浅草・今戸神社を北に進むと妙亀塚(みょうきづか)がある。「梅若伝説」にちなんでつくられた。
この地は、かつて浅茅ケ原と呼ばれた原野で近くを奥羽街道が通じていた。
平安時代、吉田少将惟房の子梅若が信夫藤太という人買いにさらわれ、奥州に連れて行かれる途中、重い病にかかりこの地に捨てられ世を去った。
わが子を探し求めてこの地まで来た母親は隅田川岸で里人から梅若の死を知らされ、髪をおろして妙亀尼と称し庵を結んだという。
妙亀塚の上に板碑が祀られ、弘安11(1288)年5月22日孝子敬白と刻まれている。
梅若丸の辞世の句が、次。<哀>
尋ねきて 問はばこたへよ都鳥 隅田川原の露と消へぬと
謡曲「隅田川」はこの伝説をもとにしているという。
住所:東京都台東区橋場1-28-12
梅若丸の死を弔った梅若塚は、隅田川の対岸の木母寺(もくぼじ)にある。
この妙亀塚と相対するものと考えらる。
次が、その梅若塚。
この地は、かつて浅茅ケ原と呼ばれた原野で近くを奥羽街道が通じていた。
平安時代、吉田少将惟房の子梅若が信夫藤太という人買いにさらわれ、奥州に連れて行かれる途中、重い病にかかりこの地に捨てられ世を去った。
わが子を探し求めてこの地まで来た母親は隅田川岸で里人から梅若の死を知らされ、髪をおろして妙亀尼と称し庵を結んだという。
妙亀塚の上に板碑が祀られ、弘安11(1288)年5月22日孝子敬白と刻まれている。
梅若丸の辞世の句が、次。<哀>
尋ねきて 問はばこたへよ都鳥 隅田川原の露と消へぬと
謡曲「隅田川」はこの伝説をもとにしているという。
住所:東京都台東区橋場1-28-12
梅若丸の死を弔った梅若塚は、隅田川の対岸の木母寺(もくぼじ)にある。
この妙亀塚と相対するものと考えらる。
次が、その梅若塚。
さすがに、くわしいです。
人さらいは、むかしにはいたのですね。このごろでも、極くたまにニュースになっています。