江藤淳 [愚記事群] が云うところの"1967年秋以降激しさを増した反体制運動=学生の「革命ごっこ」である暴力行為"の時代、はたまた、絓秀実 [愚記事群] さんが云う世界にふたつしかない世界革命のひとつである1968年革命において、1970年以降内ゲバの時代となっていった契機は、1970年7月7日の「華青闘告発」の勃発らしい。「華青闘告発」は、マイノリティーによる対抗運動の初めての登場。その「華青闘告発」がセクト間の内ゲバになっていった機序(メカニズム)は、おいらはよくわかっていないのだが、絓秀実さんは自著で説明している(が、おいらはまだよくわかっていない)。
そして、恐らく絓秀実さんはなぜ自分の頭がかち割られる事態に至ったのか?描きたいのだろう。
西部 [1] 「あなたは、伝え聞くところによると、内ゲバで頭をかち割られても”いいよ、いいよ”って言ってたって (笑い)」
絓秀実によるインタビュー録、『LEFT ALONE 持続するニューレフトの「68年革命」』、2005年 (Amazon)
([1] 西部邁:愚記事群)
その1970年7月7日の「華青闘告発」の"イデオローグ"(←この表現は事大主義的で気恥ずかしいよね)とされているのが津村喬 [愚記事群] 。
その津村喬の『革命への権利』、せりか書房、1971年を図書館で借りて、ペラペラ眺めていた。もちろん、よくわかない。
そうしたら、元々は1ページ丸々白紙のところに、落書き;
なお、この津村喬、『革命への権利』の本文には、「待機主義的文学青年集団革マル派」という揶揄がある。
まだ、内ゲバ時代ではない頃(内ゲバ時代の直前)の話なんだろう。