もののはじめblog

コメント歓迎 ! 
必ずコメントに参ります by iina

八幡

2013年05月13日 | 歴史街道
の内 ⑧


全国にあまたの八幡神社があるが、その4万社余りの総本宮は大分県の宇佐神宮

八幡さまは武神の応神天皇の御神霊で、欽明天皇32年(571年)に初めて御示顕になったといわれ、神亀2年聖武天皇の勅願により御殿を建立奉祀した。皇室も伊勢神宮につぐ第二の宗廟、勅裁の社として御崇敬になっている。本殿には三つの御殿が並び、一之御殿には応神天皇、二之御殿には比売大神ひめおおかみ、三之御殿には応神天皇の御母で三韓征伐を行ったとする神攻皇后じんぐうこうごうを祀っている。
拝礼作法は、二礼・四拍手・一礼(普通二礼・ニ拍手・一礼)。四拍手は「四合わせ=幸せ」の意があるとか。この作法は、宇佐神宮出雲大社鹿島神宮だけ。

『品がいい、悪い』の語源
八幡大神は一品いっぱんに叙されており、品位ほんい制は元々親王を叙した位で、大宝元年701年大宝令により明冠をわけて一品から四品とし、明治2年まで続いた。位階は、臣下に与えられるものと区別する。朝廷は、天平以来八幡神を余程大事に扱っていたことになる。

聖武天皇は、東大寺建立の報告に赴き、称徳天皇の御世に、道鏡を天皇にすべきかについて神託を求めた。皇室の重大事を皇祖神・天照大神を祀る伊勢神宮にいかず、遠い八幡神宮まで行っている。

八幡神は、世界は八方に広がり季節ごとにそれぞれ八風が吹いて万物を生成している。

秦氏は、秦の始皇帝の三世孫武王が興したともいわれ、一族が全国に散らばっていき、八百万やおよろずの秦の神としてまつられたものか。その地が宇佐なのは、応神天皇・神攻皇后が北九州の香椎宮や宇佐を礎にしていたことによるのかも。




岩清水八幡宮
京の岩清水八幡宮は、もともとは男山の湧水をまつったやしろだったところを、貞観元年(859年)奈良大安寺の行教律師が宇佐八幡宮を勧進して王城鎮護の社にしたのが起こりとされている。

 鶴岡八幡宮
鎌倉の鶴岡八幡宮は、源頼朝の五代前の頼義が前九年の役で追討使として奥州に赴くとき、岩清水八幡宮を勧進して由比ガ浜に御分霊した。武士の棟梁となった頼朝は、源氏の氏神とし由比ガ浜からいまの地に移した。

万世一系とされる天皇家に三王朝交代説があり、祟神天皇と応神天皇と継体天皇で王朝が交代したとしている。また、祟神でなく、景行との説もあり、継体は応神の五世孫とされる。
天皇の死後におくられる諡号おくりなに「神」がつくのは、他に神話の世界に座す神武天皇くらいだ。



  ①一条戻橋
  ②1+1
  ③三輪山
  ④四天王
  ⑤五王
  ⑥陸奥
  ⑦七支刀



コメント (12)    この記事についてブログを書く
« スカイツリー | トップ | 大衆オートバイ »

12 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
宇佐八幡宮 (延岡の山歩人K)
2013-05-13 17:22:24
普通の神社と八幡神社の違いとか、考えもしませんでしたので・・
興味深くご拝読させていただきました。
「宇佐神宮」は九州の大動脈である国道10号線沿いにあり、前を通行したことはたびたびですが
ご参拝には行ったことが有りません。

  >二礼・四拍手・一礼(普通二礼・ニ拍手・一礼)。
    四拍手は「四合わせ=幸せ」の意があるとか。この作法は、宇佐神宮と出雲大社と鹿島神宮だけ。
全く、初耳でした。
もし、宇佐神宮にご参拝の機会ありましたら注意ですね
ありがとうございました。


水を張った「千枚田」、特に夕景は素晴らしい眺めですね
見附島は、ほんとに島の形が船に見えて軍艦島の別名が自然に生まれてきたのでしょうね
これが自然の岩の形と言うのもすごいものです。

 >魚貝類のおいしい氷見では、海を越えた先に立山連峰を見れていることを期待します。
登山家(?)のFさんですから見逃しは無いと思いますが
美味しい食べ物につられて・・・心配ですね、明日に期待
返信する
いまだに覚えられない (小春)
2013-05-13 22:02:15
iinaさん~♪

いただいたコメントを読ませていただき

URLをお教えいただいた4/23日付けの画像「吾妻橋からのスカイツリー」拝見しました。

ぅんぅん!いいなぁー。東京の新名所であり

写真におさめる最高の場所ですね。

あとダイバーシティー東京のガンダム像も私はですが好きですよー。

ガンダム像って後姿の方が色っぽい←どんな解釈?なんだ~ですが --^

二礼・ニ拍手・一礼が普通なのですね。

私はすぐに忘れちゃって。。。

お参りなど必要な時は前の人の所作

思いっきり真似しちゃってま~す。
返信する
Unknown (ぴろり)
2013-05-14 02:02:55
こんばんは!
コメントありがとうございました^^
神社のことって、まるで知識がなく・・・
神社によって神様が違うのかな?くらいの知識しかありません^^;
でもどこの神社に行っても同じお願いことをしてたりします。
今度、車で行ける範囲の神社に行ってみようと思っていますので、その前にその神社についてくらい調べてみようと思います。

こちらの記事のほかにも、いくつか記事を見せて頂きました。
写真がとっても素敵です!
また訪問させて頂きます^^
返信する
コメントに 返信 (iina)
2013-05-14 09:23:07
(延岡の山歩人K)さん へ
氷見から海越しに眺める立山連峰は、絶景です。この眺めに出会えてラッキーでした。地元に住んでいても、
なかなか拝めない景色です。
立山が3千m級で富山湾も3千m級の深さなので、その落差が6千mもある世界でも3箇所あるかないかの
珍しい景色です。
http://blog.goo.ne.jp/iinna/e/677ab8c73db141ec5ef01c3258210009

尾道の千光寺にも寄ったのですね。
鎖場を登るあたり、登山の勘を保とうとする性でしょうか。iinaたちの場合は、パスしましたから、さすがです。(^^ゞ
http://blog.goo.ne.jp/iinna/e/b0f963c9447d80415fe11d002c20ebbe

宇佐神宮には、出張で大分に行ったおりに地元の方が案内してもらったときは、まったく意識していなかったです。
その後「もののはじめ」を立ち上げるに至って興味を抱き、後日 別府に行ったときにわざわざ訪ねました。
何事かあると思って宇佐神宮に向かうと、周りの山々の山容もかなり美しく思えたものです。国東半島の根っこ
に位置し、大阪から中国に向かうと此処を中継すると便利であろうとも考えます。
http://blog.goo.ne.jp/iinna/e/a4e10babc702a6159fc2b4e0cf54c49f

宮崎に住んで、宇佐神宮を見逃す手はありませぬ。
きょうは、贅沢なブログでした。




(小春) さん へ
亀甲泉特級本醸造しょうゆをお気に入りでしたか。
けっこう、キーコーマンでなくても醤油にこだわる方がいます。やはり生まれ育った古里の味は、なつかしいです。

先日、⑦で取り上げた七支刀を見るために、東京国立博物館の大神社展を見学してきました。
七支刀の展示は12日迄でしたが、なかなか見応えのある内容で、大満足しました。




(ぴろり) さん へ
天満宮は、学問の神様である実在した菅原道真を祀ります。お稲荷さまは、キツネを祀るし、大神(おおみわ)神社
は三輪山(みわやま)を御神体にするように、山や岩などの自然を祀る神社もあります。
いろいろな神さまをお祀りしてますから、神社に参って調べると面白いですよ。
狛犬にも、稲荷神社にはキツネがいるし猿あるいはイノシシ等もいますから、比べてください。

ちなみに、iinaは神社には、『天下太平、家内安全』と願うばかりです。
そろそろ高額の宝くじが当たるかなぁ~ (^^ゞ
返信する
八幡神社 (hana)
2013-05-18 20:19:41
はじめましてコメント、ありがとうございます。

とっても詳しくお書きになっていて勉強になりました。
返信する
秦氏 (しずか)
2013-09-26 00:35:12
随分前のことですが、京都の嵐山のトロッコで、偶然隣に乗り合わせた方が、秦さんという人で「先祖が、始皇帝に繋がる」と話していたのを覚えています。
返信する
(しずか)さん へ (iina)
2013-09-26 09:53:39
松江城のお堀は、趣のあるところでした。
訪問したブログアドレスを置こうとしたら、きょうは拒否されました。
TBをフリーにしていただければ、トラックバックするのですが。残念。

秦氏のことは、秦の始皇帝につながると自称したのか、証明は難しいですが、諸説あるようです。
返信する
知りませんでした (更家)
2014-06-17 12:13:29
全国の八幡神社の総本宮は、大分の宇佐八幡なんですか!
知りませんでした。
返信する
(更家) さん へ (iina)
2014-06-18 08:38:53
京都の彼方此方を欲張りましたね。 ^^

四条通りの祇園辺りを夕方に行くと、舞妓さんが歩いてますよ。

iinaのテリトリーに京都も加わったものの、それほど気が向いたわけではなく、歩くうちに旧所名跡の案内板を読み進み、
段々と詳しくなりました。・・・そんなものです・・・

金閣寺でも、撮りたかった雪の撮影ができました。
http://blog.goo.ne.jp/iinna/e/c437bb438e853ef37fbbf7eedebe114f

返信する
歴歩 さん へ (iina)
2018-09-15 12:05:44
はじめ、4万社余りある八幡神社の総本宮は、石清水八幡宮だと思っていましたが、大分県の「宇佐神宮」です。

この神は風変りにも巫女の口を仮て託宣するのです。それも国政に関することばかりを・・・。
仏教が盛んになると「自分は昔インドの霊神」と託宣し、新時代に適します。

聖武天皇が大仏を造ろうと東大寺を建立するとき、八幡神は賛同の託宣をします。天皇は喜び、大仏殿の近くに手向山八幡宮を建て東大寺を守護します。

鎮護国家が仏教を受容した奈良朝のころ、仏が上で、神は下だったようです。僧たちは神々にありがたい経を聞かせて救おうとしたといいます。
https://blog.goo.ne.jp/iinna/e/5a49f2f0f673dde220c70383ffd76375

返信する

コメントを投稿

歴史街道」カテゴリの最新記事