フランスのテロが起こって以来、私の頭は
イスラム教とイスラム急進派のことで一杯で
できるだけ多くの情報に触れ、それなりに本を読んできた。
私がテロの翌日に初めて知ったのは「イスラム教と
イスラム急進主義は違う。イスラム教は平和を愛する宗教だ」と
いうことだった。それまで何もわかっていなかった私にとって
フランスのラジオから流れてきたイスラム教を代表する人たちの
そんな声明が驚きだった。
でも、違うのならなぜ同じ「イスラム」という名が使われているのだろう?
そこに共通点はないのだろうか?実際そこはかなり微妙なとこらしく
もちろん一般的なイスラム教徒は穏健で平和を祈っているけれど
コーランを厳しく解釈した一部の人たちは、より厳しい戒律にのっとった
生き方を望むらしい。そういう人たちもごく一部だけれども居る中で、ある時
普通のイスラム教徒がそちらにぐっと引き寄せられてしまうこともある。
そのプロセスを『ヨーロッパとイスラーム ー共生は可能かー』の中で
内藤正典氏は非常にわかりやすく解説してくれている。
まずヨーロッパにはイスラム圏からの移民が70年代から増えていた。
移民1世はなんとかお金を稼ぎ、母国に送金しようとしていたから
ヨーロッパで多少辛い目にあったって、そこはなんとか耐えていた。
けれども2世が生まれ、ヨーロッパの教育の中で育つことになった時、
現地の人とは頑張っても同じになれない自分、存在しないはずの差別に
気づいてしまう。そんな中、自分のルーツであるはずのイスラム教の
モスクや同じ文化圏の人たちが集まるところに行くと彼らは
今までの生活では得られなかった癒しや安堵感があるのに気づき、次第に
信仰を大切にするようになっていく。そんな人たちが増えることで
移民社会がしっかりと形成されていき、次第にその中では
ドイツ語やフランス語を話さなくてもよくなっていく。
結果として現地の人からするとそこは「何をやっているのかわからない・・・」という
ちょっとドキドキする地区になっていく。
ところで内藤氏によれば、イスラム社会では衛星放送が発達していて
イスラム圏の国々で何が起こっているのか瞬時に知ることができるらしい。
ドイツにいても中東で起こっているニュースが毎日目に飛び込んでくる。
少しでも誰かを助けたいと思っているイスラム教徒は同胞が辛い目に
合っているのを見て非常に心を痛めてしまう。
そんな心境にある時に、同じイスラム教徒であるはずの人から
ふっと根源的な問いかけをされたらどうだろう?
先日NHKが特集していた世界におけるイスラム国についての
番組では、イギリスで路上にたむろする若者達に
急進派たちが問いかけていた。
「この社会で君は幸せに生きているの?彼らは平等なんて言っているけど
実際には不平等ばかりじゃないか?」「差別を感じたことはない?」
「そうだ、あいつら、俺のことを盗人呼ばわりしやがって!
何にもしていないのに俺がやったって決めつけるんだ。」
「西欧文明が進歩しているなんて本当にそうだろうか?権利ばかり
叫んだ果てに家庭はバラバラになっているではないか?」
確かにね、口にはしてなかったけど、心の底では密かにそう思っていた。
そんな時、急進的な人たちに「兄弟よ、我々がこれを変えるべきなんだ!」と
力説されてしまったら・・・確かに西欧社会の裏側を身にしみて生き、
差別のまっただ中で生きてきた人たちにとっては一筋の希望に思えるだろう。
そこで徐々に何かが切り変っていく、そうして後のジハードの戦士が
今も各地で誕生しているのだろう。
(ちなみに「ジハード」という言葉はもともと信仰に精進するということだそうで、
断食に励むようなこともジハードというらしい。よく耳にする「ジハード」
としては、(いろんな説があるものの、総合すると)
「異教徒が攻めて来た場合、防衛のため戦う」ことは
コーランでも許されているといえそうだ。
(やむを得ない場合であり、こちらから戦いを挑むのはダメ))
こういった心境というのは何もヨーロッパで育った移民の
イスラム教徒だけに見られるものではないと思う。
疎外感、社会の中で必要とされていない感じ、
一体何のために生まれてきたのか?そう思っている若者達が
一度でも「君の力が必要なんだ!君こそやるべきことがある!」と
力説されたら、そこで何かが輝きだすのだろう。
方向性は色々だ。ジハードの戦士になる人もいる。
でも根底にある気持が社会に対する大きな疑問と
誰かの役に立ちたい、ちゃんと人から必要とされたいという
気持であるのなら、それはNGOやボランティアに参加する若者の気持とも
(その時点では)大して変りはないと思う。社会において自分の存在意義とは
何なのか?それが薄くなればなるほど、結局人に必要とされたい
大事な人物だと思われたいという欲求をもっている人は
何かを強く求めてしまう。そこにイスラム急進派やイスラム国が
ぴったりと当てはまってしまったのだろう。
日本にも学生運動があり、大学闘争があり、その後には
おそろしいあさま山荘事件もあった。もちろんはじめは
「もっと良くしたい、変えるべきだ」という純粋な気持で
始まったのだろう。けれどいつしかそれが恐ろしい事態に
変っていった。社会に疑問を抱き、何らかの役に立ちたいと
思う若者達、それをうまく利用し吸い上げていく急進派、
どこかでベクトルが変ってしまい、いつしか意見は弾圧されていく。
全体主義的な雰囲気の中、次々と恐ろしい事件が起こる・・・
その時すでに宗教やもとにあった思想というのは
本来の形からかなりデフォルメされているだろう。
(そこをシャルリー・エブドは問いたかったのでは・・・)
暴走してしまった力をどうすればとめることができるのか
私にはわからない。けれども暴走していく力の根っこ、
共感者たちを減らしていくこと、それも同時に大切なのでは
ないかと思う。今のイスラム国の指導者層を育くんだのは
皮肉にもイラクにあったアメリカ軍の収容所であるキャンプ・ブッカなのだという。
(ニューズウィーク日本版には「キャンプ・ブッカは
いわば野心に燃えるテロリストのサマーキャンプ」
「テロリスト大学のようなもの」と書かれている)
フランスのテロでも犯人たちは刑務所で固い絆を育んだ。
ル・モンドによれば刑務所内ではイスラム教徒でなかった人も
信仰熱心で絆があるように見える彼らの姿をうらやましく思い
「兄弟よ、困ったことがあったらいつでも面会に来るし
相談にのるからな」と言ってくれる誰かに出会うことで
改宗する人もいるという。
共通の憎き敵があり、自分たちのおかれた状況が
堪え難いほど、復讐への誓いは確固たるものになるだろう。
テロは許されるものではないし、イスラム国は本当に恐ろしい状態にある。
ヨルダン人のパイロットは火あぶりの刑にされ、イスラム教では
火葬自体が禁止されているためにヨルダン人は激しく起こり
あんなものはイスラム教ではないと強く言っている。
(なんとヨルダンを代表するテレビ局にアルカイダの人物をわざわざ
招き、アルカイダの人たちもイスラム国のやり方を非難したらしい)
とはいえ、忘れてはならないのは、人間はテロリストには
生まれないということだ。生まれた時からテロリストな
人間は一人もいない。それを育む環境があり、世界から
共感する者が集まり、組織が大きくなっていく。
彼らのスイッチを押したものは一体なんだったのだろう?
差別に対するくやしさ?言われない罪を押し付けられたこと?
この格差に満ちた社会をなんとかしたい、中東で
大変な目に合っている同胞たちを助けたい、そんな気持を
抱いた時に、他に選択肢はなかったのだろうか?
西洋が夢見た自由・平等な社会には裏側が存在していた。
そして今まさにその裏側に居た人たちからの不満が
暴力という形で爆発し、もはや戦争の一歩手前のようになっている。
ヨーロッパでは今の状況を第二次大戦前夜に例える人たちがいる。
私もそんな空気、多くの人たちの楽観的無関心と
一部の人が突っ走っていく空気というのに似たような雰囲気を感じてしまう。
戦争が起こってからでは本当に遅い。だからこそ
今少しでもできること、一人一人がほんの少しでも
手や頭を動かして、状況を知り、
昔と同じにしないためには何ができるか考えること
それが大切だと思う。