「人間って、死ぬもんなんだよね……」

私が明日、死ぬとわかったら「自分にも相手にも優しくなる」
人間は、いつ死ぬかわからないんだ…みんなに優しくしよう。

MEDITATION the first and last freedom 「体験に だまされてはいけない」

2013-06-23 11:45:14 | OSHOの講話



「体験にだまされてはいけない」P.426


「あらゆる体験は、マインドの策略だ。 すべての体験は、ただの逃げ道に すぎない。

瞑想とは 体験ではない。 それは 実現だ。

瞑想とは 体験ではない。

むしろ、それは すべての体験が 止むことだ。」



体験とは 自分の外側に あるものだ。

体験者 こそが 自己の〈本性〉だ。

そして、
これが 真の精神性と 偽物との違いでもある。

体験を 追っているなら、その精神性は 偽物だ。

体験者へと 向かっているなら、それは 本物だ。

そのときには、「クンダリーニ」や「チャクラ」には 関心がない。

そのようなもの すべてには関心がない。 それらは起こる。

だが、
あなたは 興味も関心もない。

そのような横道には 入り込まない。

あなたは 内なる中心に むかって進みつづける。

そこには「あなた」しか 残されていない。

まったく 独りだ。

そうして、中身 のない 意識だけが残る。


中身とは 体験のことだ。

何を 体験しょうと、それは中身だ。 惨めさ を体験する。

そのときには、惨めさ が 意識の 中身だ。

それから、喜び を体験する。 喜び が 中身だ。

退屈を体験するなら、 退屈が中身だ。

沈黙を 体験するなら、 沈黙 が その中身だ。

至福を 体験するなら、 至福 が 中身だ。

こうして、中身を 延々と 変えつづける、永久に 変えつづけることもできる。

だが、これは 本物ではない。


この体験の「起こる者」、退屈の「起こる者」、至福の「起こる者」こそが本物だ。


精神的な探求は、「起こること」に ではなく「起こる者」に ある。

そうなれば、自我(エゴ) の現 れる 可能性は ない。


Osho,





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