おいらのようなばかはいくら絵をみても意味を十分汲み取れていない ⇒ Google
今日もどうでもいいことなのですが、おいらが最近知ったことをメモります。
― 東京の巷で見たポスター ―
築地市場が豊洲に移る。築地より以前は「魚河岸」は日本橋にあったそうだ。
その様子を描いたのが、浮世絵: 歌川 広重、東海道五十三次之内 日本橋朝之景。
絵は読むものらしい。この浮世絵の読解註釈を知って、おいらのようなばかはいくら絵をみても意味を十分汲み取れていないと気づいた。
この絵の基調は、早朝、江戸を出立する大名行列が日本橋を渡る様子。そして、行列をなす やつらが 御武家様と共に描かれているのが、われらが魚屋たちである。江戸時代、魚河岸は日本橋にあったそうだ。
この絵が示すことは、例えば、当時の江戸っ子は、大名行列に土下座なぞしていなかったことだ。大名行列を歯牙にもかけないこのわれらが魚屋どもを見よ! これが本当の「江戸しぐさ」だ!!!
おいらが知ったこの浮世絵の読解註釈@speculation編で感心したのは、この大名行列の先頭者の担ぐ荷物には郷里の城下への土産として浮世絵も詰まっているだろうという推定=speculationである。田舎の人たちは、みんな、自らが実感できない江戸事情の情報に飢え、浮世絵を見ては、江戸に限りない憧憬の炎を燃やしていたにちがいないからだ。田舎では江戸の浮世絵が大人気であったそうだ。
そして、おいらは、この絵の読みについて恐らく新しい知見を思いついた。 この歌川 広重、東海道五十三次之内 日本橋朝之景は大権現さま(徳川家康公)の遺言をも基調とした絵画に他ならない。 なぜなら、家康は云った;
人生は重き荷を負うて遠き道を行くがごとし [google]
御武家様も魚屋さんもみんな、家康の徒なんだよ。 なぜなら だって この浮世絵をよく見ろよ。
御武家も魚屋も、みんな、重き荷を担いでいるじゃないか!
これがおいらの speculation だ。
そして、彼らの荷は肩に食い込むが、先は急がなかったのであろう。
恐るべし、江戸!
▼ 蛇足 (ピンボケですみません)
舟遊びで見た築地市場