四、聖主に於いて死ぬ者の幸福
最後までキリストの配偶者は、「日々の戦い。」を以って、絶えず主の御跡を慕って、その道を突進していった。本当に彼女は、イエズスを心中に成長させ奉るための、全ての妨げになるものを絶やすように苦心していた。そして超自然の泉から、この努力に入用な力を求めた。聖体、聖体拝領、霊的聖体拝領等、殊に優れた愛の秘蹟の方に、彼女の心の大なる望みは集中した向かった。そしてこのパンを食するものは、永遠に生きるというお約束の言葉に期待を置き、神を真実に求めた。
イエズス会の司祭で、この霊魂の奥底までよく観透した人が、次の言葉で評している。「この子供は地上の為に造られたのではない。彼女の中には(私はアンヌのごく小さい時から知っているが)超聖的の事柄に対する特別な直観、非常な観想力、自制力、止む事を知らぬ献身的精神を持ち、私は彼女g確かに天に属して地上の者でない事を悟っていた。」と。また次のようにも言っている。
「天主の愛は、この小さい心の中に、充分思うままに君臨し給い、彼女に霊感を与え給う。ある時彼女に、『天主を深く愛しますか。』と訊いた事を記憶しているが、彼女の答えに含まれた調子、顔つきに現れた光々しさは、いつまでも決して忘れられないであろう。アンヌの母に私は、「神はアンヌを貴女に預け、貴女に見せ、いま彼女を本来の住処である天使の所に戻されたのである。」と言って慰めた。彼女の近くに居られたという幸福を味わった者は、アンヌの逝去にあたって、もちろん泣かずにはおられなかったろう。しかし、その死を決して悔やむ事は出来なかった。いと高きところの平穏ち、平和を彼女は私どもに残したと言えよう。」最後の病気の時に、わがネネットに近づいた者は、みな地上の者ならぬ或る不思議な温和さを感じたのであった。死後も、「聖徳の輝かしき美しさ。」を変わることなく保っていた。天使にも紛う屍が、最後の純白の衣に飾られると、地上の一時的ではあるが、無上の美しさに輝く彼女を見に、大勢の人が競って集まってきた。この神に特に選ばれた霊魂について、人々は口を揃えて言った。「私どもは彼女に祈るが、彼女のためには祈れぬ。」と。彼女の徳は知己、友人、仲間のみならず、四方に伝わっていた。一人の信心深い人は、生前少しもアンヌを知らなかったが、この小さきs聖人の傍に来て、祈る恩恵を乞い願いに来た。悲しみ極まりなきはずの死に際して、彼女は弟妹を平和と穏やかさに導いた。彼らはネネットが逝ってしまったとは感じなかった。小さいジャックは、不滅の霊魂がそこに有るのを感じている如く、親しい会話に耽っていた。ろうそくの金色の光に照らされた、真っ白に凍えた屍の傍に擦り寄って祈っていた。少し外の空気を吸って来るように勧めると、
「いいえ、まだ僕はネネットにたくさん言う事があります。」と真面目な調子で言い、急に思いついたように、聖霊の最も清い殿堂であったこの屍に触れるため、聖影やミサの本、祈祷文等をあるだけ、みな取りに行って来て良いかと訊いた。「きっと、後になって皆は僕に有難く思うに違いない。」と確信を持って言った。この愛の殉教者を聖ならしめたと同じ温和な聖霊の息吹を受けて、自発的にアンヌに対する尊敬が生じた。子供等にはなおさら、この子供の霊魂についてよく理解できたのかも知れぬが、不思議にもアンヌの幼き友達の間には、特に親しく、死後も彼女は生きていた。この始めの熱心は少しも変わらず、時日が経過しても続いていった。彼らは愛する姉の死について、決して呟きも悔やみもしなかったが、イエズスの傍近くで、もっと愛してくれる事が出来るという無邪気な信頼を持っていて、何事によらず姉の助けを求めるようになった。そして、どんな事も彼女に願い、願えば必ず姉が助けてくれると期待し、また、たびたび「ネネットからの善い知らせ。」と皆が呼んでいるところの祈りに対する答えを受けていた。殊に彼女の模範に倣う惠を願い、彼女の犠牲、信頼、愛の道に従うように務めた。かような幼い子供等の霊魂に、この消えぬ印象を残した事実は、全く驚くべきである。
「もし私が死んだら、天国からあなたを助けてあげましょう。」と一人の小さい友達に言ったが、この約束は本当であった。彼女はいかなる
事でもなしえ給う御者を、愛し奉る事を知っていて、その手段によって、自分の家族の者らに今その約束を守っている。この模範に良く倣い、近くその跡を従った者等は、よくアンヌの取次を受け、いつでも必ず叶えられ、助けられ、悲しみにあたっては慰めを与える。この天国にある彼らの守護者の方に絶えず心をあげた。彼女の清い肉身を、信仰の生き生きしたサボあの一遇にあるギニエ家の墓地に運んだ時、アンシイ・ル・ビュウでは、神が彼らに尊い宝を授け給うたという予感を受け、それを喜び、無上の光栄と感じた。この子供を愛していた人々は、彼女の墓地に引き寄せる様に感じた。何事かあるとすぐ、「あのように良く祈った子供。」に願う事にした・
アンヌは自分が去った事により、皆に喜びと平和、またたとえ、心の悲しみが有っても精神的慰安を残し、超性的確信より起こる無上の平和を与えた。「彼女の死は私どもを大きな悲しみの淵に沈めるどころか、非常な喜びのみを与えた。アンヌが亡くなってから後、彼女の事を考える度に、少しも悲しみを感ぜず、かえっていつも私どもの事を考えている、本当に幸福な生き生きした彼女を思い浮かべずにいられない。」と、アンヌを大変に愛していた人々が書いている。ゆえにこの幸福な子供を知っている者は、彼女に信頼を持ち、心から祈るようになった。
ことさら、奇蹟が行われないでも、彼女に願う者は助けられ、守られ、力づけられるので、死後未だ日も浅いのに、早、人々は幼いネネットを非常に慕い、日々その敬愛が増して行くのに驚かされる。
このか弱い幼児が、聖寵の援助によってなし得たところは、また私どもにも出来うる筈ではあるまいか。聖徳の域に達する道である。完全な愛の道により、神を直観する幸福を、私どももまた目指す事は出来ないであろうか。
イエズスは多くの模範により、この愛の尊く、幸ある道程を示された。不屈の覚悟をもって、いざ私どもも愛の道により、神に到達する事をのみ、終局の目的として進もうではないか。
アンヌ・ド・ギニエ(終わり)
昭和九年八月十五日印刷
昭和九年八月二十日発行
(定価 六十銭)
著者兼発行者
エム・シェルドン
聖心女子学院
東京市芝区白金三光町
印刷者
大嶋貞吉
東京市瀧野川区西ケ原町七四
印刷所
三光印刷所
東京市瀧野川区西ケ原町七四
発行所
三光印刷所
東京市瀧野川区西ケ原町七四
振替東京八〇〇五八番
売捌所
東京市麹町区下六番町三八
カトリック中央出版部
北海道札幌北十一条二丁目
光明社
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三、最後の面影
絶えず増し加わる苦しみに、彼女の完全化された徳は、なお花を咲かせ、実を熟させて行った。この長い酷い苦難の終わりに、いよいよ天が開かれた。先生はこの苦痛に責められやつれ果てた顔を、ある晩悲惨な気持ちで見守っていると、一修女が見舞いに来た。それで先生は座を外した。ちょっと経って、スールは下りてきて、「私はこの子供の傍に参られたことを神に深く感謝致します。この子供は聖人でございます、天使のような顔つきをしております。」と語った。「私は直ぐ二階に行ってみると、本当に今までの苦しみに面やつれしていた、痛ましいこの病人が平和な、美しく、愛らしい表情を浮かべているのに驚いた。」と見た人が記している。この恩寵のとき、何事がこの霊魂の中に起こったのであろう。一度、「ジョジョ、レレン、ベベ来て御覧なさい。ほらほら早く来て、まあ何と美しいのでしょう。」と叫ぶのを、傍にいて聞いた。いったい何を見たのであろうか。もしかすると、もはや再び沈むことのない、永遠の曙の光明が、彼女の霊魂には現れたのかもしれない。死ぬ前の木曜日の朝、母は次のように記している。
アンヌは私を呼び、守護の天使が見えると話した。『本当に本当にあそこに見えます。』と叫んでから、また同じことを少し経ってから繰り返して言った。『私には見えます。ママ、彼が見えます、こっちを向いて御覧なさい、貴女にも見えます。』と。同日、二度私どもは、もうアンヌが私たちを置いて去るであろうと思われた。臨終の祈りを誦えると、私の言う通り、アンヌはみな答えた。決して私に死ぬことを予期しているとは言わなかったが、自分の状態をよく知っていた。その木曜日、非常に苦しんで居た時、私はどうかして楽にしてやりたいと思い、お医者がいまに来ると話すと、『もう私に何もすることは出来ません。無駄でございます。』と穏やかに答えた。はっきりと私に自分の死ぬことを言わなかったのは、特別勝れて優しい心からに相違ない。そして愛情をこめて、『愛するママ、私はあなたを愛します。』と何度も何度も繰り返していた。木曜日から金曜日にかけての夜、望徳誦を二度、一言も抜かさず続けて誦えた。」と。付き添っている童貞に、「マ・スール、天使のところに私も行かれましょうか。」と尋ねた。行かれると言うと、「ありがとう、マ・スール、ありがとう。」と付け加えた。これがアンヌの最後の望みであった。服従は彼女の最後の行いであった。又と開けられない目を閉じる時、「もう一度ママを御覧なさいね。」と言うと、素直な子供はようやくの思いで、死の為に重くなっている目蓋を努めて開け、優しい目を母の方に向けた。その顔つきは、この世で見る愛の最上の証拠であった。一月十四日の明方、アンヌは天使と共に去ってしまった。皆の心に期せずして一ツの言葉が上がった。
「彼女は聖人である。」と。
読んでくださってありがとうございます。 yui