に引き寄せる様に感じた。何事かあるとすぐ、「あのように良く祈った子供。」に願う事にした・
 アンヌは自分が去った事により、皆に喜びと平和、またたとえ、心の悲しみが有っても精神的慰安を残し、超性的確信より起こる無上の平和を与えた。「彼女の死は私どもを大きな悲しみの淵に沈めるどころか、非常な喜びのみを与えた。アンヌが亡くなってから後、彼女の事を考える度に、少しも悲しみを感ぜず、かえっていつも私どもの事を考えている、本当に幸福な生き生きした彼女を思い浮かべずにいられない。」と、アンヌを大変に愛していた人々が書いている。ゆえにこの幸福な子供を知っている者は、彼女に信頼を持ち、心から祈るようになった。
 ことさら、奇蹟が行われないでも、彼女に願う者は助けられ、守られ、力づけられるので、死後未だ日も浅いのに、早、人々は幼いネネットを非常に慕い、日々その敬愛が増して行くのに驚かされる。
 このか弱い幼児が、聖寵の援助によってなし得たところは、また私どもにも出来うる筈ではあるまいか。聖徳の域に達する道である。完全な愛の道により、神を直観する幸福を、私どももまた目指す事は出来ないであろうか。
 イエズスは多くの模範により、この愛の尊く、幸ある道程を示された。不屈の覚悟をもって、いざ私どもも愛の道により、神に到達する事をのみ、終局の目的として進もうではないか。
 
 
 アンヌ・ド・ギニエ(終わり)
 
 
 昭和九年八月十五日印刷
 昭和九年八月二十日発行
 (定価 六十銭)
 
 著者兼発行者
 エム・シェルドン
 聖心女子学院
 東京市芝区白金三光町
 
 印刷者
 大嶋貞吉
 東京市瀧野川区西ケ原町七四
 
 印刷所
 三光印刷所
 東京市瀧野川区西ケ原町七四 
 
 発行所
 三光印刷所
 東京市瀧野川区西ケ原町七四  
 振替東京八〇〇五八番
 
 
 売捌所
 東京市麹町区下六番町三八
 カトリック中央出版部
 
 北海道札幌北十一条二丁目
 光明社



-------------------------------------------------------------

読んでくださってありがとうございます。

校正をしますので、しばらくお待ちいただけますようお願い申し上げます。yui
 


 


愛の力(アンヌ・ド・ギニエの伝)第六章 三、最後の面影

2019-11-10 03:43:30 | アンヌ・ド・ギニエ

 三、最後の面影
 
 絶えず増し加わる苦しみに、彼女の完全化された徳は、なお花を咲かせ、実を熟させて行った。この長い酷い苦難の終わりに、いよいよ天が開かれた。先生はこの苦痛に責められやつれ果てた顔を、ある晩悲惨な気持ちで見守っていると、一修女が見舞いに来た。それで先生は座を外した。ちょっと経って、スールは下りてきて、「私はこの子供の傍に参られたことを神に深く感謝致します。この子供は聖人でございます、天使のような顔つきをしております。」と語った。「私は直ぐ二階に行ってみると、本当に今までの苦しみに面やつれしていた、痛ましいこの病人が平和な、美しく、愛らしい表情を浮かべているのに驚いた。」と見た人が記している。この恩寵のとき、何事がこの霊魂の中に起こったのであろう。一度、「ジョジョ、レレン、ベベ来て御覧なさい。ほらほら早く来て、まあ何と美しいのでしょう。」と叫ぶのを、傍にいて聞いた。いったい何を見たのであろうか。もしかすると、もはや再び沈むことのない、永遠の曙の光明が、彼女の霊魂には現れたのかもしれない。死ぬ前の木曜日の朝、母は次のように記している。
 アンヌは私を呼び、守護の天使が見えると話した。『本当に本当にあそこに見えます。』と叫んでから、また同じことを少し経ってから繰り返して言った。『私には見えます。ママ、彼が見えます、こっちを向いて御覧なさい、貴女にも見えます。』と。同日、二度私どもは、もうアンヌが私たちを置いて去るであろうと思われた。臨終の祈りを誦えると、私の言う通り、アンヌはみな答えた。決して私に死ぬことを予期しているとは言わなかったが、自分の状態をよく知っていた。その木曜日、非常に苦しんで居た時、私はどうかして楽にしてやりたいと思い、お医者がいまに来ると話すと、『もう私に何もすることは出来ません。無駄でございます。』と穏やかに答えた。はっきりと私に自分の死ぬことを言わなかったのは、特別勝れて優しい心からに相違ない。そして愛情をこめて、『愛するママ、私はあなたを愛します。』と何度も何度も繰り返していた。木曜日から金曜日にかけての夜、望徳誦を二度、一言も抜かさず続けて誦えた。」と。付き添っている童貞に、「マ・スール、天使のところに私も行かれましょうか。」と尋ねた。行かれると言うと、「ありがとう、マ・スール、ありがとう。」と付け加えた。これがアンヌの最後の望みであった。服従は彼女の最後の行いであった。又と開けられない目を閉じる時、「もう一度ママを御覧なさいね。」と言うと、素直な子供はようやくの思いで、死の為に重くなっている目蓋を努めて開け、優しい目を母の方に向けた。その顔つきは、この世で見る愛の最上の証拠であった。一月十四日の明方、アンヌは天使と共に去ってしまった。皆の心に期せずして一ツの言葉が上がった。
 「彼女は聖人である。」と。

読んでくださってありがとうございます。 yui


愛の力(アンヌ・ド・ギニエの伝)第六章 二、愛によってこそ起こる殉教 

2019-11-09 20:02:07 | アンヌ・ド・ギニエ

 二、愛によってこそ起こる殉教

 あらゆる悩みがこの小さい身体を襲った。けれどこの愛らしい病人は、苦しみと共に、徳を増して勇敢に振舞った。病苦を死は聖徳の偉大な試練である。苦しみの焔は、表面の完全をことごとく藁のごとく燃やし尽くして、ただ愛徳の「金」を他の混合物から全く分けてしまった。アンヌの聖徳は この稀有な苦痛に輝いた。彼女の霊魂が、いつも神と一致している事は、誰の目にも明らかであった。彼女の祈りは、一時(いっとき)も絶える事なく、一緒に誦えるから、傍で大きな聲で祈って欲しいと頼んだ。それは一人で祈れぬときでも、皆の祈りと合わせられるからであった。彼女はその日々を、ある特別な意向のために捧げていた。そして時々願っている人々の為に、自分の苦しみを捧げた。特に哀れな罪人の為に、最後まで苦しみの床で、自発的の小さな犠牲の花を、忠実に怠ることなく、イエズスに捧げていた。ずっと以前、母が木の絵を描いて渡した。これに犠牲を捧げる度に、自分で葉や花を付けていた事があったが、「あなたの木には本当に良く花が付いていた筈ですね。」というと、「そうでなくてはなりません。」と答えた。神に対し、人に対しての愛徳は、いま英雄的になった。発病の始め三日間、アンヌは非常に苦しみ、あたかも噛み裂かれる思いをした。一時、殊に苦痛の絶頂であった時は、アンヌの可愛らしい顔つきも全く変わり果て、苦悩にやつれて見えた。涙は静かに頬を伝って流れた。聖なる子供は酷い苦しみの中にも無言であった。周囲の者は、アンヌのこの苦しみを見て、涙無しにはいられなかった。むしろかように苦しむくらいなら、死んでくれたほうがましだと近親の者は考えた。少し落ち着いた時、母はアンヌの枕辺近くに寄り屈んで、「あなたは勇敢に良く苦しみを堪えしのぎましたよ。確かにイエズス様の聖心を慰め、罪人の改心に貢献しました。」と言うと、「ああ、ママ、何と私は嬉しいでしょう。それならもっと苦しみとうございます。」と、霊魂の奥底から確信をもって答えた。苦しみの強度を知っている者は、彼女の愛の熱度から出る豁達(かったつ 心の大きさ)に感嘆した。
 彼女の願いは、病気の快復ではなく、ただいつまでも完全であり、愛と忠誠を一段と増したいというのであった。この恵みを得るために、アンヌに祈るよう勧める必要はなかった。忠実である様にという唯一の願いから、この霊魂の祈願は熱誠を込め、切に懇願した。充分に清くない事、苦しむのに勇気と忍耐の足りない事をいつも怖れていた。昏睡状態の説きでも、告白の祈りを誦え、祈りを充分に良く言わなかった事を、自ら咎め、痛悔の祈りを誦えた。「慈悲深き聖アンヌよ、我が罪を憐れみ給え。」と口ずさんでいた。
 アンヌは小さいながらも、天主の聖旨に深く一致していた。母は幼い殉教者の上に寄り掛かって、優しい面持ちで、死の戦場で潔く戦うように勇気づけていた。「我が愛するイエズスよ、全て御旨を望み奉る。」と。熱心な母の声を聞くと、同じ事を、同じ信仰と強い愛をもって、アンヌは繰り返した。人々がこの苦しみの荘厳な有様に感嘆している中で、彼女は戦い、かつ勝利を得ながらも、いたく謙遜していた。
 ある日、アンシイの童貞方がアンヌの為に祈っていると母が話すと、「ああ、それはもちろん皆さんが、お母様、あなたを愛していらっしゃるから。」と言った。「いいえ、童貞方はあなたを知っておられるし、善い子だから愛して下さるのですよ。」と言えば、「ママ、もし私が善い子なら、それはママが私を良く導いてくださったからでございます。」と答えるのであった。
 死の二日前、母は「我が子よ、なにか私が、あなたを悲しませた事が有ったら許してください。」と言うと、「まあ、ママ、決して私を悲しませたりなさいませんでした。」とはっきり答えた。そして、「お前も決して決して私を悲しませんでした。」というと、「まあ良かった。嬉しいこと。」と微笑みを浮べて答えるのであった。
 彼女は他家の人まで、自分の事を案じてくれるのに驚いた。クリスマス前、病気が少し納まったとき、様子を聞きに幼な友達が来た。そして少し快方に向かっていると話すと、皆が大喜びした事をアンヌに話して聞かせると、「どうして私の事など案じて下さるのでしょう、皆さんは、まあなんとご親切な方々でしょう。」と言った。その驚きには深い謙遜が漂っていた。
 丈夫なときの従順は決して変わらず、病気になってから、いよいよ完全になったとさえ言える。この天使的幼児は、死ぬまで服従し給うたイエズスにそっくりであった。服従によって苦しみの黙想をするため、病床に退いたのである。頭痛に耐えきれず、家族の食卓を退いて、勉強部屋の前を通ると先生が、
 「ネネット、貴女の取り除けて置いた果物を忘れてはいけませんよ。女中達のところに持って行って分けたらどうですか。」と聲を掛けた。すると「ママがそれは自分で食べたほうが善いと仰いましたから食べました。」と答えた。
 食欲もなく、食事を始める力もなかったのに、より完全ならん為、服従したのであった。治療も大層苦しかったが、言われるままに素直に受けていた。医者は入浴を命じたが、それはアンヌには酷い呵責であった。ある日、この呵責の用意をしているのを見て思わず「ああ、ママ、到底今日は私には出来ません。」と言ってしまった。しかしすぐさま気を取り直して「もし天主の聖旨なら、苦しくとも堪える力を下さいますでしょう。」と言い変えた。床から抱き上げようととすると、痛みで身を裂かれる思いに、思わず叫んだので、また枕の上に寝かせてしまわねばならなかった。どんなに我慢してでも、命ぜられるままにしようとしていたのである。
 彼女の一生懸命な努力についても、可愛らしい話がある。病人には誰でもが言うとおりに、「寝るように。」と苦しさに到底眠れない時が誰かが言った。するとすぐさままぶたを閉じて、「出来るだけの事をして、一生懸命に眠るように努めましょう。」と言った。しかし眠りは彼女ほど従順ではなかった。
 聖霊はこの霊魂を、十字架に釘づけられ給うイエズスの如くに変化させた。増して行く苦痛の中で、己を忘れる事、他人に対する愛が、いよいよ増し加わるのが認められた。少しも優しさを失わず、誰にも親切であった。一番気にしていた事は、看取っている人々に、少しでも迷惑を掛けぬようにする事であった。ひどく苦しみ時は、一度断ったことを、また少し経ってから頼むような事もあって、その時は、何と言って気の変わった言い訳をして良いか分からぬほど、非常に気の毒そうにしていた。
 ある晩、遅く目覚めて先生がすぐそこにいるのを見ると、「まあ、あなたはまだそこにいらっしゃったのですか、もしママがご覧になったら、きっと心配なさいますよ。そんなに遅くまで起きていらっしゃると、お疲れになりますから。」と。その言葉を打ち消して、大丈夫だと言うと、また咎めて、「貴方が御病気におなりになる事は、私が承知出来ませんもの。」と。自分は苦痛に喘ぎながらも、一分として周囲の者の事を考えていない時はなかったと言えよう。
 また、先生が床近くの様子を見に来た時には、決まってその度に、他の人達はどうしているかと心配して、「皆は温和しく(おとなしく)していますか。」と可愛く訊き、きっと「それから貴女のお家の方はいかがですか、良い知らせがございましたか。」と付け加えるのを怠らなかった。衰弱しきっている時でさえも、「いいえ、私の為に人が早く起きたりしてはいけません。」と異議を申し立てているのを聞かされた。彼女は皆が食事時間にちゃんと食事をとるように気を配り、人がしてくれる事については、いつもして貰い過ぎる様に思った。苦しんでいる人がある事を知ると、その様子を尋ねたり、また傍にいる先生に、先生と共に大切に思っている病人の容態を、自分の事のように案じて、たびたび経過を聞いた。その病人の容態が快い(よい)方で、機嫌良くしているからと言うと、「私もそれを聞いて嬉しうございます。」と答えた。彼女は同病の三人の子供に、特別興味と同情を持っていた。毎日医者にその子供等の様子を尋ね、ある日医者が「あなたほど三人は温和しくありません。」と答えると、「それはきっと私よりも酷く苦しいんでしょう。または、私のように善いママを持っていないのでしょう。」とその子供等のために弁解した。
 ある朝、アンヌは殊に苦しんでいた時だった。その三人の事を案じるので、全快したと告げると、自分の事は少しも考えず大変喜んだ。
 自分の健康を願うことは一度もなく、祈る時にはきっと他の病人を治してくださいと付け加えた。彼女の愛は全てに及び、皆の事を考えた。ある日妹たちが公教要理を習いに行くのを思い出して、「ママ、妹等に誰も付けずにお出しになってはいけません。小さい子は皆が考えるひど、いつまでも温順しく(おとなしく)はございません。」と言った。また小さい弟妹の霊魂については絶えず案じ、「みんなは善い子にしていますか。」と可愛らしく尋ねた。
 一月四日、マリネットがちょうど七歳になったので、お祝いのしるしに、抱いて贈り物をしたいと言った。絶え間なく皆に親切にする事は、どんなに骨が折れるか知れない。十二月二十五日のミサの間、先生は病床近くに付き添っていた。アンヌは自分の小さい手提げを取って貰って聖影を取り出し、
部屋付きの女中や、料理番に与えようかと思ったが、あまり苦痛が激しく、衰弱していたので、他の人の手を煩わさなければ、自分の望みが達せられなかったので、それをまた、大変恐縮していた。終にはもはやこの世で生きている間に、愛徳を行う期間が短いのを悟って、その愛しみを百倍した。ある日食事の間、付き添っていた部屋の女中を傍らに呼び寄せて、その女中が病床に屈むと、心を籠めて抱き付き、「私がした様に今度はあなたも私にしてください。」と言った。子供の守りをする女中も呼んで、愛しみの徴に、同様にする事を望んだ。アンヌを本当に敬い慕っていた忠実な召使たちは、この愛情の深い事に非常に感じた。
 夜間看取っていた童貞に、たびたび気兼ねして繰り返し言った。「マ・スール、お疲れでございましょう、お腹がお空きになったでしょう。」と。そして無邪気に、「お宜しかったら、この角砂糖を一ツ召し上がってください。」と勧めた。
 また、あまり些細な事にまで感謝するので、ついには、いちいちそんなにお礼を言ってはいけないと禁じられた。しかし、じき忘れてお礼を言ってから、困ったように自分の不従順を詫びた。

読んでくださってありがとうございます。yui