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ノーベル平和賞の矛盾を越える

2024-12-13 20:07:03 | 国際・政治
日本被団協がノーベル平和賞を授与され50年間にわたる非核平和運動を高く評価されたとマスコミは大々的に報じた。一方で天邪鬼の私の印象では、佐藤栄作元首相が1974年に非核三原則を実現した政治家として平和賞を授与されたことは殆ど評価されず今日に至っている。

その理由は非核三原則「核兵器を持たず、作らず、持ち込ませず」という評価が、1972年の沖縄返還時に「有事の際には核兵器の持ち込み」を条件とする密約があった為と言われている。今日の世界情勢を鑑みてこの密約は日本を守るため極めて正しい判断だったと私は思うが、密約があったことは事実であり隠蔽したことになる。当時の社会情勢を考えるとやむを得ない判断だと思う。

だが、それを言うなら果たして核兵器を保有するNATOに加盟したノルウェイはノーベル平和賞を選定する資格などあるのだろうか。私はそれでもノルウェイが平和賞を選定するのは意味があると思うが、同じ様な理由で佐藤元首相の密約は国を守る為に意味があったと思う。誰もそういう議論をしないのは何故だろうと私は思う。

天邪鬼の私にはこの手の矛盾は世界中に溢れていると思う。核を保有する中ロ北朝鮮などに対して、米国に安全保障を頼らず外交だけでは日本を守ることは国民に大きな負担をかけ実質不可能だと信じる。かつて中立を保ったスエーデンを高く評価したのに、核保有するNATOに加入して国を守ろうとした時誰も非難しなかった。それが世界の現実であり誰も文句言う筋合いはないが。

戦争に限らず被害が大きい時は被害者の声が大きく取り上げられる。戦争の場合は自国兵が戦争の相手国に被害を与えても一言も謝罪の言葉はない。広島や沖縄出身の兵士が敵国で戦い、もしかしたら原爆以上の被害を与えたかもしれない。戦争の被害を一方的に語る声を聞くと、天邪鬼の私は日本兵が戦争中にどれだけ残酷なことをしたのか同時に語るべきと強く思わずにはいられない。

似たような話として現在でも自衛隊兵や米兵が死亡事故を起こした時に、事故原因の究明要求は当然として事故現場で危険な目にあったと非難の声ばかりが報じられる。亡くなった兵士を悼む声が聞かれないのに強い違和感がある。命をかけて国民を守り亡くなった兵士を悼まないとは、何と恩知らずな住民のの声のみ報じるマスコミと思わずにはいられない。

こういう考えが全く聞こえてこずマスコミがただ称賛する平和賞受賞に対して、敢えて私は予め天邪鬼と自称した上で違和感を表明したい。勿論、被団協のこれまでの活動は素晴らしく称賛に値するが、同じ日本人が同時期に何をしたか原爆以上の命を奪ったとマスコミは報じるべきだと信じる。■

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