平成の世にあっての攘夷とは移民や難民を受け入れないことであろう。幕末において西洋人に斬りかかったりしたのも、神国日本を守るためであったが、平成の世にあっても切迫した危機感が国民の一部にある。幸いにも日本は、周囲を海で囲まれていることで、かろうじて民族としての一体感を保ってきた。それは治安のよさにも結び付いており、これまでは平和な生活を満喫してきた。
しかし、国際化が進み、とくに近年になって朝鮮半島や中共からやってくる人々が増えるにつれて、街の雰囲気も変化してきている。異質な人たちをどこまで許容できるのか、摩擦を生じないようにする対策はあるのか、差し迫った課題はあまりにも多い。人道上のことだけではないのである。難民の流入で頭を抱えているヨーロッパが難しい対応を迫られている。
自民党から共産党まで、政治家は口を揃えて移民や難民の受け入れを表明している。これに反対すれば排外主義者のレッテルが貼られ、社会から抹殺されるかのような風潮がある。本当にそれでよいのだろうか。今は少数派であっても、日本でも移民や難民に反対したり、制限しようとする運動は拡大してくるだろう。いくら経済を活性化させるためだとしても、少子化対策だとしても、混乱を起きるのは目に見えているからだ。攘夷はある意味では情念の発露であり、理性とは無縁であることは否定できない。それでも已むに已まれぬ危機感が根底にあることも忘れてはならないのである。
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