ファテープル・スィークリーの窓
■死んだムスリムの残したものは、
アマルティア・セン、『議論好きなインド人』の第III部 政治と異議申し立て、 第12篇 インドと核爆弾においては、インドとパキスタンが核兵器を持って対峙することについての考察。
いきさつとしては、昨日書いたヒンドゥー至上主義の風味をもつインド人民党が政権に就いていた1998年にラージャスターン州のポカランで核実験を行った。首相はインド人民党のバジパイ。実務責任者は核物理学者のカラム。カラムに実際に会ったセンは「心暖かく、穏やかな物腰の人物」と書いている。核実験後カラムは、「1500年のあいだ、インドは一度として侵略を行わなかった」と言ったそうだ。
にやり。そうだよな、インドは数千年に渡り、外来侵入者の吹きだまりではあったが、打って出たことはない。いつも、カイバル峠から やつらは やってくる。
事実、デリーこそ歴代侵入ムスリムの吹きだまりであり、彼らの残していったものの展示場である。
12世紀以来のデリーに残されたムスリムのモスク
↑ これって、ぬっぽんずんの税金を使った、ぬっぽんずんのデリー建物ヲタのコレクションにほかならない。
こわれた館とゆがんだドーム
他には何も残さなかった
帝国ひとつ残せなかった
■もうムスリム来襲はないのか?
英領インドは、ムスリム主体のパキスタン・バングラディシュとインドに分離した。この時の分離の騒動で双方殺し合い、百万人(以上)が死んだとされている。これは、原爆で死んだ人よりはるかに多い。そして、印パは大量破壊兵器どころか機関銃以下の武器で、お互い面と向かって殺しあったらしい。その殺意の根源がわからない。
さて、むしろムスリム襲来の問題は、インドが引き受ける問題ではなく、パキスタンが受ける脅威かもしれない。なぜなら、北方のアフガニスタンやイランからのイスラム原理主義の浸透をまともに受けないといけないのはパキスタンであるから。
さらには、実はパキスタン政府、あるいは軍部が、陰に陽に、タリバンを支援しているらしい。タリバンの発展した勢力が、かつてのバーブルのように、アフガンと今の核武装したパキスタンを征服したらどうなるであろう。
インドは「文明国」(欧米)から支援された核戦争最前線となるであろう。
■ おりこうさんの作文
さて肝心のセンセンセの核問題への「思索」であるが、インドをめぐる事実関係以外は得るところなく、従来の道徳的観点からの核兵器保持反対以外、核兵器の問題への新たで真摯な切り口は何一つない。
日本の高校生の夏休みの宿題の「平和問題」作文程度である。
逆の視点からいうと、宿題をお持ちの方は、センの本文をどうぞお読みください。