歴史は繰り返すような気がしてならない。覇権を求める中華帝国主義の野望は、中共が初めてではなかった。ようやく日本が国家として世界に乗り出そうとした明治19年、清の海軍の定遠、鎮遠が長崎に寄稿した。いうまでもなくそれは軍事的な日本への圧力であった。それを跳ね返すために、日清戦争が勃発したのが明治27年のことであった。その当時は日本は海軍力が整備されておらず、定遠、鎮遠の圧倒的な軍事力の前に、日本人は奮起を求められたのである▼明治23年に飯盛山に白虎隊士の石碑が建立されたが、その碑文において男爵山川浩(旧会津藩家老)は白虎隊士の勇猛さを讃えるとともに、「独り憂ふる所の者は海外諸邦変詐百出、動輙(やや)もすれば人の国を侵す。他日し無礼を我に加ふるあらば、即ち吾郷の子弟たるたる者、宜しく侮りを防ぎ折衝国家に殉し、以て、諸士の義烈を継ぐべき也」と会津の少年たちを叱咤激励した▼それと同じような危機が日本に迫っているのである。中共は国際的な立場を確立しつつあり、人民元はIMFから国際通貨として認められることになった。経済のレベルでも中共はもはや無視できない力を持ってきている。軍事的には太平洋をアメリカと分割する野望まで抱いている。それに対抗するためには、日本人が結束しなければならない。白虎隊士の「義烈を継ぐべき也」との覚悟が必要なのである。先人の国を護るという気概に学ばなければ、日本は中共の属国になるしかないのである。それで本当によいのだろうか。
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