出島と平和公園のお話です。
(1)出島
1636年->1859年に渡ってわが国の外国貿易の窓口となった歴史上重要な場所です。
皆さんも歴史の勉強でその形を見たことがあるでしょう。
現在は元々出島があった場所に復元作業が行われています。
我々はそこを訪れてきました。
写真で見たことのある出島のイメージを持っていくと、周りに海はないし、出島の形もありませんし、「本当にココにあったのか!?」という印象を受けます。
さあ、出島に到着です。
入場料は500円です。資料やコンテンツを見る限りこれは格安な入場料ではないかと思います。
出島にオランダ国旗を掲揚した旗柱。大きく、太く、立派です。
出島の側溝は瓦で埋められており、これは出島の特徴だそうです。
オランダ商館長のお部屋、カピタン部屋です。
畳敷きの部屋に洋風の家具、壁紙は唐紙となっています。
美術に造詣の深い「ぼこ」は、この部屋の雰囲気を一目見て気に入っていました
唐紙はこんなおしゃれな柄をしています。
でも、こんな和風のお部屋もあるのです。日本側の貿易事務や管理を担当していた出島乙名の建物の中です。出島乙名は、出島を築いた出島町人から選ばれたそうです。
当時の出島のミニチュアもありました。近寄って撮るとまるでそこにいるようです。
「ぼこ」はここで出島特製てぬぐいをお土産にしました。
(2)長崎平和公園
1945(昭和20)年8月9日、午前11時2分、長崎市北部に原子爆弾が投下されました。
原爆投下地点の真下は、住宅街が並ぶ市街地でした。
一瞬のうちに多くの方の命が失われました。
まだ当時の瓦礫が地層となって地面に埋まっているそうです。
平和のシンボルである平和記念像
水を求めながら亡くなった原爆犠牲者の冥福を祈り建立された平和の泉
もみじが赤く染まります。
投下地点近くにあった刑務所も爆風で破壊されました。
刑務所の土台部分です。
長崎にはさまざまな歴史があります。
それらを一つ一つ訪れ、それぞれに思いをはせたいものです。
By 「でこ」
(1)出島
1636年->1859年に渡ってわが国の外国貿易の窓口となった歴史上重要な場所です。
皆さんも歴史の勉強でその形を見たことがあるでしょう。
現在は元々出島があった場所に復元作業が行われています。
我々はそこを訪れてきました。
写真で見たことのある出島のイメージを持っていくと、周りに海はないし、出島の形もありませんし、「本当にココにあったのか!?」という印象を受けます。
さあ、出島に到着です。
入場料は500円です。資料やコンテンツを見る限りこれは格安な入場料ではないかと思います。
出島にオランダ国旗を掲揚した旗柱。大きく、太く、立派です。
出島の側溝は瓦で埋められており、これは出島の特徴だそうです。
オランダ商館長のお部屋、カピタン部屋です。
畳敷きの部屋に洋風の家具、壁紙は唐紙となっています。
美術に造詣の深い「ぼこ」は、この部屋の雰囲気を一目見て気に入っていました
唐紙はこんなおしゃれな柄をしています。
でも、こんな和風のお部屋もあるのです。日本側の貿易事務や管理を担当していた出島乙名の建物の中です。出島乙名は、出島を築いた出島町人から選ばれたそうです。
当時の出島のミニチュアもありました。近寄って撮るとまるでそこにいるようです。
「ぼこ」はここで出島特製てぬぐいをお土産にしました。
(2)長崎平和公園
1945(昭和20)年8月9日、午前11時2分、長崎市北部に原子爆弾が投下されました。
原爆投下地点の真下は、住宅街が並ぶ市街地でした。
一瞬のうちに多くの方の命が失われました。
まだ当時の瓦礫が地層となって地面に埋まっているそうです。
平和のシンボルである平和記念像
水を求めながら亡くなった原爆犠牲者の冥福を祈り建立された平和の泉
もみじが赤く染まります。
投下地点近くにあった刑務所も爆風で破壊されました。
刑務所の土台部分です。
長崎にはさまざまな歴史があります。
それらを一つ一つ訪れ、それぞれに思いをはせたいものです。
By 「でこ」