二、愛によってこそ起こる殉教
あらゆる悩みがこの小さい身体を襲った。けれどこの愛らしい病人は、苦しみと共に、徳を増して勇敢に振舞った。病苦を死は聖徳の偉大な試練である。苦しみの焔は、表面の完全をことごとく藁のごとく燃やし尽くして、ただ愛徳の「金」を他の混合物から全く分けてしまった。アンヌの聖徳は この稀有な苦痛に輝いた。彼女の霊魂が、いつも神と一致している事は、誰の目にも明らかであった。彼女の祈りは、一時(いっとき)も絶える事なく、一緒に誦えるから、傍で大きな聲で祈って欲しいと頼んだ。それは一人で祈れぬときでも、皆の祈りと合わせられるからであった。彼女はその日々を、ある特別な意向のために捧げていた。そして時々願っている人々の為に、自分の苦しみを捧げた。特に哀れな罪人の為に、最後まで苦しみの床で、自発的の小さな犠牲の花を、忠実に怠ることなく、イエズスに捧げていた。ずっと以前、母が木の絵を描いて渡した。これに犠牲を捧げる度に、自分で葉や花を付けていた事があったが、「あなたの木には本当に良く花が付いていた筈ですね。」というと、「そうでなくてはなりません。」と答えた。神に対し、人に対しての愛徳は、いま英雄的になった。発病の始め三日間、アンヌは非常に苦しみ、あたかも噛み裂かれる思いをした。一時、殊に苦痛の絶頂であった時は、アンヌの可愛らしい顔つきも全く変わり果て、苦悩にやつれて見えた。涙は静かに頬を伝って流れた。聖なる子供は酷い苦しみの中にも無言であった。周囲の者は、アンヌのこの苦しみを見て、涙無しにはいられなかった。むしろかように苦しむくらいなら、死んでくれたほうがましだと近親の者は考えた。少し落ち着いた時、母はアンヌの枕辺近くに寄り屈んで、「あなたは勇敢に良く苦しみを堪えしのぎましたよ。確かにイエズス様の聖心を慰め、罪人の改心に貢献しました。」と言うと、「ああ、ママ、何と私は嬉しいでしょう。それならもっと苦しみとうございます。」と、霊魂の奥底から確信をもって答えた。苦しみの強度を知っている者は、彼女の愛の熱度から出る豁達(かったつ 心の大きさ)に感嘆した。
彼女の願いは、病気の快復ではなく、ただいつまでも完全であり、愛と忠誠を一段と増したいというのであった。この恵みを得るために、アンヌに祈るよう勧める必要はなかった。忠実である様にという唯一の願いから、この霊魂の祈願は熱誠を込め、切に懇願した。充分に清くない事、苦しむのに勇気と忍耐の足りない事をいつも怖れていた。昏睡状態の説きでも、告白の祈りを誦え、祈りを充分に良く言わなかった事を、自ら咎め、痛悔の祈りを誦えた。「慈悲深き聖アンヌよ、我が罪を憐れみ給え。」と口ずさんでいた。
アンヌは小さいながらも、天主の聖旨に深く一致していた。母は幼い殉教者の上に寄り掛かって、優しい面持ちで、死の戦場で潔く戦うように勇気づけていた。「我が愛するイエズスよ、全て御旨を望み奉る。」と。熱心な母の声を聞くと、同じ事を、同じ信仰と強い愛をもって、アンヌは繰り返した。人々がこの苦しみの荘厳な有様に感嘆している中で、彼女は戦い、かつ勝利を得ながらも、いたく謙遜していた。
ある日、アンシイの童貞方がアンヌの為に祈っていると母が話すと、「ああ、それはもちろん皆さんが、お母様、あなたを愛していらっしゃるから。」と言った。「いいえ、童貞方はあなたを知っておられるし、善い子だから愛して下さるのですよ。」と言えば、「ママ、もし私が善い子なら、それはママが私を良く導いてくださったからでございます。」と答えるのであった。
死の二日前、母は「我が子よ、なにか私が、あなたを悲しませた事が有ったら許してください。」と言うと、「まあ、ママ、決して私を悲しませたりなさいませんでした。」とはっきり答えた。そして、「お前も決して決して私を悲しませんでした。」というと、「まあ良かった。嬉しいこと。」と微笑みを浮べて答えるのであった。
彼女は他家の人まで、自分の事を案じてくれるのに驚いた。クリスマス前、病気が少し納まったとき、様子を聞きに幼な友達が来た。そして少し快方に向かっていると話すと、皆が大喜びした事をアンヌに話して聞かせると、「どうして私の事など案じて下さるのでしょう、皆さんは、まあなんとご親切な方々でしょう。」と言った。その驚きには深い謙遜が漂っていた。
丈夫なときの従順は決して変わらず、病気になってから、いよいよ完全になったとさえ言える。この天使的幼児は、死ぬまで服従し給うたイエズスにそっくりであった。服従によって苦しみの黙想をするため、病床に退いたのである。頭痛に耐えきれず、家族の食卓を退いて、勉強部屋の前を通ると先生が、
「ネネット、貴女の取り除けて置いた果物を忘れてはいけませんよ。女中達のところに持って行って分けたらどうですか。」と聲を掛けた。すると「ママがそれは自分で食べたほうが善いと仰いましたから食べました。」と答えた。
食欲もなく、食事を始める力もなかったのに、より完全ならん為、服従したのであった。治療も大層苦しかったが、言われるままに素直に受けていた。医者は入浴を命じたが、それはアンヌには酷い呵責であった。ある日、この呵責の用意をしているのを見て思わず「ああ、ママ、到底今日は私には出来ません。」と言ってしまった。しかしすぐさま気を取り直して「もし天主の聖旨なら、苦しくとも堪える力を下さいますでしょう。」と言い変えた。床から抱き上げようととすると、痛みで身を裂かれる思いに、思わず叫んだので、また枕の上に寝かせてしまわねばならなかった。どんなに我慢してでも、命ぜられるままにしようとしていたのである。
彼女の一生懸命な努力についても、可愛らしい話がある。病人には誰でもが言うとおりに、「寝るように。」と苦しさに到底眠れない時が誰かが言った。するとすぐさままぶたを閉じて、「出来るだけの事をして、一生懸命に眠るように努めましょう。」と言った。しかし眠りは彼女ほど従順ではなかった。
聖霊はこの霊魂を、十字架に釘づけられ給うイエズスの如くに変化させた。増して行く苦痛の中で、己を忘れる事、他人に対する愛が、いよいよ増し加わるのが認められた。少しも優しさを失わず、誰にも親切であった。一番気にしていた事は、看取っている人々に、少しでも迷惑を掛けぬようにする事であった。ひどく苦しみ時は、一度断ったことを、また少し経ってから頼むような事もあって、その時は、何と言って気の変わった言い訳をして良いか分からぬほど、非常に気の毒そうにしていた。
ある晩、遅く目覚めて先生がすぐそこにいるのを見ると、「まあ、あなたはまだそこにいらっしゃったのですか、もしママがご覧になったら、きっと心配なさいますよ。そんなに遅くまで起きていらっしゃると、お疲れになりますから。」と。その言葉を打ち消して、大丈夫だと言うと、また咎めて、「貴方が御病気におなりになる事は、私が承知出来ませんもの。」と。自分は苦痛に喘ぎながらも、一分として周囲の者の事を考えていない時はなかったと言えよう。
また、先生が床近くの様子を見に来た時には、決まってその度に、他の人達はどうしているかと心配して、「皆は温和しく(おとなしく)していますか。」と可愛く訊き、きっと「それから貴女のお家の方はいかがですか、良い知らせがございましたか。」と付け加えるのを怠らなかった。衰弱しきっている時でさえも、「いいえ、私の為に人が早く起きたりしてはいけません。」と異議を申し立てているのを聞かされた。彼女は皆が食事時間にちゃんと食事をとるように気を配り、人がしてくれる事については、いつもして貰い過ぎる様に思った。苦しんでいる人がある事を知ると、その様子を尋ねたり、また傍にいる先生に、先生と共に大切に思っている病人の容態を、自分の事のように案じて、たびたび経過を聞いた。その病人の容態が快い(よい)方で、機嫌良くしているからと言うと、「私もそれを聞いて嬉しうございます。」と答えた。彼女は同病の三人の子供に、特別興味と同情を持っていた。毎日医者にその子供等の様子を尋ね、ある日医者が「あなたほど三人は温和しくありません。」と答えると、「それはきっと私よりも酷く苦しいんでしょう。または、私のように善いママを持っていないのでしょう。」とその子供等のために弁解した。
ある朝、アンヌは殊に苦しんでいた時だった。その三人の事を案じるので、全快したと告げると、自分の事は少しも考えず大変喜んだ。
自分の健康を願うことは一度もなく、祈る時にはきっと他の病人を治してくださいと付け加えた。彼女の愛は全てに及び、皆の事を考えた。ある日妹たちが公教要理を習いに行くのを思い出して、「ママ、妹等に誰も付けずにお出しになってはいけません。小さい子は皆が考えるひど、いつまでも温順しく(おとなしく)はございません。」と言った。また小さい弟妹の霊魂については絶えず案じ、「みんなは善い子にしていますか。」と可愛らしく尋ねた。
一月四日、マリネットがちょうど七歳になったので、お祝いのしるしに、抱いて贈り物をしたいと言った。絶え間なく皆に親切にする事は、どんなに骨が折れるか知れない。十二月二十五日のミサの間、先生は病床近くに付き添っていた。アンヌは自分の小さい手提げを取って貰って聖影を取り出し、
部屋付きの女中や、料理番に与えようかと思ったが、あまり苦痛が激しく、衰弱していたので、他の人の手を煩わさなければ、自分の望みが達せられなかったので、それをまた、大変恐縮していた。終にはもはやこの世で生きている間に、愛徳を行う期間が短いのを悟って、その愛しみを百倍した。ある日食事の間、付き添っていた部屋の女中を傍らに呼び寄せて、その女中が病床に屈むと、心を籠めて抱き付き、「私がした様に今度はあなたも私にしてください。」と言った。子供の守りをする女中も呼んで、愛しみの徴に、同様にする事を望んだ。アンヌを本当に敬い慕っていた忠実な召使たちは、この愛情の深い事に非常に感じた。
夜間看取っていた童貞に、たびたび気兼ねして繰り返し言った。「マ・スール、お疲れでございましょう、お腹がお空きになったでしょう。」と。そして無邪気に、「お宜しかったら、この角砂糖を一ツ召し上がってください。」と勧めた。
また、あまり些細な事にまで感謝するので、ついには、いちいちそんなにお礼を言ってはいけないと禁じられた。しかし、じき忘れてお礼を言ってから、困ったように自分の不従順を詫びた。
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一、十字架上にて
不安は取り越し苦労ではなかった。一九一二年の十二月十九日の月曜日、頭と背中が非常に痛むと訴えた。その日一日中、先生の生家なるナアラシエルに行っていたのであった。苦痛あるにも拘らず、心深切で、よく気を配り、平然と見たところは異ならなかった。その最後の外出の思い出は、深く迎えた人々の脳裏に残っている。
「着いたとき、自動車から降りると、出迎えた私ども一同に、一々それは優しく、心よく挨拶し、母がカンヌに行っていて留守である事を残念がって話した。二人の妹の世話をして、羊のいる牧場の方に散歩に行った。オリーブの木の傍らを通ると、一ツの実を拾った。この実は大変に取り難いと前から聞いていたので、他の人にこの実を取らせ。喜ばせたいと思って、自分で拾ったのを木の幹の間に置いて、「是なら取りやすいでしょう。」と言ったりしていた。もう山を降りる様にと言われると、直ぐに言う事を聞いて、道が急なので妹の手を取って降りた。内に入ると家の者がビスケットを勧めたが、快く一ツ取り、接待する者をも喜ばすよう 勤めていた。帰る時には妹達の外套を手伝って着せ、車に乗るとき、『あなたのお母様に、お目にかかれなかった事を大変に残念に思いますと宜しく仰ってください。またお母様の為にも、貴女の為にも、沢山祈りますってね。』と言った。これが最後の別離の言葉となってしまったのである。自動車が動き出すと、ネネットは頭が痛いので、帽子を取ってしまった。これが生きたアンヌの見納めとなり、次の時は、もう動かぬ屍のなった彼女を見たのであった。」とこれは先生の家族の者の手記である。
その夜、食堂に下りて来る勇気はあったが、食事を皆と一緒に取る事は出来なかった。そして、それ限り家族の者と共に食卓に着く事はなかった。
「可哀想に、ネネットずいぶん苦しいでしょう。」と言うと、「はい、でも直ぐ治りましょう。」と気軽に答えた。とにかく初めから、病気はそんなに重くないと思い、最初の一週間は烈しい頭痛もあまり心配しなかった。アンヌはいつも親切な子供であったが、苦しいにも拘らず、平常のように面白そうにしていた。クリスマスに母に暗誦して聞かす詩を、母には内緒で選んで弟に教えたりした。そして病気も大した事ではないかのように平気を装い、他の人にあまり心配をかけないように努めながら、同時に死を怖れる色なく、彼女は希望に満ちているという事を、彼らにも良く悟らせようとしていた。最後の近い事を知って、このような詩を選んだのだろう。文意から推して、彼女の内心の考えを想像する事が出来る。文学的価値は別として、アンヌにはその音律と考えが気に入ったのである。それは戦争の事、母の悲しみ、淋しい留守宅、出征者を待ち焦がれる事などが書いてある詩であった。
「なぜ母上は毎晩毎夜、私が目蓋を閉じる頃から、悲しげに泣き、働き給うのであるか、私が眠っていると思っておられるが、私はちゃんと母上を見守っている、母上の泣かれるのを見ると私の心はいっぱいになる。」
これは良くこの小さい病人の心を表している。最後のクリスマスの夜、この不意打ちで母を楽しませた事は大変アンヌを慰めた。ほかの人を喜ばせる喜びで、自身も生き延びる様に見えた。しかし、その頃少し快方に向かうように見えたのは、一時に過ぎなかった。十二月二十七日の火曜日の朝、病気は再び重くなった。もう今にも死ぬかと思われた位で、麻痺が全身に廻り、頭と背の苦痛は堪え難かった。可愛らしい顔も青ざめ、絶え入るばかりに苦しげでった。
「ママ、私は何もいりません、何も見たくありません、なにとぞ私の傍にお寄りにならないで下さい。でも、なにとぞこの言葉を悪くお思いにならないで下さい。」と悲しそうに言った。殉教にも勝るとも劣らぬ彼女の苦しみに、見る者達の心は引き裂かれる思いであった。しかも呟きも、嘆きも、アンヌの唇からは一ツも洩れなかった。二十八日には熱心に告白した。司祭が「御主を貴女のところにお連れして欲しいですか。」と聞くと、「はい、是非。」と深く聖体を望んでいる様子であった。その聴罪司祭は後に、「まだ今でも私はそのときの彼女の様子に、深く感じさせられている。」と書いておられる。聖体を携えて病室を出ると、すぐアンヌは呼び戻して、ただ感謝の言葉を述べた。最後まで丁寧な、優しい心を持っていた。
司祭が聖体を奉持して戻った時、アンヌは身動きもせず、目を閉じたままであった。これはもはや死の麻痺が訪れたのではあるまいかと疑われた。司祭は身を屈めて、「我が小さきアンヌよ、御主はここに御出でになります、聖体拝領を望みますか。」と尋ねると、心の底から湧き起こるように、「はい。」と答えて小さい口を半分開き、天使のパンを受けようとした。無言であったが気は確かであった。拝領前後の彼女の深い沈思の状態を見た者は、感激せずにはおられなかった。その日、終油の秘蹟を受けるように勧められると、悪戯そうな笑みを含みながら、「神父さま、よく知っております。でも私はそれほど悪くございません。」と答えた。
少しも心配な様子なく、確かに自信を持っていうので、傍の者も思わずアンヌの確信に釣り込まれ、不安の念を消してしまった。しかし主任司祭は三十日に来て、終油の秘蹟をとにかく授けた。一月一日臨終の聖体拝領を自分から願った。「今日は何日でございますか。」もう衰弱し切っているのに、こう訊いた。「今日は一月元旦ですよ、ネネット。」
「まあ、私はちっとも存じませんでした。では新年おめでとうございます。」と自分の苦しみは忘れて見舞いに来た人々に一々可愛らしい微笑みさえ浮べて挨拶した。
次の日は一日中、アンヌの容態は大変良く見えた。落ち着いていたので、家の者は望みを起し、喜んでいた。しかし、この喜びも束の間で、ある朝医者は、アンヌの肺は少しも充血していないか、呼吸器の筋肉が酷く麻痺している事を発見した。可哀想にアンヌは瀕死人のように、絶えず窒息の苦しみに喘いでいた。この苦しみの間でも、決して嘆くことなく、たびたび驚くべき謙遜をもって、「私は勇気を出して、良く苦痛を堪えているでございましょうか。」と周囲の者に尋ねた。けれど時には、「ママ、私は消えそうです。もう私は終りです。」と口走った。またある日「我が幼きイエズスよ、私はこれでもうたくさんでございます。」と可愛く小声で囁いた。ある時は微笑みを顔に浮かべて、神の平和に満たされたように、「私は本当に嬉しうございます。」とも言った。ある晩、非常に苦しそうに見えた。右の眼は閉じて、目蓋を上げて見ると、眼の玉は少しも動かず、瞳孔は緩んでしまっていた。すなわち、もう麻痺していたのである。医者はもはや絶望の状態である事を隠さなかった。
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第六章 天使と共に
十字架の聖ヨハネはいう。「聖なる愛徳の、不屈の努力は、実に偉大なるものである。」と。
完徳に達し、愛の絶頂に到った霊魂は、もう長く地上に留まる事は出来なかった。この世にても、後の世にても、神を見奉らずにおられない。御主はもはや神の栄光に入るに足りるほど、清くなった子等を、この涙の谷に残しては置き給わぬ。天上界の生命に達する愛の高嶺に、アンヌは到達したのであった。一生の終りに傾きかけているアンヌが、神の国の曙に目覚めつつある事を、人々は予感した。この世のものには執着無く、来世の物に生きていた。神を見奉り得る天に、世にある中から熱心に昇ろうとしていた。アンヌが最上の道を求めた有様は、あたかも花嫁が花婿に迎えられる時に、少しも慌てる事の無いよう、準備を整えて待っている様なものであった。
アンヌの最後の夏休みに、遊びに来ていた一人の小さな友達は、この世を去る日の待ち遠しさを、心の底に秘めている様子に感づいて、「私は、もうアンヌを見る事がないでしょう。天主は今にアンヌを御取り上げになります。もうこの世の人とは見えない。」と思わずにいられなかった。
彼女を良く観察し、かつ感嘆した者は、いずれも比類ない霊的向上を見て、彼女の心の中に働いている力に、ある種の怖れを抱いた。「神はこの子供を、どんなに深い感激をもって御用意なさっておられるのであろう。」と心に問うて見ると、突然恐ろしく、また美しい大団円が来る事が予期させられた。
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五、最も優れた愛徳
この霊魂の遺した模範は、聖徳に達するには、完全な愛徳を行うことによる事、神との一致に到るには、日々の生活に於いて、神の聖旨を行えば足りると言う事を私どもに教える。即ち日々の喜びも、悲しみも、乾燥しきった心も、熱情にも燃えたつ感情も、健康も、病苦をも、素直に神の御手より受け、習慣性になっている祈りを、変わる所なく誦えた。「幼きイエズスよ、我は御身を愛し奉る。」と。
愛徳の光輝は、彼女の動作にも完全に輝き、どんな小事でも、その微妙さが現れてこの可愛らしい小さな聖人に、イエズズを偲ぶような、ある輝きを与えた。最後に近く彼女を知る人々は、誰しもこの清い、優しい面影のなかに透視する神の平和に打たれた。しかしアンヌは特に慎ましく、控えめで、自分に関した事は、何も言わなかった。何事をするにも穏やかな熱情と感ずべき沈着を以って、程よく抑えられた元気を見せた。
いつでも平然とした態度を保ち、真面目な勉強の時には、よく自分から沈黙を守り、遊び時にはまた驚くほど活発に笑い戯れていた。生来どっちかと言えば、熱情的な性質を持っていたので、子供は夢中になると、思わず我を忘れて、生まれながらの勇猛心を閃かすものであっるが、アンヌは少しも感情を表面に見せなかった。
ごく温和しい(おとなしい)可愛らしい子供等の中にあっても、アンヌのふとした動作さえ他に優れていたので、思わず皆が従うように見えた。霊魂に天主の住み給う事は、その平和によって証明される。いつの間にか穏やかに変化させられてしまうのである。幾分蒼ざめた優しい顔つきには、生き生きとした美しい表情が漂って、内心の美しさの秘密を現わしていた。熱心な善い生命は心中に秘められ、神の華々しい光輝それ自身である聖霊がこれを支配し給う。透明な、いかにも深みあり、真っ直ぐな目つきに心の清さを示す、忘れ難い表情が浮かんでいた。偶然出会ったある修道女が、アンヌの事を、「いったいこの子供は、どんな子ですか。彼女の目の中に、イエズスが見られる。」と問うた程であった。アンヌが生涯の終り頃、物乞いに小銭を施すと、その哀れな物乞いは、「小さな聖人が私に施してくださった。」と言わずにはおられないほど、彼女の顔つきに感動した。
この輝かしい、可愛らしい顔つきを、母のゆうじんが生前の面影の記憶を呼び起こして、パステルで描いたが、ある人がこれを見て、少しもアンヌの事を知らぬ中に、「まあ、なんて天使のように写し区しい子でしょう。」と叫んだ。最後近くには、彼女の孝愛心は実際「なんとなく天的なもの。」となっていた。死の数ヶ月前、諸聖人の祝日(Toussaint 11月1日)の聖体拝領後、彼女は全く変容して見えた。教会である人は、自分の席を離れて、人間離れしたアンヌの横顔をよく見るために、歩き出して
行った程であった。最後の秋、カンヌの修院に告白に行った時、一人の婦人は司祭が赦しの言葉を誦えている時、ちょうど目を上げたところが、そのときのアンヌの表情に感激して、後で司祭にその子供の名前を聞いたくらいであった。「なぜそんな事を尋ねるのですか。」と司祭が問うと、「貴方が赦しを与えていらっしゃる時、あの子は本当に変容したごとく見えましたから。」と答えた。
アンヌはまた降誕祭の前日告白した時にも、この超自然な表情を現わした。その時にはすでに大病の床に就いて、苦痛に呻吟(しんぎん 苦しみうめく)していたので、紙の幻を楽しむのも、彼女にしては遠い事ではないのであった。この同じ神は、我々をも全く神に似通わしめ給う事を得給うので、聖ヨハネの言葉を借りて言えば、「彼が現われ給う時には、全く我等も彼に似てしまう。」と(ヨハネ三章2節)。この超自然の光輝はどこから来るか。この霊魂の最も秘められた動き、愛の秘密の望みは、他人に働きかけ、神秘的の光は外に洩れ出でた。この愛の感激を説明するに言葉は及ばない。温和な可愛らしい魅力から、それを感じ認める事が出来るのである。この超自然的美徳は、花の香のごとく四方に匂い、東雲の光のごとく暗黒を破り、このちから、この熱情、愛らしい源が、いったい何処から湧きだすかと訝らしめるほど顕著になった。人々は彼女の持つ愛嬌ともいうべきものに浴し、彼女と交渉のあるごとに進歩し、清くならざるを得ないのであった。生涯の終りに到っては、この印象が殊に著しかった。死の数週間前の十二月の初め、アンヌはすでに頭痛に苦しんでいた。
みんなと一緒に駆け廻って遊べないので。「先生の傍で静かに休んでいて宜しいか、」と尋ね、平和な時を松の木陰で過ごした。庭の新鮮な芝原を前にし、カンヌの紺青の空の下にこの霊魂はいよいよ伸び広まって行った。彼女の温かい愛情と、いよいよ深まって行く謙遜は、一言一句、願い事にも、沈思中にも、溜息にも、微笑みにも現れていた。山のように巧を積んで重くなっているこの生涯は、よく熟した果実のように垂れ下がっていたのである。天の庭師が、まもなくこの果実を摘み採りにこられるだろうという予感を受けさせられるのであった。
元旦を愛する人々を喜ばせようと、どんな細心の注意をはらい、心を尽くし、技巧を凝らした事であったろう。アンヌの傍で働いていると、彼女が誰でもの手伝いをしようと勤めている事、また、あまりに自分が小さすぎる事、充分に、上手に、手助けの仕方を知らぬのを、残念がっている様子がよく分かった。
「愛は深切なり。」彼女は他人に与え、慰め、喜ばせ、満足さえずにはおられないのであった。彼女の心が愛に満つるほど、いよいよこの望みにかられた。家族の人々が何か不足してはいないか、不自由を忍んでいないかと心を痛めていた。この子供は、「何か御入用のものはございませんか。」と尋ね、「いいえ、ネネット、入用なものは皆持っています。」と答えても、「本当でございますか。」と聞き直し、「もしも後でお入用の物にお気づきになったら、本当に何卒後遠慮なく私に仰ってください。」と念を押すほどであった。
この子供に近づく者は、みな彼女から発散される神聖さを感得させらずにいられなかった。親類の人達も、この愛の聖なる輝きの印象を受けた。馴れなれしすぎず、控えめで、完全な慎みを保ちながら、誰にでも愛しみ深い情を失う事はなかった。それゆえ、誰も彼女を愛し慕った。
「私どもはネネットの純潔に打たれ、傍近くにいたい気が致します。」と従姉妹等が話した。最も小さい人達も、アンヌの完全に打たれる事はしばしばあった。一人の従姉は犠牲を捧げる前に、「ネネットのようにしなくては。」と言ったと先生が言っている。
彼女の徳を証明する事柄は多いばかりではく、揃っていたと明確にしている。「清い良心は喜びをもたらし、彼女はそれを自ら愛好し、他人にも与えた。」「彼女は自身味わいながら、言葉には表わせない己が力と、この内的平和を他に分け与えた。」
「彼女の傍らでは自ずから落ち着きを味わう。」
愛は何とすばらしいではないか。神の御前に誰がその価値を語れよう。聖パウロはこの最上の賜物を渇望せよと言っている。「汝らは最も良き賜ものを慕え、われはなお、すぐれたる道を示さん。」(前コリント12章31節)「われたといわが財産をことごとく(貧者の食物として)分け与え、またわが身を焼かるるために渡すとも、愛なければ、いささかもわれに益あることなし。」(前コリント13章3節)「 愛は堪忍し、情あり、愛は妬まず、自慢せず、高ぶらず、 非礼をなさず、おのれのために計らず、怒らず、悪を負わせず、 不義を喜ばずして真実を喜び、 何ごとをもつつみ、何ごとをも信じ、何ごとをも希望し、何ごとをもこらうるなり。」(前コリント13章4-7節)
この子供の生涯の光輝に照らされて、この言葉を繰り返す時、私どもの感情は、またひとしお沸き立たせられる。何故ならば、この使徒の言葉は生き生きとした実証を前にして、特に私どもに真実に響くのである。愛を讃えるこの一ツ一ツの句は、あたかも彼女の生涯の例を一々取り上げて賛美しているように思われる。
救い主は私どもに仰せられる。愛は全ての律法と完徳の摘要である。それは全ての聖徳を含み、その進歩は内的で、天に在します神へと、霊魂を向上させるほど、その焔は強いのである。その光は私どもの目を正面に照らし、清く保たれた肉身を通じて自然に輝き、外面的に洩れ出でる。あたかも雪花石膏(アラバスター Alabaster)の瓶のなかで灯火が照ると、外に柔らかい光を投げかけるように。
パスカルは曰く、「聖人は己の中に王国を持ち、その輝かしき勝利威光は少しも地上の荘厳を要しない。また何も語る必要もない。彼等は神と天使等と共に住み、肉体も霊も求める事なく、神によって全く満たされている。」世俗的な考えを持つ人々は、或いはこの幼児を、ただコセコセし過ぎていると冷笑するかも知れないが。信心深い人々は、雪花石膏の瓶より洩れ出づる、この内的光輝の美を認めて、この子供の並ならぬ霊魂に感ずるであろう。
読んでくださってありがとうございます。 yui