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夫々の去り方

2024-12-07 20:19:44 | 日記・エッセイ・コラム
芸能界から政界や経済界まで、著名な人達がトップの位置を退いたり亡くなったりと新聞テレビ等で連日報じられる。私も仕事で関わりがあった知人とか、好みの番組に出演していた芸能人とか、同じ年代を生きて来た人達とか、ニュースを見て驚いたり昔の出来事を思い出したりする。

NHKの「にっぽん縦断こころ旅」に出演していた火野正平さんを毎朝見ていたので、突然出演者が変わった時は驚いた。しかも彼の年齢を聞き私より若くして亡くなったのだと思うとショックだった。最近は私の同年代とか若い人の死亡を見聞きし、必ず自分の年齢と比べてしまう。

谷川俊太郎さんが無くなった時は「そうか亡くなったか」と思ったが、ショックという程ではなかった。申し訳ないけど、谷村新司さん、西田敏行さん、八代亜紀さん達は特別なファンではなかったが
年齢が近くてテレビ映画などでよく目にした人達はニュースを見てショックだった。

一方でインテル社のCEOパット・ゲルシンガー氏が業績低迷で退任したニュースを耳にした時は別の意味でショックだった。私が30代の会社員だった頃インテル本社にCPUの買い付に行った時、打ち合の席には顔を見せなかったが彼は優秀な成績の高卒だと紹介された。まさかその彼が世界的な会社のCEOになるとは思わなかった。

だが彼は不運な時にCEOになったと同情する。世界はインテル社のCPUが独占的に使われたパソコンの時代からAIの時代に代わり、どんなに頑張っても業績が低迷する時代に何とか頑張って会社を立て直す役割をおった。経営者として幾ら優秀でも業績回復は難しかったと思う。

同じ頃に、当時ディスプレイ制御半導体の専門メーカーだったNVIDIAに買い付の交渉にトロントの本社に行った。二流技術者だった私は、まさかNVIDIAが将来AIの必須半導体を提供する会社になるとは思いもしなかった。多分私と同じ考えのインテルも涙を飲んだ。

パソコンの時代に開発担当だった私には正に同じような発想があったと思う。私の場合は遡って80年代にハードウェア開発を担当し、90年代に米国で生産責任者として働いたが、中枢技術を有する米国と大量生産の台湾や韓国更には中国に主役は移った。日本のパソコン事業は本社から子会社に移り、残念なことに消えて行った。

それでは仕事ではなく田舎の父母とか同級生の死亡に接した時と比べてどう感じたかと聞かれると、私にはまた違う感覚がある。父は私が上記の若きゲルシンガー氏に出会った頃に亡くなった。実家から電話が入り翌日田舎に戻って冷たくなった父に出会った。母は病気で介護施設から病院に入院し、暫くして病院から連絡を受けた私が葬儀を主催した。田舎で散歩中に友人と出会い同級生の死去を聞いた。私にはこれらの人達が無くなった時は全く違った様に去って行ったと感じた。■

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