「ぱよぱよちーん」もそうであったが、どうして今の日本のサヨクはレベルが低いのだろう。行動する保守の「ヘイト」なるものを批判しながら、それよりもはるかに酷い。どうして対話ができないのだろう。埴谷雄高は「やつは敵である。敵を殺せ。いかなる政治指導者もそれ以上卓抜なことは言い得なかった」(「政治のなかの死」)と書いていたが、そこまで考えてのことなのだろうか。政治とは他者の抹殺であるのならば、それは同時に自らにも向けられてくるのである▼スターリンは自らを犯罪者とは思っていなかった。ハンナ・アーレントに言わせれば、それは「旧いタイプ」(『責任と判断』中山元訳)のものであったからである。アレントは「普通の犯罪人と同じように、スターリンは自分の犯罪をも認めることなく、偽善と人を煙にまく言葉で覆い隠していました。そしてスターリンの追従者たちは、これを『善なる』大義の推進のための一時的な手段として正当化したのでした。もう少し巧みな政治家たちは、革命家も歴史の法則にしたがわざるをえないし、必要であればみずからを犠牲に捧げなければならないと主張したのです」と書いている▼スターリンやその追従者は、犯罪を行うにあたっても、それなりの方便を用意したのである。それはブルジョアの道徳かもしれないが、それを無視することはできなかったのである。今の日本のサヨクはそうではない。自分たちの言論を正当化するすべがないのに、罵詈雑言を口にしている。それこそがまさしくファシズムであるのを、どうして理解できないのだろう。
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