上の絵は 市松さんの着こなす
「市松模様(右上から左下へ)」と 定紋「丸に同の字」
1.東京オリンピック2020エンブレムの 再審査に残ったのは 野老(ところ)朝雄氏の「組 市松 紋」
市松模様の 同じ部品を オリンピック用/パラリンピック用に 組み合わせた 紋
「部分を 組み立てることで 生成される 繋がる 図/立体物」の ひとつです
cf.野老(ところ)氏 公式頁 tokolo.com > 経歴(curriculum vitae)欄
野老(ところ)氏の力で 市松模様が 息を吹き返しました...
さて、ここで問題です。下に挙げるのは
市松模様の名前の由来となった 佐野川市松さん(初世(1722-62))の絵です。
佐野川市松さんは 二人のうちのどちらでしょう...
ヒント : 佐野川家の定紋「丸に同の字」と 市松模様を まとっているのが 市松さん
解答例 : 左側が 市松さん
確認の為に、市松模様の 市松さんの絵を 何枚か 見てみましょう。
市松模様の 立体構成や 色使いは 様々です
(左) 鳥居清廣さん(堺町(さかいちょう 今日の日本橋人形町))が 描く
葺屋町(ふきやちょう 今日の日本橋人形町)市村座で 演じる 市松さん
通油町(今日の日本橋大伝馬町) 豊仙堂 丸屋小兵衛刊 1756
(右) 奥村政信さん(通塩町(今日の日本橋横山町))が 描く
市松さんの呉服物売 (日本橋 本町二丁目 寿越後屋 広告) の 写し
奥村政信さん(通塩町(今日の日本橋横山町))が 描く 市松さん
日本橋 大伝馬町三丁目 鱗形屋孫兵衛刊 1749
(左) 奥村政信さん(通塩町(今日の日本橋横山町))が 描く 市松さん 1749
「芳月堂 正名根元(はしらゑ) 奥村文角政信 正筆」と署名され 版元名省略
cf.奥村政信さんが 自ら運営する 通塩町(今日の日本橋横山町)の版元 奥村屋
(右) 石川豊信さん(日本橋小伝馬町 旅館経営)が 描く 市松さん
通油町(今日の日本橋大伝馬町) 丸屋小兵衛刊 1750
2.市松模様の展開
「組 市松 紋」の元ネタである 「市松模様」は
「織仕事 (縦糸 横糸の 織り)」と関係の深い、古くから 世界中にある 格子模様ですが、
日本では 市松さん(1722-1762)が この格子模様を着こなした 江戸の初舞台
(元文六酉(1741年) 二月十五日 中村座 (堺町(さかいちょう 今日の日本橋人形町)))
の力によって 「石畳小紋」が 息を吹き返し...
ついには 名前そのものも 「市松染」と呼ばれるようになりました
cf.1745 「往古から有る「石畳小紋」を 「市松染」と 時花(はやり)出させ給ふ 根源様...」
女性に人気の 市松さんは
cf.1753 「先年 中村座へ 初て出られしは 高野心中の狂言に くめの介の役にて大当せられ
今に まへぶり うつりて 女中見物が 嬉しがります」
若女形としても 若衆形としても 市松模様を着こなす 大スターとなりました
cf.1754 「女形でも 若衆でも 何でも 聖天 岩屋」
---
(補足資料)
デザインの基盤としての 音楽 芸能 繊維 産業の 集積
□歌舞伎関係者の居所を網羅する 明和年間1769年の歌舞伎名鑑
『明和伎鑑』(日本橋 本町四丁目 書栄堂 伏見屋清兵衛 刊)
例えば、堺町の中村勘三郎座、葺屋町の市村羽左衛門座 勤務の 役者 演奏者 舞台制作関係者は
その殆どが 今日の日本橋人形町の駅の上辺
(= 堺町 葺屋町 芳町、岩代町、和泉町 浪速町 住吉町 高砂町、大坂町... 等々)在住
例えば、茶屋は 今日の日本橋人形町三丁目の西区画、
劇場入口(堺町 葺屋町)と 劇場楽屋口(楽屋新道)に集中、等々
cf.日本橋 旧町名 新町名 重ね地図
堺町(さかいちょう)に 中村勘三郎座、葺屋町(ふきやちょう)に 市村羽左衛門座
(*)地図右上のつまみを 左に動かすと新町名 右に動かすと旧町名
□着物の柄『当世早流雛形』 1684
菱川師宣(堺町(さかいちょう 今日の日本橋人形町))画 日本橋大伝馬町三町目 鱗形屋刊
□世界の筆仕事の柄『更紗便覧』1784
蓬莱山人帰橋 大屋裏住(金吹町(今日の日本橋本石町)の大屋さん)編 日本橋通 出雲寺和泉掾刊
更紗(さらさ) : 主に天竺(印度)から 世界に広まった 文様染布。
天竺(印度)における「更紗(さらさ)」の呼称「qalam kār」は ペルシア語「(ガラム(筆) カール(仕事))」
(*)当時の天竺(印度)は ペルシア語を公用語とする モゴル朝 : トルコ・モンゴル系王朝 1526 - 1858
「<織仕事>による(縦糸 横糸の)文様」でなく
「<筆仕事>による 染文様 (描いた模様の様々な定着技法)」
□山東京伝の創作小紋 『小紋雅話』 1790
通油町(今日の日本橋大伝馬町) 蔦屋重三郎刊
天竺(印度)にては 鉋屑を見て字を作し、
紅毛(おらんだ)にてハ 牛の涎(よだれ)をミて字をなす。
唐(もろこし)の蒼頡(そうけつ)は 鶏の足跡を見て 字を作たるときこゆ。
予ハ亦 犬の足跡を見て 梅の花と見たて 画なるか 字なるか
いつかふ 不分物(わからざるもの) 数十を作し、なづけて「小紋雅話」といふ。
是 「もゝんがァ」の たぐひにして 何(いづれ) 怪かるべし
葺屋町(今日の日本橋人形町)の 芝居にて織り出す 曲馬小紋 等 ↑
---
□名字「野老」の 読み「ところ」について
「野老(ところ)」(植物)は、Dioscorea tokoro等の Dioscorea(山ノ芋)の 一群
「海老(えび)」同様、正月の飾物にも。
Dioscoreales > Dioscoreaceae > Dioscorea tokoro
属名 Dioscoreaは リンネさん(18世紀)による ディオスコリデスさん(1世紀)への 献名。
因みに、ディオスコリデスさんの資料『薬物について』は、
キリスト国化して、オリンピックを始めとする文化伝承を 断絶させてきたローマ人支配の国の中で、
生き延びてきた 資料の例として、 よく挙げられる例...
「市松模様(右上から左下へ)」と 定紋「丸に同の字」
1.東京オリンピック2020エンブレムの 再審査に残ったのは 野老(ところ)朝雄氏の「組 市松 紋」
市松模様の 同じ部品を オリンピック用/パラリンピック用に 組み合わせた 紋
「部分を 組み立てることで 生成される 繋がる 図/立体物」の ひとつです
cf.野老(ところ)氏 公式頁 tokolo.com > 経歴(curriculum vitae)欄
野老(ところ)氏の力で 市松模様が 息を吹き返しました...
さて、ここで問題です。下に挙げるのは
市松模様の名前の由来となった 佐野川市松さん(初世(1722-62))の絵です。
佐野川市松さんは 二人のうちのどちらでしょう...
ヒント : 佐野川家の定紋「丸に同の字」と 市松模様を まとっているのが 市松さん
解答例 : 左側が 市松さん
確認の為に、市松模様の 市松さんの絵を 何枚か 見てみましょう。
市松模様の 立体構成や 色使いは 様々です
(左) 鳥居清廣さん(堺町(さかいちょう 今日の日本橋人形町))が 描く
葺屋町(ふきやちょう 今日の日本橋人形町)市村座で 演じる 市松さん
通油町(今日の日本橋大伝馬町) 豊仙堂 丸屋小兵衛刊 1756
(右) 奥村政信さん(通塩町(今日の日本橋横山町))が 描く
市松さんの呉服物売 (日本橋 本町二丁目 寿越後屋 広告) の 写し
奥村政信さん(通塩町(今日の日本橋横山町))が 描く 市松さん
日本橋 大伝馬町三丁目 鱗形屋孫兵衛刊 1749
(左) 奥村政信さん(通塩町(今日の日本橋横山町))が 描く 市松さん 1749
「芳月堂 正名根元(はしらゑ) 奥村文角政信 正筆」と署名され 版元名省略
cf.奥村政信さんが 自ら運営する 通塩町(今日の日本橋横山町)の版元 奥村屋
(右) 石川豊信さん(日本橋小伝馬町 旅館経営)が 描く 市松さん
通油町(今日の日本橋大伝馬町) 丸屋小兵衛刊 1750
2.市松模様の展開
「組 市松 紋」の元ネタである 「市松模様」は
「織仕事 (縦糸 横糸の 織り)」と関係の深い、古くから 世界中にある 格子模様ですが、
日本では 市松さん(1722-1762)が この格子模様を着こなした 江戸の初舞台
(元文六酉(1741年) 二月十五日 中村座 (堺町(さかいちょう 今日の日本橋人形町)))
の力によって 「石畳小紋」が 息を吹き返し...
ついには 名前そのものも 「市松染」と呼ばれるようになりました
cf.1745 「往古から有る「石畳小紋」を 「市松染」と 時花(はやり)出させ給ふ 根源様...」
女性に人気の 市松さんは
cf.1753 「先年 中村座へ 初て出られしは 高野心中の狂言に くめの介の役にて大当せられ
今に まへぶり うつりて 女中見物が 嬉しがります」
若女形としても 若衆形としても 市松模様を着こなす 大スターとなりました
cf.1754 「女形でも 若衆でも 何でも 聖天 岩屋」
---
(補足資料)
デザインの基盤としての 音楽 芸能 繊維 産業の 集積
□歌舞伎関係者の居所を網羅する 明和年間1769年の歌舞伎名鑑
『明和伎鑑』(日本橋 本町四丁目 書栄堂 伏見屋清兵衛 刊)
例えば、堺町の中村勘三郎座、葺屋町の市村羽左衛門座 勤務の 役者 演奏者 舞台制作関係者は
その殆どが 今日の日本橋人形町の駅の上辺
(= 堺町 葺屋町 芳町、岩代町、和泉町 浪速町 住吉町 高砂町、大坂町... 等々)在住
例えば、茶屋は 今日の日本橋人形町三丁目の西区画、
劇場入口(堺町 葺屋町)と 劇場楽屋口(楽屋新道)に集中、等々
cf.日本橋 旧町名 新町名 重ね地図
堺町(さかいちょう)に 中村勘三郎座、葺屋町(ふきやちょう)に 市村羽左衛門座
(*)地図右上のつまみを 左に動かすと新町名 右に動かすと旧町名
□着物の柄『当世早流雛形』 1684
菱川師宣(堺町(さかいちょう 今日の日本橋人形町))画 日本橋大伝馬町三町目 鱗形屋刊
□世界の筆仕事の柄『更紗便覧』1784
蓬莱山人帰橋 大屋裏住(金吹町(今日の日本橋本石町)の大屋さん)編 日本橋通 出雲寺和泉掾刊
更紗(さらさ) : 主に天竺(印度)から 世界に広まった 文様染布。
天竺(印度)における「更紗(さらさ)」の呼称「qalam kār」は ペルシア語「(ガラム(筆) カール(仕事))」
(*)当時の天竺(印度)は ペルシア語を公用語とする モゴル朝 : トルコ・モンゴル系王朝 1526 - 1858
「<織仕事>による(縦糸 横糸の)文様」でなく
「<筆仕事>による 染文様 (描いた模様の様々な定着技法)」
□山東京伝の創作小紋 『小紋雅話』 1790
通油町(今日の日本橋大伝馬町) 蔦屋重三郎刊
天竺(印度)にては 鉋屑を見て字を作し、
紅毛(おらんだ)にてハ 牛の涎(よだれ)をミて字をなす。
唐(もろこし)の蒼頡(そうけつ)は 鶏の足跡を見て 字を作たるときこゆ。
予ハ亦 犬の足跡を見て 梅の花と見たて 画なるか 字なるか
いつかふ 不分物(わからざるもの) 数十を作し、なづけて「小紋雅話」といふ。
是 「もゝんがァ」の たぐひにして 何(いづれ) 怪かるべし
葺屋町(今日の日本橋人形町)の 芝居にて織り出す 曲馬小紋 等 ↑
---
□名字「野老」の 読み「ところ」について
「野老(ところ)」(植物)は、Dioscorea tokoro等の Dioscorea(山ノ芋)の 一群
「海老(えび)」同様、正月の飾物にも。
Dioscoreales > Dioscoreaceae > Dioscorea tokoro
属名 Dioscoreaは リンネさん(18世紀)による ディオスコリデスさん(1世紀)への 献名。
因みに、ディオスコリデスさんの資料『薬物について』は、
キリスト国化して、オリンピックを始めとする文化伝承を 断絶させてきたローマ人支配の国の中で、
生き延びてきた 資料の例として、 よく挙げられる例...
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