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愛の力(アンヌ・ド・ギニエの伝)  第三章 幼きイエズスの道 三、ナザレトの幼児の如く

2019-11-02 18:30:55 | アンヌ・ド・ギニエ

 三、ナザレトの幼児の如く
 
 従順が彼女の心遣いの第一位を占めていた。けれども私どもは、この徳が彼女の生まれつきでない事を知っている。何が彼女をあのように従順にしたか?「ただ従順が子供等の聖徳の域である。イエズスが良心に従われたこと、死ぬまで服従された事、祭壇において司祭の言葉通り、無言で直ちに従われるごとく、従わねばならぬ。」と言い聞かされたからである。彼女は生涯救い主に倣いたいと努めた。
 この考えが彼女の全て苦業に対する努力となっては原子た。従順の徳がいつも彼女の決心の筆頭に来た。「ああ、我が愛する幼きイエズスよ、私はいつも本当に従順であり、またよく祈る様に決心致します。」と最初に黙想をした折に約束している。翌年また同じ思想に心を引かれて、「幼きイエズス様、よく服従し、よく祈りを誦え、忍耐強くなる決心を捧げます。」と言っている。従順への愛は、彼女の全生涯を通じて、また殊に次の愛らしい率直な問いにも表れている。ごく小さい時、布教地に行く司祭達は、髭を生やさねばならないという話を耳にして、「もし生えなかったら服従するためにどうなさるでしょうか。」と問うた。いつも服従に心を砕くので、他人の上にも心配するのであった。実に彼女には、従順の機会を探すことが何よりの心遣いであった。「言いつけられると理由を問わず、即座にいそいそとしたがうのであった。」と家庭教師はアンヌの従順を称賛している。彼女の徳を証明する者は、異口同音に「服従を命ぜられた時、一度として躊躇したことを覚えていない。」と褒めている。呟いたり、理由を問い質したり、異議を申し立てたりするのを聞いた事はなかった。もし命令が良く呑み込めない時には、簡単にその命令を乞い、了解できると直ぐに嬉々として、その務めに走るのであった。夜寝る間も、母に従順を続けていることを現したいあまり、もはや半分瞼が付いているのに、夢うつつで「はい、ママ。」と答える時もあった。この我意の強い子供は、自発的に忠実を決心してより、快楽主義の精神を追い払い、その代わり勤勉な義務的精神を以って打ち勝つことを覚えた。
 補助会のある修道女が思い出を語っているのに、彼女の従順についての心持が偲ばれる。「公教要理に来る子供等を、遊び時間に監督しながら、雛を見に連れて行った。みんな大喜びで、アンヌも妹たちとその中に交じっていたが、マリネットは、殊に熱心で、大変興味を引かれたようだった。しばらく楽しんでのち、帰る時間が来たので、合図を与えたが即座に興味深い見物に別れを告げるのは、なかなか難しかった。子供の事ではあるし、無論、数人は鳥小屋から別れかねていた。マリネットもその一人だったが、私はアンヌが母親の様に妹をいさめているのを見た。その様子、その言葉が忘れられない。「べべ、よくお聞きなさい。いけないと言われたら、それ以上決して無理にしてはいけませんよ。」と。他人にこのように即座に従うことを勧めるアンヌは、滅多に二度と同じ注意を与えられる必要はなかった。
 これもごく小さい時分、我が国では、こういう慣習はないが、ミサ聖祭の間に祝したパン(聖体ではない)を会衆に廻す慣わしがあった。アンヌは、その籠が自分の所に廻って来ると、聖なる物を望みと尊ぶあまりであろうが、その籠に飛びついて、鷲掴みにする、特別に悪い癖があったが、専制に厚かましいと、一度忠告されただけで、その癖を直すには充分であったけれども、努力なしに容易に出来るのではなく、時には服従するために、随分戦わなくてはならなかった。田舎道を散歩する時、彼女は度々立ち止まって俯き、靴下を引き上げる癖があた。が、一度注意されてからは、再びしない決心をした。しかし何かに気を取られたり、心を緩めていると、思わず急に立ち止まって俯きかけ、一同の歩行を止めることもあったので、その度に深く恐縮して、すぐ悪い癖を直そうとして努めるのであった。
 「ああ、やっと覚えました。もう靴下の事で、あなたにご迷惑をお掛けせずに済みそうです。」とこの習慣に打ち勝った時、家庭教師に言った。
 些事ではあっても、それ相当の価値を持っているので、それを一つも粗略にしない事が、彼女の絶え間ない克己の努力、また、正確に苦業を積む心掛けを語っている。次の話はこの点について、彼女がいかほど警醒して止まなかったかを語っている。
 ある雨の日、子供等は屋内で遊ばねばならなかった。何をして遊ぼうかと迷っていたので、先生が彼らに、ある人から頂いた厚紙で、塔を建てて遊ぶことを勧めた。アンヌは例のごとく他人を喜ばせるため、また貧しい人のために、思いついた仕事に熱中したが、即座に自分の仕事を投げ出して、教えられた遊びに取り掛かった。
 またある夕暮れ、アンシイのある修院を訪問したアンヌが、疲れている様子なので、木陰に休ませようとすると、修院の人の許可を受けた訳ではなかったので、「勝手に座ってもいいでしょうか。」と不安そうに問うのであった。義務に従うため、極端なくらい心遣いをしていたのである。夢中に遊んでいる時も、難しい立場にある時も、従順たらんとする心持ちが、彼女の心に殊に著しかった。ある日、「カクレンボ」をした。ちょうどその所には叢(くさむら)の影に、大急ぎで屈んで隠れる隙しかなかった。「ああ、あそこに良い隠れ場がある。」と一人の仲間がいった。しかしアンヌは優しく、「いいえ、他に隠れ場を見つけましょう、祖父様がいつか花を傷めるから、あそこには隠れていけないと仰ったでしょう?_」と興奮しながらも、長上の古い言い付けを忘れなかった。アンヌは本来陽気で快活な子供であったが、どんな場合にも、全く忘れきる様な事のないところの、平常の心掛けが思われるのであった。
 彼女の忍耐強い事と、機嫌よく人の注意を受け入れることも感心であった。進歩の為、欠点を直すため、何事も利用した。アンヌは実に謙遜そのものであったから、決して自分が完徳に達していると思いも寄らなかったが、神は彼女がいかに立派にやりおおせたかを識(し)り給うのである。
(三、ナザレトの幼児の如く 終わり)

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愛の力(アンヌ・ド・ギニエの伝)  第三章 幼きイエズスの道  二、小事による聖徳

2019-11-02 11:52:37 | アンヌ・ド・ギニエ

 二、小事による聖徳
 
 聖寵の霊感に間断なく忠実に従い、精霊の示しによって、どんな小事にも従うことは、大いなる愛に依らなければならない。完徳に至る道は無数にあるが、小事によるこの道は、とにかく、誰にでも出来る聖徳に至る普通の道である。稀にみる善意を以って、アンヌはこの道を進んだのであった。聖フランシスコ、サレジオの著書を引けば、「われらの眼前には大事は日々起こって来ない。しかし、小事をいつも完全に果たすことは出来るのである。即ち、深い愛を以って小事をなすのである。」「仕業が我らに報いを得させるのではなく、いかなる熱情と愛によってなされたかによる。」と彼は教えているが、それはサレジオの聖フランシスコやリジューの聖テレジアの着眼点で、アンヌが聖人に倣おうとした大秘訣もまたこれであった。彼女は最も些細なる事柄にも、非常に忠実になる決心をした。それが確かに彼女を導いた主意で、彼女を支配した断固たる趨勢(すうせい)であった。彼女の事を語るものは、皆この主要点について一致している。彼らの証言によれば、一層了解するであろう。
 完徳の道は、己を捨てる事を以って足れりとせず、また、苦業、或いは善い望みを持つのみでなく、最小の過失を避けるばかりでなく、弛まず進歩すべきであるという事を、この子供は早くから悟っていた。彼女は子供らしい天真爛漫な文体で、「ゆえに霊的努力の結果はこの実行にある。」と書いている。まことに少数の者が、この実行に成功する。人々は罪を避ければ完全だと思うが、これは間違いである。
 完全とは神によってなし、また徳の実行によって、神に向かって進み、また主に対して聖なる愛を実現することである。
 証人の一人は、「アンヌの完全は、口によりも行いに余計に表れていた。彼女の談話はいたって素直で、宗教的色彩の濃い事柄よりも、かえって些細な日々の勤めに関した事が主であった。」と。
 彼女は、いつも貧しい人のため、または不意に誰かを喜ばす為、母や先生と相談して、「小さな計画」を企てていた。しかし、それによって、自分だけ偉い人々の仲間入りをしようとはしなかった。完徳に進もうという、強い関心の他は、他の子供等と少しも変わった所のないように、装っていた。他の証人の話によると、「彼女は来るものをその価値通りに、そのまま取った。一つ一つの仕業を、その値に相当した注意と、丹念をもってした。」
 アンヌは、すべての現世の事物は、神に至るの方便であることを、不思議に悟っていた。各々の価値は瑣々たる(ささたる)ものであっても、それが無数に集まって、偉大な霊魂の生涯は織りだされる。
 毎日彼女は、その日の全てを捧げ、完徳の峯の頂点に達していた。世の儚い消滅すべきものに、彼女は永遠の価値を付した。
 この世の全てを、超自然的理由のもとに置き、まず神の栄光のみを、第一の目的としていた。どんな小事でも、それを偉大なる完全を以って果たし、最善をなそうと尽くしていた。
 「すべての業に最善を尽くす。」これが彼女の絶え間なく持っていた理想であった。要するに彼女は、誠に単純な、聖徳に至る秘訣を持っていたのである。どんな小事にも、「愛するイエズスにこれを捧げ奉る。」と祈りを添えていた。心の渇望から天父の尊前に生き、愛を証するためには、いかなることもあえて難しすぎる事はなかったのである。幼な友達に、いつも彼女が与えていた勧告によっても、アンヌの心の秘密は知れる。「働く勇気がなくなった時、仕事が難しく感ずるとき、善なる神に捧げ奉る事を考えなさい。すべてを神に捧ぐべきである。もし神を愛するならば、何事も決して難しいと思うことはない。私どもの努力は、イエズスに捧げる贈り物である。」と。諸聖人と同じく、彼女の唯一の心遣いは、神を獲得し、所有する事、唯一の望みは神を見奉る事、唯一の苦しみは神に叛き奉る事で、これに彼女を指導する目標が集中するのであった。どんな基礎的決心が、彼女の心中に培われたは想像に難くない。(二、小事による聖徳 終わり)

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