かぶれの世界(新)

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かぶれ者なのに永住権を断った訳

2023-04-08 21:58:28 | 日記・エッセイ・コラム
3日前の日本経済新聞に興味深い記事を見た。連載記事「人口と世界」で日本も人口減少に対応して、EUや韓国などの例を挙げて「複数国籍」を認める様に提案する内容だった。世界を見渡しても78パーセントの国が複数国籍を認めているという。

出生率が世界最悪の韓国ほどではないにしても、日本も長年出生率の低下が続き深刻な労働者不足に見舞われ、200万人近くの外国人労働者数が働いている。散歩していると外国語を話す人達と良くすれ違う。都会だけではない。実家がある四国愛媛県大洲市でもスーパーで買い物をしていると、フィリピン語や中国語らしき言葉が聞こえて来る。何故か、殆ど女性だ。

私が90年代に米国で仕事をした頃は様々な人種の人達がいた。仕事が終わりオフィスから出て行く時、スペイン語を話す掃除婦の人達をよく見かけた。メキシカン・レストランに行くとメキシコ移民らしき人達を見かけた。彼等は正規の移民かどうか分からないが、子供が生まれると米国籍になったはずだ。一時期私の上司はハンガリー動乱の難民の娘でハーバード大MBAの才媛だった。

サクラメントに移住し半年くらい経過し職場に慣れた頃、個人的な事情があって会社の弁護士と面接した。その時、彼から永住権をとりたいのなら何とかすると申し出があった。私は「アメリカかぶれ」と自称する位に中学生の頃からアメリカ大好きで、突然の申し出に一瞬心が躍った。

だが、余り考えることなく申し出を断った。その頃通っていた日系医者との雑談で、彼のところのロシア系の看護婦が永住権を取得する為だけに米国人男性と結婚するのを何度か見たと聞いた。そのイメージが残っていて永住権と聞いただけで汚いイメージがあった。想像するに、合弁会社のトップが私を配下に置いて都合よく使おうとして永住権をエサに申し出たと疑い断った。

何れにしても私は結婚して3人の子供を持つ父親だった。アメリカかぶれなのは私だけだったし、3年以上も単身で米国に住み日本の生活に戻りたかった。米国の自由な文化は大好きだったが何年も一人で済む気はなかった。日米を往ったり来たりしながら生活を楽しむのがベストだった。今になっても永住権を欲しがって間違った判断をしなくて良かったと思う。■

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