かぶれの世界(新)

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介護録09春

2009-04-27 10:54:01 | 日記・エッセイ・コラム

先週、大阪に住む妹夫婦が実家に帰り母の様子を見てくれているのが、ウェブカメラから見て取れた。早速電話して子供のことなど互いの近況を報告した。同じ町に住む義母が5月連休中に旅行に出るので、連休により少し早く顔を見に帰ったと聞いた。

カメラで見る母の様子は変わらないが、血糖値は相変わらず200台の高い所を行き来している。家内によると、時折冷蔵庫からポットを取り出し、味噌のようなものを人差し指ですくって口に入れている母の姿を見たという。

これを聞いて看護婦の義妹から、味噌はカロリーが高く塩分なども多いから、口が寂しい時には代わりに煮干とか昆布のようなものを身近な場所に置くよう助言を受けた、と家内が思い出した。実家に電話をかけ直し、妹にその旨依頼した。その後も血糖値の変化はないが、気がついたことをやっていくしかない。

介護といえば、先週元タレントの清水由貴子さんの悲しいニュースが流れた。介護はいくら頑張っても先ずよくなることはない。維持が精一杯、悪くなる一方と覚悟して取り組まないと、出口の見えない不安に苛まれ、彼女のような悲劇が生まれるとニュースを見て思った。

幸いなるかな、私には実家の母の介護の他にもケアしなければならない家族が東京にいる。清水さんのように100%介護に注力できない。ヘルパーさんにお願いするしかないが、心の葛藤はない。彼女の自殺のニュースを聞いて、私の場合も母の介護だけだと却って救いが無くなるかもしれないと思った。

母の状態が悪化したら、最後は施設に入れるしかないと覚悟している。先日久し振りに呑み会で会った元会社同僚は私のブログを読んでいてくれ、施設に入った老人が短期間で亡くなると、彼の経験を教えてくれた。そう思うと辛い。言い方は変だが、余裕をなくして自分を見失うことなく、その上で他に選択が無くなるまで精一杯やるしかない。

介護の問題を可哀想だと思うだけでは何も解決しない、と私も思う。かつて介護は100%家族のやることだった。大家族が消滅した現状は、社会と家族が連携してやるシステムにまだ移行中だ。感情的になるよりも、割り切って「経済的に維持可能なやり方」を見出し定着させていくしかない。■

コメント (1)
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