見出しの写真は、「汎アテーナイ競技祭」のスタジアム(スタディオン)。
紀元前に作られ 紀元後二世紀に大理石で改修されたスタジアム(スタディオン)、
第一回近代オリンピック(1896)の主会場となったスタジアム(スタディオン)です。
オリンピック・スタジアムの中には、
2000年以上前から存在するものがあります...
さて問題です。
次にあげるのは 2000年以上前から存在する
オリンピック・スタジアムのある町の 航空写真です。
それぞれの 町の名前は 何でしょう...
1.古代オリンピックのスタジアムがある 町の名前は...?
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ヒント:
千年以上にわたって 四年毎に開催された
古代オリンピック(「オリュムピアー競技祭」)の開催地
近代オリンピックで 1936年に開始された 聖火リレーの 聖火の採火地
解答例:
ギリシアの オリュムピアー(ολυμπια)
オリュムピアーのスタジアム(スタディオン)は、
紀元前に作られた、4万人以上の観客を収容するスタジアムです
2.第一回近代オリンピック(1896)の会場となった 古代のスタジアムがある 町の名前は...?
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ヒント:
同盟市からも多くの人を集めた
古代ギリシアの祭「汎アテーナイア」の開催地
第一回近代オリンピック(1896)の開催地
第一回近代オリンピック(1896)で開始された競技
マラソン(μαραθον)のゴール地点の町
cf.このスタジアムには 2004年
オリンピックの女子マラソンで
野口みずき選手が 一位で駆け込みました
スタジアムの入口からは、陽の沈む方向に
アクロポリスのパルテノン神殿などが見えます
解答例:
ギリシアの アテネ(アテーナイ αθηναι)
アテーナイのスタジアム(スタディオン)は、
紀元前に作られ 紀元後二世紀に大理石で改修された、
4万人以上の観客を収容するスタジアムです
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(解説)
競技祭(αγωνεσ) > 競技場(αγων) > スタディオン(σταδιον)
□競技祭(αγωνεσ アゴーネス) > 競技場(αγων アゴーン) について
αγων(アゴーン)という語は
αγορα(アゴラー:集会 広場 cf.αγειρω 集める)の類語で
「集まって 技や 議論や 商品を 遣り取りする 広場」という意味の言葉
オリュムピア競技祭が 複数形(ολυμπιακοι αγωνεσ)
(読み : olympiakoi agōnes オキュムピアコイ 「アゴーネス」)なのは 繰り返し開催されるから
(同じ場所オリュムピアで 四年毎に 千年以上にわたって 繰り返し開催されてきたオリュムピアー競技祭)
cf.近代オリンピックで 受け継がれなかった要素(「同一の場所で開催される裸祭」という要素)
因みに「裸祭という要素」についてはこちらも参照
ギリシア地域では各地で
様々な競技祭が定期的に開催されましたが、
そのなかで 最も最も歴史と威信のあるのが オリュムピアーの競技祭
この「オリュムピアー競技祭(ολυμπιακοι αγωνεσ : olympiakoi agōnes)」を引き継ぐのが、
今日の「オリンピック競技会(jeux olympiques, olympic games)」
□スタディオン(σταδιον)について
競技場(αγων 集まりの場)の核となるのが スタディオン(σταδιον)
上のふたつのスタジアム(スタディオン)の 印象的なデザイン その細長いデザインは
古代のスタディオンが 競技祭の根本競技「スタディオン走」の為に デザインされていることによります
「スタディオン走」とは 1スタディオンの直線を駆け抜ける競技
各オリュムピアー競技祭は スタディオン走優勝者の名前を付けて呼ばれました。
(近代オリンピックの各大会が 開催都市名を付けて呼ばれるように)
スタディオン(σταδιον)とは ギリシアの長さの単位
1σταδιον = 600 ποδεσ(600 足(靴):足(靴)のサイズの600倍)
スタディオン ポデス
歩くときに 靴を継ぎ足すように歩いて行くと
一歩に一秒かけて測ったとしても、600秒(10分)程で実測できる長さです
さて ここで問題です。
オリュムピアー競技場のスタディオンは
今日使われているメートル法で192メートル程だそうです
実測した人の足(靴)のサイズは何センチメートル程でしょう...
解答例:1足は... 192m/600足 = 0.32m = 32cm
また一般に 足のサイズの6倍は
体1つ分(身長 = 腕を横に伸ばした長さ)なので、
1スタディオン(1σταδιον)とは 体 100個分(100尋(広))の 長さとも言えます
オリュムピアー競技祭のスタディオンは
神ゼウスと人間女性の子 ヘーラクレースさんが実測したとも言われているので
そうだとすると、
神と人の子 ヘーラクレースさんの
足(あるいは靴)のサイズは32cm程、
身長は192cm程 ということがわかります...
オリュムピアー競技祭のスタディオンは、
初めは仮設だったようですが
(競技祭毎に 10分程かけて 1スタディオン(1σταδιον)を測って、スタートとゴールに線を引けば良い)
その後、選手用の1スタディオン(1σταδιον)の走路、
多くの観客を収容する土手、選手 審判 入退場用の土手のトンネル等がセットになった
今日も生き続ける 常設のスタディオン(σταδιον)が作られました
「スタディオン走」の為に 「1スタディオンの直線」を確保する
オリュムピアーの「スタディオン(σταδιον : stadion)」を引き継ぐのが、
今日のオリンピックの「スタジアム stadium(ローマ訛りの綴り...)」
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(以下 詳細解説)
□「オリュムピアー競技祭」のスタディオンの衛星写真解説
写真のスタジアムは
紀元前4世紀改修のバージョンを引き継ぐもの
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近代オリンピック競技会(近代オリュムピアー競技祭 jeux olympiques, olympic games)の祖、
古代ギリシアのオリュムピアー競技祭(ολυμπιακοι αγωνεσ)
オリュムピアの中心には神々の王ゼウス(ζευσ)の神殿、
その上にはゼウスの正妻の女神ヘーラー(‘ηρα)の神殿
女神ヘーラー(‘ηρα)の神殿の左側には 選手たちの練習場
・ギュムナスィオン(γυμνασιον 体育 練習場:裸(γυμνοσ)で練習するのでγυμνασιον)
・パライストラー(παλαιστρα 格闘技 練習場)
練習場の左に接して 木々に囲まれて 南北に流れる クラデオス(κλαδεοσ)川は
(川沿いに下に手繰っていくと名前が書かれています)
古代オリュムピアーの左下で
東西に流れる大河アルペイオス川(αλφειοσ ποταμοσ)と 合流
(*)船による人や物の大量輸送や
飲水等の給水が 可能な 水辺の聖域オリュムピアー
cf.二世紀、クラデオス川からの 大理石の給水施設等も
(アテーナイのスタディオンを大理石化した
富豪学者 ヘーローデース・アッティクスさんによる)
オリュムピアーの競技祭は、
初めは ゼウス神殿/ヘーラー神殿のある神域(αλτισ)内の 仮設の競技場で、
後に 神域の右側にある「オリュムピア競技場(αγων ολυμπιασ)」で開催
・スタディオン(σταδιον (1スタディオン走(σταδιο-δρομοσ)を始めとする 人間のみの競技の競技場))
・ヒッポ・ドゥロモス(‘ιππο δρομοσ 馬走:スタディオン下辺にあった 広大な 馬絡みの競技の競技場)
□ドイツ国と オリュムピアー発掘略史
1700年台 独 ヴィンケルマンさん等のオリュムピアー発掘構想
1832年 オスマン国からのギリシア国の独立
1875-1881年 独 クルティウスさんの発掘
→オリュムピア遺跡復元模型展示や 報告書の発行等
(クーベルタンさんによるオリンピック復活の動力源に)
1896年 オリンピックの復活(於 アテネの汎アテーナイアのスタディオン)
1936年 独ベルリンオリンピック
(映画 ラジオ中継 テレビ中継 + オリュムピアー発の聖火リレー(torch relay 松明中継))
独 オリュムピアー発掘再開(オリュムピアーのスタディオン全体の発掘)
□「汎アテーナイア」祭のスタディオンの衛星写真解説
写真のスタジアムは富豪の学者
ヘーローデース・アッティクスさんが総大理石化した
紀元後二世紀改修のバージョンを引き継ぐもの
カタカナでは大抵「パナシナイコ スタジアム」と表記されます
(現代ギリシア語「παν αθηναικο σταδιο (汎アテーナイのスタディオン)」)
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汎アテーナイア(παν αθηναια)とは
アテーナー(αθηνα)女神を讃えて 毎年開催される アテーナイ(αθηναι)最大の祭
四年に一度 大祭「大 汎アテーナイア(τα μεγαλα παν αθηναια)」を開催
イーリーソス(ιλισοσ)川の水辺に位置する
汎アテーナイア(παν αθηναια)のスタディオン
スタディオンの上を 右上から左下に通る道路が
(今日地下化されてしまっている)イーリーソス川のおおよその流路...
地図の左側を手繰っていくと
パルテノン神殿やアテーナー(αθηνα)女神を祀るエレクテイオン等のあるアクロポリスの神域
アテーナイのスタディオンは 神域アクロポリスの麓にあることがわかります
□富豪の働き者ζαππας (zappas)さんの資金による
近代ギリシアの国内版オリンピア競技祭開催/アテーナイのスタディオン復元 略史
二世紀 富豪の学者ヘーローデース・アッティクスさんが アテーナイのスタディオンを総大理石化
1832年 オスマン国からのギリシア国の独立
1856年 第一回近代ギリシア国内版オリンピア競技祭の運動競技を アテーナイ市内の公園で開催
1869-1870年 アテーナイのスタディオン発掘/修復
1870年 第二回近代ギリシア国内版オリンピア競技祭で アテーナイのスタディオン使用
1875年 第三回近代ギリシア国内版オリンピア競技祭で アテーナイのスタディオン使用
1888/9年 第四回近代ギリシア国内版オリンピア競技祭の運動競技を 体育学校で開催
1896年 アテネオリンピックで アテーナイのスタディオン使用
2004年 アテネオリンピックで アテーナイのスタディオン使用
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