最近わからないのが、なぜディズニーランドが好きだった三島由紀夫が憂国なのか?である。
そもそも、三島由紀夫はアメリカが好きだった。米国の悪口を云っているのを見たことがない。特に、ディズニーランドが好きで自衛隊襲撃の直前までディズニーランドに子供を連れていく気だった。
三島由紀夫がディズニーランドが好きであったことの証左は三島の川端康成に宛てた手紙(1960-1961年頃)にある;
ロスでは、生憎共和党の選挙本部のホテルに、ニクソン氏と同居してしまい、食事のサーヴィスもめちゃちゃくちゃに遅く、選挙さわぎでホテル中が煮立っていて、とんだトバッチリを喰いました。しかしディズニー・ランドはとても面白く、世の中にこんな面白いところがあるかと思いました。(川端康成・三島由紀夫『川端康成 三島由紀夫 往復書簡』新潮社、平成9年。大塚英志、「ミッキー・マウスと三島由紀夫の身体」、『越境する三島由紀夫 三島由紀夫研究⑩』より孫引き)
さらに松村剛の三島伝では昭和44年・1964年頃、「子どもたちをアメリカのディズニー・ランドにつれて行く約束になっていてね」と松村に云ったとされている。なお、この発言について「子どものはなしを彼が口にするのをきいたのも、この夜が最初だった」と云っている。
この三島由紀夫とディズニーランドの関係について言及し、考察しているのは、おいらが知る限り、大塚英志あけである。大塚が紹介する三島のアメリカ賛美の文章;
アメリカの商業美術が、超現実主義や抽象主義にいかに口ざわりのいい糖衣をかぶせてしまうか、その好例は大雑誌の広告欄にふんだんに見られる。かくて現代的な美の普遍的な様式が、とにもかくにも生活全般のなかに生きていると感じられるのはアメリカだけで、生きた様式というに足るものをもっているのは、世界中でアメリカの商業美術だけかもしれないのである。通信販売が様式の普及と伝搬に貢献し、人びとがコンフォルミズムとそれを呼ぼうが呼ぶまいが、アメリカの厖大な中産階級を通じて、家庭や台所の設計にまで、あのものやわらかな、快適な、適度に冷たい色彩と意匠の美的様式が広がっている。(中略)ジェット機から電気冷蔵庫にいたる機能主義のデザインが、ちゃんと所を得た様式として感じられるのはアメリカだけであろう。(孫引き:元は三島由紀夫「美に逆らうもの」)[なお、旧かなづかいは、いか@が勝手に改変]
文章全体は読んでいないのでわからないが、大塚英志は、『ミッキー・マウスと三島由紀夫の身体』の中で、「アメリカの美をこう賛美する」と云って上記引用を紹介している。
三島由紀夫とディズニー文化との出会いは、大塚英志によれば、戦前昭和8年に三島が小学校3年生の時見た映画とのこと。本格的なディズニー文化への傾倒は1951年(昭和26年)米国など「世界漫遊旅行」に出かけたとき出発直後の太平洋航路の船上での毎夜の映画上映であった。『シンデレラ』が記憶に残っているとしている。さらに「ディズニーの漫画で、『不思議の国のアリス』の気違い兎と気違い帽子屋のパーティーの場面は、私を大よろこびさせた。『ダンボの』の酩酊のファンタジーおよかった」と云っているとのこと(大塚英志、同上)。
大塚英志の指摘は、三島由紀夫がアメリカを賛美する鍵概念は、メカニズム。上記「ジェット機から電気冷蔵庫にいたる機能主義のデザインが、ちゃんと所を得た様式として感じられるのはアメリカだけであろう」はメカニズムの現れだ。大塚英志の上論文ではこのメカニズムが主題だ。
さて、この三島由紀夫が賛美している「アメリカの厖大な中産階級」のアメリカは三島の身近にあったはずである。家庭や台所の設計にまで、あのものやわらかな、快適な、適度に冷たい色彩と意匠の美的様式 これだろう↓
『デペンデント・ハウス 連合軍家族用住宅集区』より
(愚記事:横浜市の思い出:最後に借りた本『デペンデント ハウス 連合軍家族用住宅集區』GHQ DESIGN BRANCH JAPANESE STAFF/商工省工藝指導所編 1948年)
おいらの、単細胞的認識による、戦後日本像というのは、上記「ワイントンハイツ」のような「アメリカ人のような暮らし」を目指したというもの。かつて、おいらは書いた;
敗戦後の日本人の少なからずが、アメリカ人のように暮らしたいと願い、実現させたのが高度成長を経た戦後日本なのだろう。日本人をして、「アメリカ人のように暮らしたいと願」わせしめたのが「ワシントンハイツ」。(愚記事:米国的生き方 [American Way of Life] としての児童公園、あるいは、パクリ元の判明)
この敗戦国民日本人の希望:「アメリカ人のように暮らしたい」という夢を実現させたのが経済成長であり、その結果が経済大国だ。
ところで、三島由紀夫と云えば、下記文言がよく言及される;
このまま行ったら日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない、或る経済大国が極東の一角に残るのであろう
でも、富裕な、抜け目がない、或る経済大国が極東の一角に残ったものは、三島が「称賛」した「アメリカの美」を追求した結果ではないのか?
さらに、三島が死んで10年あまりの年月はかかったが、ディズニーランドは日本にできた!
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2008; ・(無題)
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▼ 猫とカレーライス
ありし日のしろちゃん
しろちゃんはカレーが好きだった。おいらが食べ終わったカレーの皿に残ったカレーをなめていた。これは猫に悪いらしい(先ほどカレーをひと舐めしてしまったのですが大丈夫でしょうか)。今日、11月25日は「猫とカレーの日」だ。 ~♪~君も僕も猫も みんな好きだね カレーライスが ~♪~
ただし、これまで縁があった/ある猫は、しろちゃん以外、誰もカレーに見向きはしない。