ネットで用いられている「ぱよぱよちーん」「パヨク」「志位ルズ」といった言葉が日本人全体に広まっているわけではない。情報の非対称性とはよくいったもので、今の段階では知っている人は限られているが、ネットのセキュリティ会社の人間に始まって、それこそ沖縄でのレーザーテロリストまで「パヨク」の話題はつきることがない。自分たちの主義主張を貫くためには、何をしてもよいと思っているから、ネットでの罵詈雑言や米軍機を狙ったレーザーの照射が行えるのである▼当然のごとく社会的制裁を受けることになるが、そこに戦後日本の病理があるような気がしてならない。現実の世界には通用しないことを教えられた者たちは、頭でっかちになっており、自分たちの正しさを訴えるためには、手段を選ばないのである。少数派であることを承知しているからこそ、なおさら突っかかりたいのである。エリック・ホッファーは『魂の錬金術』(中本義彦訳)において、そうした人間たちの心の内を見透かしたのだった。「異議申し立てをする少数者が幅を利かせる余地があってこそ、社会は自由であるという。しかし、実際に異議申し立てをする少数者が自由を感じるのは、自分たちの意思を多数者に強制するときだけである。彼らが最も嫌悪するのは、多数者の異議である」▼いくら「戦争法案」と叫んでも、日本国民の多くは、それで心を動かされない。国際情勢が切迫していることを実感しているからだ。そっぽを向くのはあたりまえである。それに怒ってとんでもないことをしでかす「パヨク」は今後も次々と出てくるだろう。単なるトラブルメーカーであり、迷惑な話である。
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国民不在のマスコミと内乱シールズこそ憲法で規制すべきだ。