母の7回忌を無事終えてのんびりと車を運転中、内子町の交差点で自動車事故を起こした。幸いにも他人や車に被害を与えることはなかった。交差点で信号待ちの列に並んだところで記憶が飛び、気が付くとそこから30m程度先の歩道のガードパイプに左車輪をぶつけエアバッグの中にいた。
衝突のショックを受けて首に痛みを感じ胸に圧迫感があったが手足は自由に動いた。車内は薄い白煙が立ち油っぽい臭いがした。やっちまったと思ったが、他人を巻き込んでないようで一瞬ホッとした。右カーブ前の小広場に後続の車とバイクが止まって心配そうに眺めていた。事故の反対側にある車の部品や修理を扱う中年の店員に繰り返し聞かかれて、警察に連絡をお願いした。
急いで後方のトランクから三角マークを立てていると、パトカーが来て素早く交通整理をしながら事故の経緯を聞かれた。免許証を提出し、「東京都民だが母の法事の為に大洲市の実家に戻ってきている、交差点のところで意識を失い居眠りしていたかも」と報告した。その後はスマホが大活躍、必要な手続きや連絡を手早く取ることが出来た。
一通り警察の質問に答え、次に自動車保険会社に連絡を取り即レッカー車が手配された。警察から国道の歩道は国の財産なので国交省に連絡せよと言われれ、スマホで調べ出先の事務所に亊情を報告した。その頃からロードサービスや通産省出先の方々が来て事故現場を手際よく処理して行った。その頃には私は妙に落ち着いて警察に連絡してくれた店に出向いてお礼を言った。
その間に保険会社の夫々の担当から何度か連絡が続いて入り、一方、警察は個人の「物損」扱いなので危険ではないと言いパトカーで去って行った。事故車はレッカー車に吊り上げられ、破損したパイプは全て切り取られ、現場の跡には砂が巻かれ、事故の痕跡が殆ど無くなった。私は余りにも早く処理されたので、当座の対応と勘違いし、一人ベンチで正式な手続きを待っていた。
30分近く待っていると、車をレッカーで運んで48h保管してるというロードサービス社から電話があり、やっと私の勘違いと理解した。会社は事故現場から近くにあり車で連れてってくれ、エアバックが壊れると修理に50万はかかると聞き、私は諦めて車を廃車すると伝えた。本件の担当の方に実家まで送って貰い、車中医者に診て貰えと勧められた。彼の助言はとても役に立った。
何処が良いか調べ救急医院を兼ね歩いていける距離の大洲記念病院を見つけた。そこは見かけより患者数が多く、高齢者が多かった。そこで初診の手続きをし、先生に指示を受けてレントゲン撮影し骨に異常はなく、軽いむち打ち症で様子を見ようと言われホッとした。病院を後にして農協系のホームセンターに歩いて行き、実用車タイプの自転車を購入し、スーパーで食料を購入して帰宅した。
久し振りに乗る自転車をふらつきながら実家に戻ると8時過ぎだった。シャワーを浴びたあと私には遅めの夕食を取りながら、家族にメールを打ち状況を連絡した。皆、大事にならずホッとしたようだ。その間にも保険会社やロードサービスから何度も連絡があり必要な手続きを教えて貰った。
以前投稿したが、米国ワシントン州に駐在時に雪が降り4車線の高速道路でスピンしたり、急に雨が降り始めた3車線の高速道路でスリップしたが事故にならなかった経験がある。日本でも甲州街道でバイク運転中に転倒したが大事に至らなかった。とても悪運の強い男だとつくづく思ったが、今回も廃車になったものの他人に傷つけたり車を傷めたりしなかっただけ運が良かった。
ロードサービスの担当は他人の車や人を傷つける事故に対応した時は、悲惨で見てられなかったという。私は大きな怪我もせず幸運だったと言われた。私もこれからの手続きは大変だろうが全くその通りだと思った。今朝になってもむち打ち症は悪化せず保険会社や家族にその旨伝えた。何とか自動車事故を凌げそうだ。家族に七回忌のたたりと言われたが、私はやっぱ悪運が強かったと思う。■
衝突のショックを受けて首に痛みを感じ胸に圧迫感があったが手足は自由に動いた。車内は薄い白煙が立ち油っぽい臭いがした。やっちまったと思ったが、他人を巻き込んでないようで一瞬ホッとした。右カーブ前の小広場に後続の車とバイクが止まって心配そうに眺めていた。事故の反対側にある車の部品や修理を扱う中年の店員に繰り返し聞かかれて、警察に連絡をお願いした。
急いで後方のトランクから三角マークを立てていると、パトカーが来て素早く交通整理をしながら事故の経緯を聞かれた。免許証を提出し、「東京都民だが母の法事の為に大洲市の実家に戻ってきている、交差点のところで意識を失い居眠りしていたかも」と報告した。その後はスマホが大活躍、必要な手続きや連絡を手早く取ることが出来た。
一通り警察の質問に答え、次に自動車保険会社に連絡を取り即レッカー車が手配された。警察から国道の歩道は国の財産なので国交省に連絡せよと言われれ、スマホで調べ出先の事務所に亊情を報告した。その頃からロードサービスや通産省出先の方々が来て事故現場を手際よく処理して行った。その頃には私は妙に落ち着いて警察に連絡してくれた店に出向いてお礼を言った。
その間に保険会社の夫々の担当から何度か連絡が続いて入り、一方、警察は個人の「物損」扱いなので危険ではないと言いパトカーで去って行った。事故車はレッカー車に吊り上げられ、破損したパイプは全て切り取られ、現場の跡には砂が巻かれ、事故の痕跡が殆ど無くなった。私は余りにも早く処理されたので、当座の対応と勘違いし、一人ベンチで正式な手続きを待っていた。
30分近く待っていると、車をレッカーで運んで48h保管してるというロードサービス社から電話があり、やっと私の勘違いと理解した。会社は事故現場から近くにあり車で連れてってくれ、エアバックが壊れると修理に50万はかかると聞き、私は諦めて車を廃車すると伝えた。本件の担当の方に実家まで送って貰い、車中医者に診て貰えと勧められた。彼の助言はとても役に立った。
何処が良いか調べ救急医院を兼ね歩いていける距離の大洲記念病院を見つけた。そこは見かけより患者数が多く、高齢者が多かった。そこで初診の手続きをし、先生に指示を受けてレントゲン撮影し骨に異常はなく、軽いむち打ち症で様子を見ようと言われホッとした。病院を後にして農協系のホームセンターに歩いて行き、実用車タイプの自転車を購入し、スーパーで食料を購入して帰宅した。
久し振りに乗る自転車をふらつきながら実家に戻ると8時過ぎだった。シャワーを浴びたあと私には遅めの夕食を取りながら、家族にメールを打ち状況を連絡した。皆、大事にならずホッとしたようだ。その間にも保険会社やロードサービスから何度も連絡があり必要な手続きを教えて貰った。
以前投稿したが、米国ワシントン州に駐在時に雪が降り4車線の高速道路でスピンしたり、急に雨が降り始めた3車線の高速道路でスリップしたが事故にならなかった経験がある。日本でも甲州街道でバイク運転中に転倒したが大事に至らなかった。とても悪運の強い男だとつくづく思ったが、今回も廃車になったものの他人に傷つけたり車を傷めたりしなかっただけ運が良かった。
ロードサービスの担当は他人の車や人を傷つける事故に対応した時は、悲惨で見てられなかったという。私は大きな怪我もせず幸運だったと言われた。私もこれからの手続きは大変だろうが全くその通りだと思った。今朝になってもむち打ち症は悪化せず保険会社や家族にその旨伝えた。何とか自動車事故を凌げそうだ。家族に七回忌のたたりと言われたが、私はやっぱ悪運が強かったと思う。■
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