四、聖体の中に在しますイエズスに対する愛
全ての愛を越えて、救い主への特別な愛を、アンヌが持っていた事は当然である。「優しきイエズス。」と呼び奉る。その特別な調子からも、その真情が思い遣られて、他に適当な言い表し方は考えられない。間断なく心の中に思い慕っていた程、聖主を深くお愛し申しあげていた。「イエズスの為に、我が心が百合の如く、清く在りたい。」とか、「イエズスが私の中に活き、かつ大きく延び給う様希う(こいねがう)。」等とは、しばしば彼女の口から洩れていた言葉であった。幾たび遊戯半ばで、「善きイエズスよ、御身を愛し奉る。」と申しあげたであろう。何事にも、何処にも、神様についての考えが付きまとって行った。仕事や遊びの最中でも、目に見えぬ天主の存在の感に打たれた有様に、人々は幾たびか感慨を深めた。彼女は眼を天に上げ、一時沈黙に沈み、それからまた優(しとや)かに務めや遊びを続けるのであった。イエズスの為には、犠牲を拒む様な事は決してなかった。アンヌが苦業の道を進み、愛を表現したいと思っていた事は、私どもにも了解できる。勿論その犠牲なるものは到って軽少であったが、その数は驚くべく多かった。これは、アンヌの愛の働きが絶え間なく心の忠誠が普遍なる事を示している。幼きイエズスの聖テレジアのように、彼女は最愛の御者の為に、見出した花を摘み取らずにはおかなかった。熱心は彼女をして、自分の心に燃えるこの聖き望みを、周囲の者にも起こさせようと励ませた。ある日、美味しい物をイエズス・キリストの愛の為に控えるようにと弟に勧誘した。こういう勧誘は、時たまならば兎も角、あまり始終の事であったので、可愛そうに弟の本性は反抗してしまった。「ええ、ネネット、それはあなたが今日すればいい、僕は明日にでもしますよ。」と答えた。
この二つの心持ちは、霊魂の差異を現わす。普通の信心と冷却する事のない愛の熱烈と、いつも即座に奉仕しようとする霊魂とは遥かに異なり、遠く及ばぬことを示している。この子供は何か恵みを受けた時、救い主に対して感謝の念をあまり深く感じたので、感謝の意を現わす術に当惑した。ある時は自分の願いが聞き届けられたというので、イラクサで腕を擦っていた。「優しきイエズスをこれで喜ばせ奉れると思いましたから。」と事もなげに単純に答えた。「及ぶ限りいつももっと犠牲を捧げる事、もっと人の為に尽くす事、」これが彼女の御恵みに対する報恩の手段であった。
天主の賜物に対する感謝の心を起こさずにいられないのは、聖霊が彼女の霊魂に、深奥なる感化を及ぼし給う新しい兆しであった。天主への強く絶えざる、感恩の心情は、聖人に於いてのみ起こるのである。
この小さい天使のような子供が、何物にも勝って救い主を愛慕し奉ったのは、尊ぶべき聖体の玄義のなかに於いてであった。彼女の生涯の暁、聖体のイエズスは、その心を奪い占有し給うた。六歳のときであった。聖体の祝日の前日、アンシイ・ル・ビュウ(ANNECY-LE-VIEUX)の教会で、修道女が臨時の祭壇を設えていると、「童貞様、もし私に可愛いイエズス様の為に、花束が造られたら、本当に嬉しいのでございますけれど、お手伝いしてもよろしゅうございますか。」と聞きに来た。「宜しいですとも。」と許可されると、大真面目で心を込めて、見事な花束を造った。出来上がったのを見ると、目を輝かし、何かの望みに心を奪われたように、おずおずと近寄って、「童貞様、これをイエズス様の間近く置いて下さいますか。」と頼んだ。この可愛らしい話しを以っても、彼女の霊魂の内部が窺い知れる。控えめな謙遜と、非常に清い熱愛の隠れた感動と、無数の小事に心と愛とを集中し、実行するのを見るのである。ミサ聖祭、聖体拝領、聖体中に在しますイエズスが、彼女の拝礼の中心となり給うた。まだ読み書きも知らぬ頃、早や彼女は絵入りの祈祷書で、ミサ聖祭の時、司祭の動作に合わせて、一つも逃さず熱心に拝聴した。超性的な智識を広める教会の、儀式典礼に深い興味を持っていた。聖主はアンヌの純潔と、深い愛によく適応する様に計らい給うた。ある冬の事であった。日曜日にアンヌは教会に行かないで、床に就いて居らねばならなかった。家中が協会に行っている間、妹のマリネットと床の中で、アンヌはミサを一通り歌っていたのである。またある日、母の友達が教会に行く途中で立ち寄ったので、アンヌは「私も御一緒にお連れ下さいませんか。」と言った。母の許しを得て、飛んで戻って来た時は、「そんなにミサに行きたいのですか。」と問わずには居られぬ程、その顔は喜びに溢れて、輝いていた。そして「それはもう、私はミサが大好きでございます。それから御存知でしょう。ほら、聖体拝領はもっと好きでございます。」と答えた。これこそが彼女の心の叫びに他ならなかった。
ミサ聖祭の間の、彼女の沈思状態は、また特別であった。その日の福音を読み終わると、目を閉じ、頭を心持ち傾け、手を組み合わせ、霊魂の深い感動をもって祭壇上に在すイエズス・キリストの聖心に心を合わせて、夢中になっているのであった。ただ特別の信愛心が形に現れただけの事であった。
この深い沈黙は、聖体拝領の刹那まで続いた。彼女の霊魂の聖体に対する欲求は、一挙一動に表われた。目を輝かせ、待ち焦がれた許婚者が近づく如く祭壇に進み、いよいよイエズスの来臨にあたっては、あたかも生ける拝礼その物と化するのであった。拝領台より戻るとき、アンヌには世に何物も存在せず、ただ「神のみの中に全く失われる。」のであった。自分の席まで、盲人のように導かれなければならなかった。
その顔つきは不思議な光輝を呈した。汚れなき清浄潔白な子供が、聖体拝領後、聖台から戻る有様を一目見た者は、その美しい清い姿を忘れることは出来ない。ある目撃者は「輝く恭しい高々しさと、愛に輝く生ける聖体顕示台が進んで来ると言った人が有るが、全くその通りである。」と言った。また聴罪司祭のG神父の手紙の中に次のような事が書いてあった。
「罪なき聖嬰児等の祝日に、教会で晩課の折に誦える賛美歌は、天主の玉座の下に、彼等が栄冠とバルムを勝ち得て、喜び戯れる様を思わせるが、私にはこれとは異なり、彼女が深く愛し奉るイエズスの尊前にひれ伏して、御主を拝領するネネットより他には、彼女に就いて考えられない。」と。この愛の壮観は、照り映える顔つきを透視して窺われた。それは人々の霊魂を天主に引き上げ、言葉通り「教化する。」のであった。彼女を見た人が、「神の御前では、この子供に比較して、我々はいかに小さいものであろう。」と言った。またある不信仰者さえ「実際これは神のものである。ここに於いては神の存在を否定する事は、自分にも出来ぬ。」と言ったそうである。
聖体拝領の遠きと近きの準備に腐心に対して、与えられた報酬は、熱誠の著しき増進であった。拝領の前日、彼女は翌日聖体を受ける事を考えていた。「ある晩、私と一緒に自習室に入り、その静けさを利用して、小さな祈祷文を取り、聖体拝領の祈りを読み、翌日の重大な出来事に対して、熱心に用意した。そして私にも自分の喜びを分かってくれた。」と家庭教師が記している。このような事は、彼女の特長であり、また日常の事であった。ミサ聖祭が近づくと、愛と忠誠を込めて深い沈思に入り、何物もそれを乱し破る事は出来なかった。
アンヌは弟と共に、母に伴われて、アンシイ・ル・ビュウ(ANNECY-LE-VIEUX)にミサ拝聴に出かけた。そこで聖体を拝領するのである。教会へ行く途中は、湖水の方に少し傾斜している牧場を横切って、続いて延びている道を行くのであった。天気の良い朝等、路傍の草木は葉末ごとにダイヤモンドの露を輝かせて、見る目を楽しませた。 (つづく)
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三、天国との親睦
人と生まれた以上、この世の万物を無条件に利用し得る如く、霊的にも同じ法則で成聖の聖寵を持つ聖なる霊魂は、聖寵の在ます為に、神の性を分与され、霊魂に同様の性を与えるものである。」と神学者は言っている。福音の言葉に従えば、聖寵を持つ霊魂は、天国と交わるのである。天国との交渉は祈りに依るので、アンヌが聖人達と真の親密を保ったのは、祈りによってであった。
聖女アニエスを、その純潔と、イエズスへの強い愛ゆえをもって、深く愛慕した。
聖シャンタルも、同じほど彼女を引き付けた。アンシイの訪問会に行って、聖女の遺物のもとに祈る幸福を得た時、彼女は愛する聖人と親密な会話に、深く浸りきった様子であった。
しかし幼きイエズスの聖テレジアとは、また特別な間柄であった。このカルメル会の姉である聖女の聖影の前で沈思し、念ずる事を非常に好んだ。聖女の取った信頼と、愛の小さな道が、アンヌの心にぴったりとした模範であったので、自分もその道を選んだ。この聖なる童貞に、病気の快復を求める九日間の祈願を続けたが、その時の事は人々の記憶に深く残っている。彼女の熱心は言い表せない。
アンヌの霊魂の傾向が、また、天使を愛し、兄弟の如く呼ばしめた。彼等と語る事は、何よりの喜びで、単純な可愛らしい方法で、彼等に祈りかけるのであった。遊んでいる時も、ふと途中で止めて、彼等の名前を書き、彼等の幸福を考える事を楽しみとした。弟妹等と天使等の光栄の為に、行列をした事もあった。そして即興の歌を歌ったが、その歌にもアンヌの強い信仰、天使等を見る憧れが窺われた。
ある日、マデレンが大変悲しそうにしていた。ジャックとマリー・アントワネットが、「二人組」という遊びをしていたので、それは結局三番目の妹を除け者にするようになったのである。この遊びは順々に進級して行くので、一人の頭を戴き、最も善い子供が頭になるという規則になっている。親切なアンヌは、仲間外れにされた妹のところに来て、「レレン、そんな事は何でもないから、気にせずにいらっしゃい。さあ私達も二人でそれをして遊びましょう。私達の組の頭は、ガブリエル大天使よ、そして段々に進級して行きましょう。」二人の内緒話を聞くと、「さあ私達の小さな犠牲を捧げましょう。沢山捧げただけ余計に進級するのよ。」と言い聞かせていた。マデレンも慰められ、頭の守護の天使の賛美を歌いながら、楽しげに行ってしまった。アンヌはイエズスの為に、勝利を得た事を心から喜び、嬉しさに顔が輝いた。
アンヌは、自分の守護の天使に、限りない信頼を抱いていた。全ての望みを彼女に任せ、彼を通じて神へと、その望みは登って行くのであった。「あなたは守護の天使にお願いしないのでしょう?天使はきっと助けて下さいますよ。」と小さい弟子達にいつも勧めていた。
けれど、勿論天使よりも、遥かに彼等の元后を愛した。聖なる童貞マリアに対する信心は、また独特のものであった。幼年に似ず、マリア様の殉教者になろうという、直感というべきものを持っていた。天主の御母に対して、七つの御悲しみの聖母という名称で祈願し、十字架の下で黙想し、御苦しみを共にする事を愛した。幼い頃、誠に幼稚で拙いものであったが、聖母の御姿を描き、その下に「聖子の架けられ給える十字架の下に佇んで、聖マリアは泣き給う。御身と共に悲しむ恵みを与え給え。」と書きつけた。それはアンヌの心の傾向を現すものであった。そして、なぜ彼女は泣きたいかという理由を説明して、「イエズスが充分愛され給わぬから。」と言っている。この子供の心の奥底に、聖寵が深く、間断なく浸み透って行った跡を辿る事が出来る。彼女は楽しい、温かい、家庭の団欒を襲った、かの不幸をもたらした悲しみを、非常に鋭く感じていたので、我等の霊魂の御母のみが、それを慰め得べき力を持ち給うことを知っていた。
ある夏、数ヶ月をルレイというところにある邸宅で過した時、深く愛しまつる聖母の聖像を安置して、「慰めの聖母。」と名づけた。毎月の第一土曜日には、聖マリアの聖心を喜ばせ奉るという心で、最も些細な過失も熱心に避けているのが、周囲の人にも分かった。そして聖母の御光栄に反して、犯される罪の代償として、その日一日全ての祈りと、無数の小さな犠牲を、聖母に捧げ奉った。「私達の日。」と内心の喜悦を表わし、その日を呼ぶのであった。誰に教えられた訳でもなく、独りでこの微妙な敬愛の表現法を思いついたのである。
オービニイ時代に、ロザリオ会に入会した。大喜びで家庭教師にも、聖母の使徒となるように熱心に勧誘した。「ロザリオ会員になる事は、それはそれは容易い事です。ただ名前を出すだけで、沢山な贖宥が戴けますのよ。そのうえ私達は同じ家族の者となれますもの。」こんなに愛らしい勧めに乗らぬ者があろうか。この聖なる子供は、ロザリオを大変愛していた。ロザリオが彼女の一生涯を飾ったともいえる。自動車の長い道中飽く事なく、その玄義を黙想して、霊魂の清涼剤をそのなかに見出した。それこそ力を使い果たす迄に、周囲の者に奉仕する、健気な心尽くしを強める秘(かく)れたるマンナであったのである。アンヌは毎日ロザリオを一串ずつ誦えた。
アンヌの殊勝な奉仕精神は、なにか情けの籠もった方法を思いつくのであったが、自分のことになると、いつも過酷であった。彼女の生涯の最終の十ヶ月間、アンヌは「棘なしの薔薇を摘む。」決心をした。「喜んで捧げるところの犠牲。」を諸聖人の祝日を期して捧げるため集めようとしたのである。「パパはきっと、聖母へその花束を捧げる事を心から喜んで下さるでしょう。」と言った。終りに近づくにつれ、天主の聖母への純な孝心は、いよいよ麗しく咲いた。我がロザリオ会員は、アベ・マリア・ステラを歌うが、この歌の中に、彼女の霊魂が全く発散されているとも言えるのである。聖マリアに対する敬愛の中に、アンヌは救い主に対する強い愛の秘訣を発見したのであった。天主の御母は、最も深遠なるものに、かくれたる秘密の中に籠もるイエズスの神秘を、万人の間に知らせる特典を持ち給う。他の幻像に比し、遥かに勝れた「人」となり給うた「御ことば」の幻を、聖母はいま完全に見奉る幸いを得給う。そして聖母は無比の名称である、「美しき愛の母。」にて在しますと同時に、無類の「裁智の母。」で、なかんずく神の真理の主で在します、行ける神の、光輝の秘められたる、輝かしい童貞に、「全ての光華を請い求め奉る事を知る霊魂は、幸いなるかな。」である。
アンヌは聖マリアに、イエズスをよりよく知り奉り、愛し奉る事が出来る様にと願った。そしてそれに依って彼女の信心は、光の道を通って、愛の高嶺に到達したのであった。
彼女は強い信仰の直感により、天主の御母の代祷者としての御役目をよく悟り、その御手の中に入れば、私どもの卑しい仕業、鉄か鉛ごときものも、金あるいは金剛石に化する事を知っていた。天使の歌隊の名が記してある紙片の端に、「天に於いてイエズスに渡し給うがために、我が全ての犠牲を聖マリアに托し奉る。」と言う聖母に対する奉献の祈りが書き記されてあった。
最良の聖寵を期待するにも、彼女は聖マリアに求めた。「何かをする前には、いつも聖母に祈願し、祈らなければならぬ。」と書いている。「私の心に幼きイエズスが来たり給う時には、いつも聖母に、イエズスを守って下さるようお願いせねばならぬ。」とも書いている。
またアンヌが自分の考えを書き付けている紙片に、「もし不幸にして私が地獄に落ち込む様な事があったら、聖母といえども、ママとても、私を引き出す事は出来ない。」と書いてあった。
聖マリアに捧げた、天真爛漫な歌は、調子も、音律も、無頓着に書いてあるが、その抒情詩体の中に、湧き出づる真情、水の如き新鮮さを以って、愛情が現れている。ヴィロンやヤコボニ、デイ、トゥデイ等の名詩調を味わう心地さえする。ロザリオの祝日に、聖体拝領の用意の終りに、これを歌うとよい。原文の味は出ないが、大意は左の如きものである。
おおマリア様、私の優しき御母よ、お貸しください御身の聖子を、ただ一時のみならで、何卒聖子を戴かせ給え。卑しき私の腕なれど、お許し下さいマリア様よ、御恵みを沢山下さった御身の愛しの聖子の御足を私が接吻する事を、どんなに望んでおりましょう。ああ、マリア様よ、私の腕に御身の聖子をお受けする事を、聖子を私に給いてよ、聖子を私に給えかし。
聖体の脆き(もろき)形色の中に、聖母は愛する御子を、アンヌに与え給うた。歌調は新たに歓喜に満ちて湧き起こる。
私は今なんと幸福でしょう。
私はイエズスを我が物としているから。
次の折り返しは、拝領できなかった時、この子供が泣きながら、切なる望みを現すために歌うものであった。
ああ、マリア様よ、聖子を私に下さいませ。
なにとぞお願い致します。御身の聖子を望みます。何卒お願いいたします。御子を私に与え給え。 (三、天国との親睦 終わり)
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二、子供の祈りの生活
要するにアンヌに於いては、意思が智恵に従い、智識が愛に転化して行った。心中に神を識るに従い、いよいよ心を神に托し捧げた。そして彼女の宗教心は、やがて驚くべき成熟の域に達した。とはいえ、その信頼心と、奮発心の単純、新鮮、無邪気さを失うようなことはなかった。外に現れるところは僅かであった。朝夕の祈り、ロザリオ、ミサ聖祭の拝聴、その他は一日中に何度でも、愛情の湧くままに、爪繰り誦「めでたし」の祈り、また燃える愛の心から、思わずも迸りいずる短い射祷や、神の存在を覚えると、忙しい中にも、一時全く心を向ける位のものであった。しかしこれらをいかに慎みをもって果たした事であろう。「いつもこの子供は祈りに耽っている霊魂のように思っていた。と言った人がある。彼女の心は、誠に祈りの中に広まっていた。聖霊の住み給う霊魂に、最も相応しい気分は祈りである。アンヌは「毎日忠実に誦えるつもりである。祈りの最小限度を定めている。」と自分で書き付けている。全く神と一致して、祈りに耽る様子には心を打つものがあった。この敬虔な態度は、真情の発露で、神に向かう彼女の内的精神の現れで、少しも不自然であったり、わざとらしかったりする事が無かった。全くこの世から遠く離れたように、手を合わせ、目を天に向け、神を求めるからの如くであった。或いは目を伏せて、面に清い平和を湛え、軽い微笑を浮かべていた。穏やかな
幸福な表情には、神との親しい談話が交わされているのが窺われるのであった。遊戯に熱中している時、忽ちこのような敬虔な態度を取る事があった。「ある日散歩の途中で通りすがりの聖堂に入った。私達はその時まで、話したり、笑ったりしていたのである。が、ネネットは聖堂に入るや、たちまち心は祈りに耽り跪くと、あたかも非常に愛し憧れていた親友に廻り合って、積もる話しを交わすような有様であった。数分後外に出たが、また彼女は快活に私どもと語り、少しも会話に不自然なところも見せなかった。」と幼友達の一人が語っている。また「かような敬虔な祈りに耽った有様を見る事は稀である。すべてこの世の物から離れ、全く忘れて、霊魂の全能力、全注意力、全き心を以って、専念内的生命に浸りこんでいるのであった。」と、彼女の聴罪司祭は語った。
この生きた強い信心深さは、決して大げさな誇張、度はずれな、また不釣合いなところがなかった。妙なる聖霊の助けに伴って、調和よく、いよいよ高雅に発展した。聖フランシスコ・サレジオが、聖女ジャンヌ・フランソワーズ・ド・シャンタルに就いて書いたあることがアンヌにも適合する。「彼女に於いては、少しも気取ったところは見られず、眼は開くでもなく、閉じるでもなく、半ば開いて、必要なくば少しも動かさず、ただ慎み深く伏せていた。兎も角も、彼女の面持ちは平和な、可愛らしい真面目さを保ち、その霊魂が、如何に深い平和に浸り納まっているかを覚える事が出来る。それは全ての感情を超越した者の与えられる、キリストの平和である。誰でも彼女の動作を注視すれば、それを感ぜずに居られない。彼女のかくも麗しい信愛の情は、どんなに親しい友達の心に、聖なる羨望の心を起こさせたであろう。」
彼女の祈りに対する熱心が、神にかかわる事柄に対しての経験を得させた。「我無しに汝何事をも為し得ず。」という聖主の御言葉を、彼女は良く悟っていた。また万事彼女はイエズスに依り頼み、いつでも彼に向かって祈願していた。ジャックや妹が、怒りの心を抑え切れぬ様子で居るのを見ると、アンヌは近寄って、心配そうに彼等の激しい感情を優しく宥め、「天主様のお援助(たすけ)を願わなければ駄目よ。でなくてどうして善い子になれましょう。」と諭した。この忠告を聞いてもわかるように、彼女自身の勝利の秘訣はここにあった。アンヌは自分の仕事や、心尽くしが失敗に終わった時、やり直さねばならない時に、気を引き立てて失望せず、謙遜に「お祈りを充分にしなかったからです、努力が未だ足りなかったからです。」と言った。神の求め給う忠誠と努力は、神御自身の援助によってのみ出来る事を、彼女は良く心得ていた。 (二、子供の祈りの生活 終わり)
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一、神聖なる真理の望み
彼女の信心は目立っていたが、単純と謹慎とを失うような事は無かった、ごく幼い頃からアンヌは、神を識り奉りたいという、愛に満ちた好奇心を懐いていた。いよいよ公教要理を習いに行く事になった時には、どんな喜びをもって、それを迎えたであろう。この善い知らせを聞かされると、夢中になって一日中、弟のジャックに、その嬉しさを語っていた。聖体の秘蹟とは何であるか、また初聖体の事、イエズスを受け奉る事の幸福等をはっきり説明した。しかしジャックは未だよく解らず、気乗りせぬ様子で聞いているので、「ああ、まだあなたには、こんな事は解らないのですね。」と小さい使徒は失望して黙ってしまった。この清い子供にはカンヌやアンシイでの公教要理の勉強はなによりもの楽しみで、魂を奪い去られるように、天上の喜びで恍惚とした。いつも注意深く耳を傾け、即座に返答した。ありったけの知恵と心をもって、神の学問をするのであった。「アンヌは聖霊に満ちていたので、全て神聖な事を味わい得た。話題がそういう方面に向くと、彼女の顔つきは、天の喜びに輝き渡った。」と公教要理の組を担当していた、補助会のメール・レイモンは言っている。アンヌが人の話しをわきまえるようになってからは、母はほとんど毎日、聖人伝の中から感激的な話しや、福音中の譬え話等を聞かせ、それについて優しい教訓を彼女の知恵に応じて与えた。その時アンヌは、母親を注意深く見つめて、その言葉を一言も逃さず、霊魂と心に銘み(きざみ)つけた。批判せず、素直に、真面目に、教えや訓戒を受けた。聖人のように、神への愛を表すには、どうしたらよいかということを教えられると、明るい、曇りの無い、清い面に喜びが射して、小さい子供にも出来る務めを完全に実行した。彼女は教えられた善い方法を一心に努め、聖人の範に倣おうとした。「もし何か解らない事があるときは、ただその説明を請い、無益な考えによって勉強の邪魔をするような事はなかった。」「その返答は簡単明瞭で、時々何処から、かような事を聞いてきたかと、不審を抱かせる程であった。」「聖霊は特に何処に在まし給うか。」と主任司祭に聞かれると、臆することなく、「義人の霊のなかに。」と答えた。聖霊のことの特殊な御住居について、一度も教えられた事はなかったのであるが、学んだ教義に深く影響された事は明らかであった。熱心に聞いている様子、殊に心中の熱で輝き渡っていた顔つきは、彼女の神への強い愛を物語っていた。それはこの霊魂の中に籠もる、神に就いての深い洞察力の一端の表われに他ならなかった。主日の歌ミサの間の説教には、一方ならぬ注意をもって耳を傾けた。アンヌには長すぎもせず、退屈でもなく、また決して高尚すぎなかった。教会の儀式典礼に対して、子供には珍しい興味を持ち、聖会の儀式の意義、性質を良く理解したいという願いから、秘蹟の授けられる機会に参列する事を非常に望んだ。アンヌは、聖会の最後の助けである、終油の秘蹟を受けた後、苦痛に苛まれている最中、「終油の秘蹟に使う聖油は、洗礼志願者の聖油でなく、病者の聖油ですね。」等と聞くほどの熱心を持っていた。この真理を漁る心は、最後の要求を充たし力づけるのであった。アンヌは、恐れさせてはいけないという懸念から、瀕死の病人にこの最上の恵みであり、助けである秘蹟を与えぬ人がある事を聞いて、大いに残念がり、心を痛めた。「どうしてそんな事が考えられるでしょう。その場合、その外には本当の力となるものは他にはないのに――。私は少しも怖くありません。病気が少しでも重いとき、殊に臨終には、終油の秘蹟を授かる事は何よりの願いです。」としっかり言った。
神に係る事柄について、深い理解を持っていたという事は、ただ優れた智恵に帰する事は出来ない。事実アンヌは、誠に鋭敏な精神の持ち主であったが、一般の智識になると、特別才にたけた、その年頃の子供の平均を抜いてはいなかった。が、およそ神に係る智識となると、その思想の著しく巧者な事、また言い表し方の調子や力が常の子供と違っていた。この神秘の中には、人ならざるところの主を持っていたからで、ここに於いてか神の聖言を繰り返す必要がある。「イエズス聖霊に依りて喜悦してのたまいけるは、天地の主なる父よ、我汝を賞賛sる、そは是等の事を学者、智者に隠して小さき人々に顕し給いたければなり。」(ルカ伝、十の二一)
(一、神聖なる真理の望み 終わり)
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第四章 幼児の霊に於ける観想生活
リジューの聖テレジアと同じように、アンヌに於いても、「自然な飾り気のない気軽さ」に感嘆させられる。この天使的な子供は、いつも、どこでも、その飾り気無きまま自分をさらけ出していた。不抜の精神と、その永続的な事からいえば、豪勇ともいえる子供であるが、快活で、慈悲深く、深切で、従順である上、自分という観念は全く消滅していた。僅か十歳のこの子供の徳は、混じり気なく完全で、深遠で、普遍的なもので、生まれながらの善い性質である。愛嬌とか、優かさ(しとやかさ)、並の信心深さ等と一つにする事は出来なかった。彼女の聖徳は、最早輝かしい熟せる果実の如きものであった。聖主の御働きに全く任せ切り、何の妨げもなく、その感導のままに形作られて行った。アンヌは聖寵に触れた瞬間から、反抗せず、躊躇せず、神の御手に己を任せ奉った。経験者の目をもっても、全く故意の不誠実は、影さえ見出すことはなかった。弱さくる陥る過失もごく稀で、彼女の徳の中に、欠陥を見出す事は困難であった。生き生きとした信仰、熱心な愛の中に籠もる、この徳の深い源について、今一言語らねばならない。